宇宙(そら)は家

宇宙(そら)へ還ろう! 
五井先生は、両手を
広げて待って
いらっしゃいます。
(リンクフリー)

すなおな心で 無心に祈る

2014-04-30 08:11:59 | 祈り
つよさと
やさしさは
神の心
神の愛

そこには
自分だけを守ろうとする心は
みじんもない
神の光をあびた
つよさと
やさしさとは
この世界に生きる
すべての人々の
天命を完うさせずには
おかない

この神の
つよさと
やさしさとを
あらわしたものが
消えてゆく姿で
世界平和の祈りなのだ

友よ
平和の祈りは
いつも
君のなかにあって
君の本心に鳴りひびき
美しい光明は 
絶えることなく
その肉の身から
放射されている
いや
君は
君達は
すでに霊人なのだ
この現界と
神界霊界幽界をつらぬいて
神のみこころのなかに生きる
君達は
霊人なのだ

肉体人間の君が
たとえ
迷いの波を出しても
私の名を呼び
世界平和の祈りを唱えるとき
君がどこにいても
光は
君のところに届くだろう

神は
肉体人間が
幾百度幾千度
自分をはなれても
かならず
極みのない愛で
その人々を
光の住者にすることを
誓われたのだ
そして私が
神様から預けられたのが
消えてゆく姿で世界平和の祈り
だったのだよ

君よ
人間にとって
一番大事にしなければならないのは
すなおな心で
無心に祈るということだ
その時間がながければ
ながいだけ
その人自身は
透明になる

もともと
人は
すきとおっていたのだから
そこへかえってゆくだけなのだが
一口にそういっても
無心に祈ってゆく
その段階は
すきとおるその段階は
いくつもいくつも
あるんだよ
上下関係じゃない
本心とともに祈る
ぴったりよりそって祈る
ということのむずかしさだ
心を澄ましていく
ということが
統一のなかでは最も求められることだ
けれども
統一なんてことをあまり考えずに
ということはどういうことかというと
ただとにかく
世界平和のなかに入る
ということが
大事なんだ

電車のなかで
バスのなかで
歩きながら
何処でも
祈りを唱えることはできる
君が祈りを唱えるとき
即座に
そこに
祈りの座がととのえられるんだ
霊眼でみれば
そうなんだよ

かって私が歌に詠んだように
世界平和の祈りを祈ると
たちまち
その人は光につつまれる
無碍光
無限の神のゆるしと智慧の光に
つつまれてゆくんだ
そしてそのとき
その人自身は
自覚するしないにかかわらず
光の世界の住者なんだよ

だから
祈りは決して
かたちではないんだよ
形式じゃないんだよ
君達が
祈って
そのスイッチを
神様に合わせれば
神様のところまで
のぼってゆく
実際
そんな風に出来ているし
そんな風になってるんだ
ただ
そうするには 
すなおな心で
無心に祈るということが
さっきもいったように
必要なんだ

私なんか
自分なんかという
肉体にまつわる
我を出していると
なかなか
のぼってはいけないんだ
人間はもともと
そんな存在じゃないんだからね
だけど
なかなか
今の君達は
そういう風に思いなさいといったって
とてもむずかしかろうというんで
世界平和の祈りがあるんだよ

消えてゆく姿で世界平和の祈りを
行じてゆくと
実に無理なく
人間は
人間の本来の光のなかで
働くことが
できるのだ
だから
世界平和の祈りをいつも唱えて
私の名前を呼びつづけてごらん
いつの間にか君達は自分自身が何物をも
つらぬいていく
神の愛に
結ばれている
朗らかな
一すじの光であり
いのちであるということを
しることができるだろう
           平成2年2月12日 記

光になった自分自身へ

2014-04-29 07:57:23 | 祈り
山のいただきから
地上を
ながめると
人々が
より合って
生きている
その心が
ながれてくる
それは
いとしい
いとしい
心のながれだ

親は子を思い
妻に夫に心をかよわせ
ささやかな
幸福を
楽しんでいる様子が
伝わってくる

祈りのうちにある
人間の姿
すなおな心のままに
相手をおもう姿
それが本来の
光のままの
人のすがた

私は
人類一人びとりを
光のすがたに
かえすために
消えてゆく姿で
世界平和の祈りを説いてきたのだ

世界人類が平和でありますように
日本が平和でありますように
私達の天命が完うされますように
守護霊様ありがとうございます
守護神様ありがとうございます
この
神の愛のつまりにつまった
祈り言を唱えるとき
我々は
人間本来の姿
本心と合体した
光になった
自分自身へと
かえることが
できるのだ

山の姿に思わず合掌したくなる

2014-04-28 06:15:55 | 祈り
山の
まろやかな
姿に出会うと
そのやさしさに
思わず
合掌したくなる
山の
きびしく
そそり立つ
姿に出会うと
その愛の
峻厳さに
思わず
合掌したくなる

山よ
山よ

神のすがたをうつしたものよ
神のいのちのあらわれよ
我等とともに
祈りをささげ給え
         平成2年2月12日

真実のやさしさとつよさとを求めてゆく人であって下さい

2014-04-27 08:51:09 | 祈り
真理は
神は愛であり
やさしさにみちている
ということです

神の愛と
やさしさは
そんじょそこらの
やさしさではありません
何しろ

この地球上にいる
すべての人類を
全部
救おうと
いうんですからね

肉体人間の世界ですと
自分とこの人は
ウマが合うけど
あの人はどうも
とか
色々
えり好みをするでしょ
選んじゃうんですよね
だけど
神様は選ばない
なぜかといえば
みんな
一人のこらず
自分のこどもだから
みんな
自分の生命から
霊から分かれていったんですから
好きとか
嫌いとかじゃない
世界人類すべての
いのちの親ですからね

神様は
私どもは
つねに呼ばれてるんです
神というふるさとに。
世界平和の祈りをすると
それが
本当によくわかる
勿論
自分の魂は本心は
とっくに知ってるんですよ
だけど
日常の雑事に追われている我々が
世界平和の祈りのなかで
統一してゆくと
自分の居場所
もともと
自分の生命がながれてきた場所ってものが
わかってくる
そして
ホッとして
本当に魂がやすまるっていうか
心がやすまるっていいますかね
そういうことになるんです
なぜそういうことになるかといえば
世界平和の祈りそのものが
神様のところへかえる
エレベーターだからです

この祈りには
神の愛が
やさしさが
大円光
光明体が
柱になって
立ってるんです
で、
もともと
人間は
神からわかれてきた
分生命(わけいのち)であり
分霊(神の智慧の光)ですから
この祈りを唱えるときに
あなた方一人一人が
自分自身にかえってゆくわけ
なんです

とらわれとか
こだわりとか
業想念というものは
今迄
いのちの親である
神から離れていた
その間の誤った想い
というものが
あらわれて
きえるときに
出てくるものなんです
ですから
とらわれてる自分を
これが自分だ
と思って
つかまえちゃったら
業想念の
消えてゆこうとする
自分にすがることになって
グルグルと堂々巡りに
なっちゃうんです

もうこのことは
何万回説いてきたか
わからないけれど
自分自身じゃないものを
必死になって
みなさんが
掴まないように
とおもって
あらためて
ここで言っておきます

すでにみなさんは
光の世界の住者であり
霊人であり
宇宙人なのです
もともと
神からわかれてきた
神のすえなのであります
それは
どういうことかというと
みなさん一人一人が
極みのない
愛と
やさしさの分かれである
ということです
そして
このやさしさは
さりげない
祈りのなかで
つよめられていきます

愛とやさしさは
世界平和の祈りを
祈るたびごとに
増し加えられてゆきます

前にも申しましたように
世界平和の祈りを祈るときには
天界の霊人縁者
この地上の友をはじめとして
みなさんの
守護霊さん守護神さんが
すばらしい光のなかで
倶に祈っているのです
そして
つねに
それらの霊人や
友達は
みなさんとともに
あるのであります
ですから
世界平和の祈りを祈る
ということは
それらの人々と
みなさん自身(本心)
との集いの場である
ということが申せましょう

我々は
守護霊守護神の愛念のもとに
神のみ光をうけて
この世での働きを
日々なしつづけているものですが
世界平和の祈りによって
みなさんの本心が
かがやきを増し
霊性が
開発されればされる程
この地上の
何物にも動かされぬつよさと
愛と
やさしさとを
いのちの親である
神から
受けとることになるのであります

神は久遠の光であり
はじめなくおわりなき存在でありますが
私どももまた
その久遠の光の一筋であり
世界平和の祈りに
徹していきますときに
その光の一筋としての
自分自身を
見出していくことになるのであります

私どもは
私ども自身に
そうして
私どもをいつくしんでやまぬ
大慈悲そのものの
神のこころに
みふところに
抱かれていくことになるので
あります

どうぞ
日々
世界平和の祈りのなかで
真実のやさしさと
つよさとを
求めてゆく人であって下さい
それではどうもありがとうございました
            平成2年2月11日 記

祈りのうちに やさしさと愛を求めなさい

2014-04-26 07:27:25 | 祈り
やさしさを求めて
私はずっと歩いてきた
自分に人にやさしくあること
本当にやさしくありつづけるには
何が一番大事なのかと
私は考えつづけた

私自身は
人に嫌がられることをせず
人によろこばれることをしよう

ただそれだけを努めてきた
それは
よろこびを受ける
人間の笑顔のすばらしさに
ひかれたからだ
もっとよろこんでもらいたい
私の心はただ
それだけを考えていた
すなお
ということが
やさしい自分になるためには
もっとも大切なことだと
私は感じた

すなお
ということは
唯一の
私自身の取柄だったけれど
このすなおさが
人間のやさしさを
愛を
みちびき
本来の光にみちた
すがたにかえしてゆくのだ
ということを
私は
あなたがたに伝えよう

人に
神に
すなおであれ
こだわらず
とらわれず
その
いのちの
おもむくところに
おもむいてゆきなさい
あなた方は
宇宙をつらぬいて
ここに存在しているのだ

あなた方のやさしさは
神の大愛から
わかれた光なのである
祈りのうちに
やさしさと
愛を
求めなさい
自らが
光となって
かがやき
働くために