読書の記録

評論・小説・ビジネス書・教養・コミックなどなんでも。書評、感想、分析、ただの思い出話など。ネタバレありもネタバレなしも。

盗まれたフェルメール

2008年03月13日 | ノンフィクション
盗まれたフェルメール----朽木ゆり子----ノンフィクション

 近代・名画盗難史とでもいった内容だ。 「盗まれやすい絵画の条件」というのもなかなか面白い。いろいろな意味でフェルメールが当てはまるのもうなずけるばかりだ。だが読んでみて思ったのは結局、その絵を直接所有したい人以外には「絵画泥棒」は、犯人にとって割に合わないのだな、ということだ。有名絵画であればあるほど足がつきやすいので買い取り手が現れないとか、保険会社の引き取り価格は、市場価格の10分の1だとか(それどころか保険に入っていない名画も多いそうな)、いくら「人類の至宝」ともてはやされたところで人命がかかっているわけではないので、案外にも警察の動きが鈍くて取引に応じないとか。ルパン三世のようなのはやはりフィクションなのである。
 にもかかわらず、「絵画泥棒」というものが放つファンタジーめいたものはいったいなんだろう。そしてこれでもかというくらいに出てくる事例は、何をして人を絵画泥棒にせしめるのだろうか。本人の自己陶酔も含めて英雄的行為というへんなコモンセンスが「絵画泥棒」にはある。同じブルジョワからの強奪的性格を持つ「銀行強盗」や「宝石強盗」にこの趣はない。これこそが絵画というか、「芸術」が持つ魔力なのだろうか。

 ところで、この本。まるで樹木を下から上へたどるかのように話が進む。本線から支線に話がうつったかと思うと、さらにそのまた支線へといくのである。そして末端までいくと本線に戻る。で次の支線でまた逸れていく。まるで迷宮画廊。

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