我々の目指してゆくところは、そういう
いろんな面を持っていても、その生命を
さながらに明るく朗らかにしてゆくという
ことですから、そこへ向かってゆかなきゃ
いけないわけですからねえ。
だから、私たちはその立場立場によって、
見える感じる想えるということを
まず認めた上でね、その上でさらに
その人の成長に従って、ああここまでなら
この人行けるなというところまで、
一段一段いっしょに階段を登ってやる
ということ。
降りて行ってやるということね。
それが大事なんです。
上からね、あなたこうしなきゃいけませんよ、
こうすべきですよ、というふうに
言ってしまいますとね、それがしたくとも
できないという人がたくさん
いるわけですよ。
おもいは一杯あるけれども弱くってできない、
ありますよ。
だから、それがいけないと言ってしまうと、
もうその人全体を否定することになる。
禁止することになる。
おまえがいけないということになる。
だけど、神様というものは、おまえは
いけないはないんです。
おまえは可愛いけれど、おまえは駄目だ、
おまえは良い子だけど、おまえは悪い子だ、
それは全くないんですよ、神様の側から
すれば。
だから、それぞれその時々に応じてね、
人間の我々の目から見ますとね、ああ
しょうがない人だなあ、やっかいな人だなあ、
こんなつまんない人がいるかしら、もう
いろいろ言ったって何にもわからないような・・・
と思いますよ、あせりますよ。
だけども、やっぱりその人はその人なりに
悟る時期、分かる時期気づく時期、あるいは、
傷ついて一歩進む時期、いろいろあるわけね。
そこで、へたに我々が裁断をしてねえ、
この人は駄目だとか、この人を標準にして
話をしようとかねえ、そういうことは言っちゃあ
いけないし想っちゃあいけない。
何故なら、神様というものはね、そういう標準を
何ももっていない無限定なんですよ。
神様というものは、無限定な愛なんですよね。
その愛というものは測り知れない、測るものは
ないんです。
そういうものから我々の生命というものは
出てきているんですね。
(つづく)
いろんな面を持っていても、その生命を
さながらに明るく朗らかにしてゆくという
ことですから、そこへ向かってゆかなきゃ
いけないわけですからねえ。
だから、私たちはその立場立場によって、
見える感じる想えるということを
まず認めた上でね、その上でさらに
その人の成長に従って、ああここまでなら
この人行けるなというところまで、
一段一段いっしょに階段を登ってやる
ということ。
降りて行ってやるということね。
それが大事なんです。
上からね、あなたこうしなきゃいけませんよ、
こうすべきですよ、というふうに
言ってしまいますとね、それがしたくとも
できないという人がたくさん
いるわけですよ。
おもいは一杯あるけれども弱くってできない、
ありますよ。
だから、それがいけないと言ってしまうと、
もうその人全体を否定することになる。
禁止することになる。
おまえがいけないということになる。
だけど、神様というものは、おまえは
いけないはないんです。
おまえは可愛いけれど、おまえは駄目だ、
おまえは良い子だけど、おまえは悪い子だ、
それは全くないんですよ、神様の側から
すれば。
だから、それぞれその時々に応じてね、
人間の我々の目から見ますとね、ああ
しょうがない人だなあ、やっかいな人だなあ、
こんなつまんない人がいるかしら、もう
いろいろ言ったって何にもわからないような・・・
と思いますよ、あせりますよ。
だけども、やっぱりその人はその人なりに
悟る時期、分かる時期気づく時期、あるいは、
傷ついて一歩進む時期、いろいろあるわけね。
そこで、へたに我々が裁断をしてねえ、
この人は駄目だとか、この人を標準にして
話をしようとかねえ、そういうことは言っちゃあ
いけないし想っちゃあいけない。
何故なら、神様というものはね、そういう標準を
何ももっていない無限定なんですよ。
神様というものは、無限定な愛なんですよね。
その愛というものは測り知れない、測るものは
ないんです。
そういうものから我々の生命というものは
出てきているんですね。
(つづく)