読書の記録

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写楽 閉じた国の幻

2013年02月11日 | 小説・文芸

写楽 閉じた国の幻

島田荘司

文庫化を待っていた作品。単行本新刊の時点で興味はわいていたが、あの分厚いのを持ち歩いて会社とかいけないからなあ。(僕は会社の行き帰りの電車の中とか昼休みとかに読むのである)

写楽の正体探しは、邪馬台国はどこか話と双璧の人気歴史ミステリーだと思うが、島田荘司がこれだけの分厚さでこのテーマに挑んだからには、単なる推理物ではなく、それなりの新解釈、あるいは新根拠を掲げてのことだろうと思った。なにしろ、この人は本当に三浦和義の事件をひっくりかえしてしまった実績がある。

で、ここからがネタばれである。

今回はネタばれをする。もちろん写楽の正体は×××である! なんて野暮なことはしないが、なに書いたってヒントになりそうなのである。ネタばれなしで書こうと思ったのだが、どうもうまくいかないので、今回は先にお断りしておく。

要注意。

 

ところで、清水義範に「金鯱の夢」という小説がある。20年以上前の小説だが、これはなんと豊臣秀吉に実は嫡子がいて、そのまま江戸時代ならぬ名古屋時代が続いてしまうというなんちゃって架空歴史小説なのだが、ここに写楽の話が出てくる。

ここに出てくる写楽の正体が、なんと。なんとなんと××××なのである。作者としては、特に検証も考察もなく、ユーモア小説の一貫のつもりだったのだろうが、妙にすべての辻褄があってしまう、つまり写楽の謎であるところの突然江戸に出現して数か月の活躍の後に忽然と姿を消したとか、その絵柄が誰の流派でもない空前絶後のものであるとか、彼の正体については誰もが一切の口をつぐんでいるとか、そのあたりのことが、この清水義範説ではすべて解けてしまう。

僕は、「金鯱の夢」に出てくる写楽は、実はかなり真実に近づいているのではないかと思いこんでおり、だからこの島田荘司「写楽 閉じた国の幻」はもしかしてもしかしたら、写楽の正体は××××のセンで行くのではないか、と冒頭のページからその気持ちを持ったまま読んでしまった。

そしたら、読めば読むほどますます××××であるような伏線が張られていくのである。

そしてついに!! バーン!

写楽の正体は××××だった。

ただ、清水義範のとは違って、かなり文献にあたったり、対案の取捨に慎重になっている。素人のまぐれと専門家の研究と検証くらいの違いがある。
清水のが適当に済ませたところを(そもそもこの小説の主眼がそこにはないので)、島田荘司のはかなりいろいろ補強してあり、また描写も闊達である。

でもやっぱり、清水義範説を知っていて(ホントにこれは状況証拠的にはよくできているのだ)、それでこの島田荘司の力作を読めば、ああ!やっぱりと思ってしまったのである。もし清水の本を読んでなければ、目ウロコ30枚は落ちたに違いない。というのは「金鯱の夢」を読んでから20年、今に至るまで、写楽の正体は××××だ! という見解を僕は見たことがないからである(もちろん、専門家でも好事家でもない僕の見知る範囲でだが)。

 

というわけで、「写楽 閉じた国の幻」は、「金鯱の夢」を読んでいなければ、そしてこの分野に興味がおありであれば、是非ともおススメである。
逆に、オレも「金鯱の夢」を読んだことある、という人は、とはいえ、あの「金鯱の夢」には致命的な欠点があるのだが(そりゃそうだ)、そこも島田荘司は補っているので、そこに注目である。

ところで、この「写楽 閉じた国の幻」。あとがきで著者も触れているが、どう見ても未完である。いちおう写楽の正体には到達しているが、ちょっとまて。あれはどうなった。あの人はどうなった。あの事件はどうなった。というところが完全に放置されてしまっており、この部分の回収も含めて、続編こそぜひ剛腕の名をほしいままにする島田荘司ならではの化政文化の時代を描いてほしい。

 


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