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アグルーカの行方  129人全員死亡、フランクリン隊が見た北極

2018年10月28日 | ノンフィクション

アグルーカの行方  129人全員死亡、フランクリン隊が見た北極

角幡唯介
集英社文庫


 極地の探検物は面白い。
 古典的名作としてはA・ダガードの「世界最悪の旅」がある。これは南極点初到達競争にやぶれ、極点からの帰路に全員遭難死したスコット隊の記録である。著者であるダガードはスコット隊に所属していたものの、途中で引き返す部隊のほうに属していたために極点へは赴かず、そのために無事生還できた。
 それからA・シャクルトンの手記「エンデュアランス号漂流」も有名だ。こちらも南極海域で遭難したものの、不屈の精神で部隊全員が奇蹟の生還を果たした。
 このほか、北極探検で九死に一生を得て帰還したナンセンの「極北」、南極点初到達、北極北西航路初横断などの記録をもつR・アムンゼンの「南極点」や「ユア号航海記」などが有名である。

 いずれにしても本人ないし関係者が生還しているからこそ冒険記が書けているわけである。


 ところが「全員遭難死」となるとこれはもう真実は闇の中となる。

 その最大規模の遭難といわれるのががイギリスはフランクリン隊の北極行きだ。フランクリン隊は北西航路を見つけ出すために129人の隊員をひきつれ、2隻の船で北極海にむかったものの一人として帰ってこなかった。


 このフランクリン隊の遠征は、その後に何度も捜査隊が組まれ、現場に散在する遺留品や当時のイヌイットの証言が集められ、部分的な状況証拠を積み重ねることで全体として何があったのかほぼ解明している。航海の途中で船は2隻とも氷に押しつぶされて沈没していること、隊長であるフランクリンも途中で亡くなっていること、残された隊員はその後も探検あるいは彷徨を続け、船の沈没地点からかなり先のほうにまで遺骨やキャンプの跡があること。その地点がわりと散在していることから、隊が散り散りになったことが推定されるということ。そして遺骨の状態や遺留品の状況から、隊員は深刻な飢餓状態に陥り、先に死んだ隊員の肉体を食す、つまりカニバリズムがはびこっていたことなど。

 そんなフランクリン隊の行程を追体験しようとしたのが本書である。日本人でこんなことをやっている人がいるんだなあ。フランクリン隊とほぼ同じ気候条件の中、北極海のある島から出発し、ソリを引きずりながら広大な北極海の氷上を歩くところからこの冒険は始まる。もちろんフランクリンの時代とはちがって装備は現代技術を駆使したものばかりだが、90日間にわたって徒歩で1600キロの道のりをたどっていくさまは驚嘆を通り越して狂気的とさえ言える。

 探検記として面白いのは、本人の北極紀行と、フランクリン隊の記録や研究史が同時並行で書かれていることで、これによって読み手は著者の探検記とフランクリンの遭難記をオーバーラップして味わえることだ。
 とくにフランクリンが死亡し、船が沈没したとされる地点から先の展開はミステリー要素も加わって面白い。生存者が点々とさまよったとされるエリアや、生存隊のほとんどがそこで亡くなったとされる「餓死の入江」の光景。フランクリン隊の探索記録やイヌイットたちの証言をはさみながら、この地獄のような地を歩く様は単なる探検記を超えて推理小説のようだ。
 そしてさらなる伝説の生き残り「アグルーカ」と呼ばれる人物とその仲間が、その後北米大陸に上陸し、カナダ北部の内陸にむかって姿を消したという。その伝承をもとに、著者もカナダ北部の「不毛地帯」と呼ばれる湿地帯をゆく。この季節での不毛地帯の探検は他に類がないそうでそういう意味でも貴重な記録だ。また「アグルーカ」とは何者なのかという考察も面白い。

 それにしても胸にせまるのは、著者の一行も空腹にさいなまされ、肉欲しさに麝香牛を一頭仕留めるエピソードだ。この麝香牛は母親で、傍らには生まれて間もない子牛がいた。このあたりの描写は体験した者にしかわからない凄みがある。


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