読書の記録

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カレーライスを一から作る 関野吉晴ゼミ

2018年02月03日 | ノンフィクション

カレーライスを一から作る 関野吉晴ゼミ

著:前田亜紀
ポプラ社


 東京にある武蔵野美術大学の、とあるゼミの記録である。
 カレーライスを「一から作った」ことのある人というのは、日本広しと言えど、たぶんこのゼミだけではないか。

 どういうことかというと、米は苗から育て、野菜類も種から育て、肉はヒナから育て、スパイスや塩も自然から採取する。ついでに器もスプーンも土や竹からつくる、というものだ。

 きわめて単純にして壮大なコンセプトだ。なるほど。いかにも美大のゼミという感じがするし、これは学生にとって相当に学ぶものが多いに違いないと思う。与えられた所要期間は9か月。

 興味深いのは化学肥料は極力使わないということ。つまり、自然の恵み、自然の力だけでカレーライスに到達するということである。
 現代の農産物の多くーつまり、スーパーに出回っているものの多くは化学肥料や化学飼料をつかったものだ。我々はよく肥えた野菜や肉の姿をまるでそれがスタンダードのようにみているが、それは化学肥料、化学飼料のなせる技でもある。もちろん有機農法や有機飼料のものも売っているが、ご承知のとおりそれはたいへんな手間ひまがかかり、それは価格に跳ね返っている。
 化学肥料・化学飼料を悪くいうつもりはない。これは人々すべてにわたって、そこそこの値段で年間を通じて安定して農畜産物を提供できる、という人類食糧史の上でかけがえのない成果を与えた。窒素化合物のコントロールに行き着いたことは化学史のメルクマールで、これがなければいまごろ人類は餓死絶滅していたかもしれない。最近、野菜が高値であることはニュースになっていて白菜が800円するなんて言われているが、少なくとも白菜が5000円とか10000円とかのもはや絶対値として無理とか、もはや流通さえしない、とまではいかないのは栽培と流通の技術革新の力ではあるかと思う。化学肥料や化学飼料は農畜産物の民主化を実現させたとも言えるのだ。
 むしろ我々はあまりにいつも当たり前のように店頭に並ぶこれらを見て、白菜800円は異常中の異常と思える価値観になってしまっている。自然の力というものがいかに気まぐれで容赦ないのかということに鈍くなりつつある。

 だから、自然の恵みだけでカレーライスに到達するまでの長い長い道のりは、現代生活の中で絶対にみることのできない舞台裏ーーつまりは自然の真実をみることでもある。一番つらかったのは土おこしと草むしり。それでもゴボウのようにしか育たないニンジンに学生たちに悪戦苦闘する。米はトラクターもコンバインも使わず、田おこしをして代掻きをして苗を植える。それでも稲刈りをして天日干しをする。手間暇も、結果としての収穫量も、現代農法のそれとはまったく異なる。

 そしてもう一つの見どころはやはり肉だ。頑張ってヒナから育てた鳥をしめなければならない。現代の学生にとっては衝撃的な体験に違いないこれを理性と感情、倫理と摂理をふたつもみっつもアウフヘーベンさせて思考する体験は何事にも代えがたいと思う。

 文章はたいへん読みやすい。小学生でも読めるが、その内容は間違いなく一級のドキュメンタリー。読書感想文の課題図書にしてもいいくらいだ。
  
 あえて。あえての欲を言うならば、ここまで徹底するのならば、最後の調理も大釜の制作や火起こしなど「一から」やってもよかったかも。


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