読書の記録

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知略の本質 戦史に学ぶ逆転と勝利

2019年11月20日 | 経営・組織・企業
知略の本質 戦史に学ぶ逆転と勝利
 
野中郁次郎・戸部良一・他
日本経済新聞社
 
 
 今月は注目の新刊が目白押しである。ジャレド・ダイアモンドの「危機と人類」上下巻、ユヴァル・ノア・ハラリ「21Lessons」、そしてこの「知略の本質」である。
 
 「知略の本質」は、「失敗の本質」シリーズの完結編とのことである。
 
 名高い「失敗の本質」は1984年にダイヤモンド社から刊行された。現在は中公文庫が有名だ。その後に続編や姉妹編が続いた。「正典」としての系譜は「失敗の本質」→「戦略の本質」→「国家経営の本質」→「知略の本質」ということらしい。浅はかながらぼくは「国家経営の本質」という本の存在を知らなかった。細かい事情はよくわからないのだが、「戦略の本質」以降はなぜか出版社が日本経済新聞社である。
 これ以外にも「失敗の本質 戦場のリーダーシップ篇(ダイヤモンド社)」というのが野中郁次郎ほかお馴染みのメンバーの執筆陣であるのだが、なぜかこれは正典の系譜に入っていないようだ。さらに野中郁次郎共著には「史上最大の作戦(ダイヤモンド社)」というノルマンディー上陸作戦に焦点を絞った大作がある。性格的には「失敗の本質 戦場のリーダーシップ篇」と同方向性といってよい。
 野中郁次郎には単書として「アメリカ海兵隊(中央公論新社)」がある。タイトルからすると「本質ファミリー」とは異質に見えるが、著者によれば「失敗の本質」において日本軍の組織の在り方を研究した際に、その対偶としてアメリカ海兵隊が浮かび上がったとのことである。いわば海兵隊組織にみる「成功の本質」であり、「本質ファミリー」直系とは言わないまでも姉妹編として位置付けてもいいように思う。このアメリカ海兵隊には続編があってそれが「知的機動力の本質 - アメリカ海兵隊の組織論的研究(中央公論新社)」。こうなってくると完全に「本質ファミリー」である。  
 ダイヤモンド社と中央公論新社と日本経済新聞社のあいだで正統性を争ってるんじゃないかと勘繰りたくもなるが、個人的にはこれらはみんな「本質ファミリー」としてくくっている。
 なお、「撤退の本質」というのが日経ビジネス文庫にあって、これは執筆陣の中のひとり、杉之尾宣生が参加している。もともとは「撤退の研究」というタイトルの本で、文庫化した際にタイトルを変更したものだ。そう考えるとせこい気もするが、内容的には「本質ファミリー」と同路線である。
 
 さて。こんな状況下で正典の完結編を名乗って出たのがこの「知略の本質」である。4つの戦争ーー独ソ戦(とくにスターリングラード攻防戦)と英独戦(バトルオブブリテンとUボート戦)、インドシナ戦(仏越戦争とベトナム戦争)、そして米イラク戦が扱われている。特にフォーカスされているのは当初は劣勢だったのが逆転して最後は勝利を収めたこのプロセスだ。ここに「知略の本質」をみるのである。
 
 「知略」というのはもってまわった言い方だが、”良く考え抜かれた戦略”といったところか。本書によれば、知略の本質は“対立した二項の弁証論”にある。「機動戦と消耗戦」であったり、「ゲリラ戦と正規軍戦」であったり、「侵攻と平定」であったり、「政治と戦争」だったり、「攻めと守り」であったり。逆に言えば、失敗の本質とは二項の対立を昇華できないところにあるといってもよい。
 この二項を対立する概念ととらえず、相互に影響しあうものすなわち「二項動態」ととらえ、その中で最適なコントロールをしつつ事態を進めていくのが本書言うところの「知略」である。なぜなら二項は硬直したものでなく、必ず流動的だからだ。いつまでも機動戦をやっていても埒はあかず、どこかで消耗戦に挑まないと勝利のステイタスには至らない。しかしいたずらに消耗戦だけやっても勝てないのである。独ソ戦や英独戦はそれを示唆する。また、侵攻できても平定がうまくいかなくて泥縄になったのが9.11後にアメリカが仕掛けたお馴染みのイラク戦だ。フセイン政権を崩壊させるまでは早かったがその後の混迷は世界中が知るところとなった。そもそも80年代の湾岸戦争のときに多国籍軍(という名の米軍)があまりにもあっさり勝利してしまって詰めの甘さを残してしまったのがその後のフセインの暴走やひいては今なお混乱に至るイラク情勢の遠因になったことを本書は指摘している。
 二項動態をしなやかにあやつりながらミッションコンプリートさせたのがベトナムである。ついにはアメリカの野望をくじいたこの戦争、ベトナムは「防衛戦」→「ゲリラ戦」→「正規戦」と変容させながらフランスやアメリカを追い落とし、ベトナム独立を勝ち取った。多大な犠牲者数を出した上での勝利であることは言うまでもないが、その執念もふくめて知略の範疇である。
 
 もっとも、二項対立をうまくコントロールすることが勝利のポイントであること自体は、孫子やクラウゼヴィッツも指摘していることではある。つまり、必ずしも慧眼な視点というわけではない。
 問題は「どうやってコントロールするか」だろう。
 本書の最終章では、4つの戦争からみられる普遍的な定理を導きだしている。
 特に注目しているのはその戦争を指揮するリーダーだ。独ソ戦のスターリン、英独戦のチャーチル、ベトナム戦争のホー・チ・ミン、イラク戦のラムズフェルド国防長官などトップの言動の良し悪しにも注目しているが、より焦点をあてているのは各作戦の指揮官ようするにミドルクラスである。独ソ戦ならばチェイコフ中将、英独戦ならば独デーニッツ司令長官と英ノーブル提督、ベトナム戦争ならばヴォー・グエン・ザップ将軍、イラク戦ならばマクマスター大佐らだろう。組織とは畢竟リーダーシップによる連鎖と波及である。
 最終章執筆を担当している野中はコントロールを可能にするリーダーシップの資質を4つあげている。「①共通善ー何のために戦うか」「②共感(相互主観性)」「③本質直観」「④自律分散系ー実践知の組織化」。
 この中の「②共感(相互主観性)」はかなりの核心ではないかと思う。フッサールの相互主観性をも引用した他者への共感力、敵への共感、配下への共感、侵攻先の住民への共感、ここから逆算して戦略をつくりあげ、状況をウォッチしながら調整していくことが知略の本質というのは本書の白眉なのではないか。この共感能力が欠如するか、あるいは共感で得たインサイトを軽視したプロジェクトは、どこかでこれが失敗の要因に転じ、やがて泥沼化や崩壊へと至るのである。ベトナム戦争やイラク戦でアメリカに欠けていたのはこれなのである。
 
 一方でこの最終章、必ずしも本書の中からだけで出てきた結論でもないのだろうと思う。いわば「失敗の本質」から始まる一連の系譜や姉妹本をすべてふくめた「本質シリーズ」の総括といっても言いような位置づけだ。
 つまり、「失敗の本質」における日本軍の組織論的研究からずっと外堀を埋めていきながら核心に迫ってきたのがこの「本質」プロジェクトだったのだなというのがおぼろげに見えてくる。
 二項対立の存在さえ気づかなかったのはなぜか。二項対立の止揚を阻害するものは何か、二項対立の止揚を成し遂げたのは誰か、彼は何をして成し遂げたのか、その同じ人間が前回はうまく止揚させて成功したのに今回は失敗したのはなぜかという観点で、この「本質ファミリー」を俯瞰することが可能である。(まあなんだかんだで一番面白いのは「失敗の本質」ではある。執筆陣たちがまだ若くて破れかぶれのエネルギーをぶつけているのと日本人あるある的な共感性が「勝利」の要因だろう)。
 

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