(前日からの続き)
荘子に逍遙遊篇(しょうようゆうへん)
というのがございます。
逍遙遊篇というのは何かというと、ご存じの
方もあるかもわかりませんけれども、
つまり、大鳥鳳凰というのがあって、
鳳凰(ほうおう)のあの大きな鳥が天空を
かけ巡ってゆく、その姿の壮大なこと、
それを最初にうたっております。
そうして、鳳凰というのは元を正せば、
北の方に大きな海があって、そこに
こんという大きな魚がいて、その大きな
こんという魚が鳳凰になったんだというふうに、
冒頭に書いてあります。
で、後の注釈者などは、これは何を言って
いるのかよく分からない。
非常に混沌として、大魚が出てきたり、
鳳凰が出てきたり、なんだか気宇壮大では
あるけれども、それ以上何を言おうと
しているのか、非常に空想的な物語であると、
たいがいの人がそういうことを申します。
けれども、人間の智恵とか知識とかいうもの
では推しはかれない程の、深くて大きい、天空
そのものさえもおおいつくしてしまうような、
そういう絶対的な愛の存在というものが
ございまして、そして、それが、この地上に
生きている私たちも、あるいは、地上に
這っているけものたちも、すべての草木たちも、
ありとあらゆる生命の中に息づきを与えて
いるのだということ。
そのことを覚えていただきたいと思う
のであります。
つまり、我々の生命というものは、我々の想い
いかんに関わらず、憂い辛いとかいろいろな
ことがございますけれども、そういうものに
関わらず、我々の中で光へ光へと導いていく、
我々を明るい方へ明るい方へと導いてゆく。
そうしてついに、真実に何ものにも動かされ
ない、不動の心と私は申しましたけれども、
そういう不動の心に導かれて、そうして、
光そのもの、光一妙の世界へ連れていって
下さる。
そういうことなんです。
そして、それは遠くにあるのではない。
神様というのは、あなた方がお呼びになれば、
あなた方のすぐそばへ来て下さる。
守護の神霊たちは、お呼びになれば
すぐ来て下さる。
そして、寄り添って下さる。
目には見えないかもわからない。
けれども、祈りの中に神様を呼べば、
あるいは、五井先生を呼んでもですね、
すぐあなた方のそばに行ってあなた方を守り、
あなた方を支えて、そうして、光へ光へ、
明るい方へ明るい方へ導いてゆく。
で、ここを根幹といたしませんことには、
闇と見えるものを闇と見まちがえてしまいます。
思いまちがって、憂い辛い世の中のこの表面の
現象面のことだけに把われてしまって、
自分も憂い辛いそのうずに巻き込まれて
しまいます。
けれども、本当に強いやさしい真実の光の世界
というものは、そういうものにのみ込まれない
ものであります。
そういうものに引きずられないものであります。
あるいは、そういうものを労わり溶かし、
そうして、人間のいろいろな苦というものを
包み込みながら、さらに深い大きな神様の
愛へと導いてゆくもんであります。
で、ここをやはり覚えていただきませんことには。
(つづく)
荘子に逍遙遊篇(しょうようゆうへん)
というのがございます。
逍遙遊篇というのは何かというと、ご存じの
方もあるかもわかりませんけれども、
つまり、大鳥鳳凰というのがあって、
鳳凰(ほうおう)のあの大きな鳥が天空を
かけ巡ってゆく、その姿の壮大なこと、
それを最初にうたっております。
そうして、鳳凰というのは元を正せば、
北の方に大きな海があって、そこに
こんという大きな魚がいて、その大きな
こんという魚が鳳凰になったんだというふうに、
冒頭に書いてあります。
で、後の注釈者などは、これは何を言って
いるのかよく分からない。
非常に混沌として、大魚が出てきたり、
鳳凰が出てきたり、なんだか気宇壮大では
あるけれども、それ以上何を言おうと
しているのか、非常に空想的な物語であると、
たいがいの人がそういうことを申します。
けれども、人間の智恵とか知識とかいうもの
では推しはかれない程の、深くて大きい、天空
そのものさえもおおいつくしてしまうような、
そういう絶対的な愛の存在というものが
ございまして、そして、それが、この地上に
生きている私たちも、あるいは、地上に
這っているけものたちも、すべての草木たちも、
ありとあらゆる生命の中に息づきを与えて
いるのだということ。
そのことを覚えていただきたいと思う
のであります。
つまり、我々の生命というものは、我々の想い
いかんに関わらず、憂い辛いとかいろいろな
ことがございますけれども、そういうものに
関わらず、我々の中で光へ光へと導いていく、
我々を明るい方へ明るい方へと導いてゆく。
そうしてついに、真実に何ものにも動かされ
ない、不動の心と私は申しましたけれども、
そういう不動の心に導かれて、そうして、
光そのもの、光一妙の世界へ連れていって
下さる。
そういうことなんです。
そして、それは遠くにあるのではない。
神様というのは、あなた方がお呼びになれば、
あなた方のすぐそばへ来て下さる。
守護の神霊たちは、お呼びになれば
すぐ来て下さる。
そして、寄り添って下さる。
目には見えないかもわからない。
けれども、祈りの中に神様を呼べば、
あるいは、五井先生を呼んでもですね、
すぐあなた方のそばに行ってあなた方を守り、
あなた方を支えて、そうして、光へ光へ、
明るい方へ明るい方へ導いてゆく。
で、ここを根幹といたしませんことには、
闇と見えるものを闇と見まちがえてしまいます。
思いまちがって、憂い辛い世の中のこの表面の
現象面のことだけに把われてしまって、
自分も憂い辛いそのうずに巻き込まれて
しまいます。
けれども、本当に強いやさしい真実の光の世界
というものは、そういうものにのみ込まれない
ものであります。
そういうものに引きずられないものであります。
あるいは、そういうものを労わり溶かし、
そうして、人間のいろいろな苦というものを
包み込みながら、さらに深い大きな神様の
愛へと導いてゆくもんであります。
で、ここをやはり覚えていただきませんことには。
(つづく)