宇宙(そら)は家

宇宙(そら)へ還ろう! 
五井先生は、両手を
広げて待って
いらっしゃいます。
(リンクフリー)

天の私と地の私が一体となり 生きてゆく

2020-03-31 11:21:02 | 祈り
自由になるために
人間は
生きているのであります
それは
どういう自由かと
いうと
この世の
一切の
とらわれ
不安
恐怖
それらから脱して
明るく朗らかな
神の生命(いのち)へと合流し
遂に
一体になるために
生きているのであります

もともと
私どもは
神から分かれてきた存在
分生命(わけいのち)
分霊(わけみたま)
でありますから
こうした
永遠の生命の流れのなかに入る
ということは
つまりは
ふるさとに
かえることに
他ならないのでありますけれども
私どもは
本来自由であり
朗らかであった
自分自身
というものを
この世に生活している間に
すっかり
忘れてしまっているのであります
それをとりもどすこと
すなわち
明るく朗らかな
本来のいのちにかえるには
何よりも先ず
祈りによらなければなりません
祈りというものは
この世とあの世をつなぐ
光のエレベーターなのです

すべて
真心からの祈りは
光を放っておりますが
なかんずく
世界人類が平和でありますように
という
祈り言にはじまる
世界平和の祈りは
すべての人の大光明心を
神の分生命分霊としての
霊止(ひと)の光
本源の生命の光を
たちまちに放つのであります
それは
この祈りが
救世の大光明霊団という
釈迦、キリストをはじめとする
聖者方をはじめとして
無数の高級神霊や霊人によって
ささえられており
何よりも
神の大愛の愛の光が
祈り人(のりびと)一人一人を
つつんでゆくのであります
しかも
人々は
それぞれ生活の場にあって
何ら
日常に無理を生じないままに
守護の神霊のみちびきによって
常に神界の光をあび
宇宙神の愛の光をあびて
無理なく
人間本来の
やさしく
明るく
さりげなく
朗らかに
生命を生きる
そして
その
生命のすがた

祈りのなかで
益々澄み浄まらせてゆくという
実相にむかい
その実相もきえて
光ばかり
という
極みのない愛の世界へと
進化してゆくことに
なるので
あります



そのとき
人は
本当に
自由になり
透明になり
ただ
祈りのなかで
絶えることのない
感謝を
ささげてゆく
ということになるので
あります

私の申しております
これらのことは
夢物語ではなく
みなさん
一人びとりのなかに
ともっている
本心が
世界平和の祈りによって
自在となり
かがやきを増してくるときに
かならずおこる事実なのであります

もうすでに
私どもは
この世とあの世を行きかって
本心の光を増すべく
日々瞬々働いている
働かせていただいている
器なのであります
その事実を
この世にあるときに
身にしみて
感じさせていただくのが
祈りであり
世界人類が平和でありますように
という
祈り言(のりごと)とともに
統一に入ると同時に
人というものは
神の無量の光に
つつまれるものなのであります
それは
世界平和の祈りが
あらゆるちがいをのりこえて
人類一人びとりのなかに
ねむっている神性と
永遠の
地球を含めた
宇宙の調和
愛と
平和というものを
のぞませずには
おかない
からであります

この祈りを唱えるとき
人は誰も
こころのふるさとに
かえるのであります
そのふるさとは

であります
永遠の愛と
くちることのないそして
つきることのない
生命の流れそのものの

であります
そして
私どもは
一人一人
この肉の身に
この永遠を宿して
生きているので
あります
すなわち
私どもは
すでに
永遠者の愛につながって
はなれることは
ないのであります
たとえ
肉体人間のおもいが
ひととき
神のこうした愛から
遠ざかってゆくことがありましても
愛とゆるしの根元である神は
決して
私ども一人一人を
その
ふところから
離すことはないのであります
見捨てることはないのであります

光はいつも
私どもと
倶にあります
光こそ
私どもの生命の
根であります
そして
そのことを
最もよく
あかしし
あらわしているのが
世界平和の祈りなのであります

世界人類が平和でありますように
日本が平和でありますように
私達の天命が完うされますように
守護霊様守護神様
ありがとうございます
というこの祈りを
無心に唱えて参りますときに
神の愛によって
私どもが
光のいのちであり
日々
あらたに祈りと感謝によって
このいのちを
あたえられている
ということが
実感されてゆくのであります

天の私と地の私が
合体し
一体となり
ひとりひとりが
光むすぶいのちとして
生きてゆく
永遠に生きてゆく
明るく
朗らかに生きてゆく
祈りのなかに生きてゆく
世界平和の祈りのなかに
生かされてゆく
そして
大元のいのちの不思議を
さとり
よろこび
畏れてゆく
人間が
私どもが
この世に生き
また
あの世に帰るというのは
実にこういうことなのであります

どうぞ
祈り一念の生活のなかで
光のいのちである
自分自身のすがたをおもい
感謝しつつ
生き抜いて下さいますように
それではどうも
ありがとうございました
      平成2年2月24日 記

祈りは 神にむかって歩き続けている事実を知らしめる

2020-03-30 11:11:20 | 祈り
祈ってゆくと
自分のなかに光があり
自分自身が光なのだ
ということが
わかってくるんです
それは
守護霊や守護神や
守護の神霊のみちびきのなかで
わかってくるんです
自分のなかに
本心があり
本心の座があり
そこに働いている
光そのものの自分は
何一つ迷わずに
スーッと
神様の方にむかって
歩いてるんです
光にむかって歩き
愛にむかって歩いているんです

祈りは
神にむかって
歩きつづけている事実を
知らしめてくれるものなのであります
あるいは
本心の自分と
肉体の自分
この世に生きている私どもと
あの世に生きている私どもを
つないでゆくものなのです
この二つは
さながらにひとつのいのちなんだ
ずっと私どもは
神の愛と智慧によって
生かされている
生命なんだ
ということを
統一のなかで
祈りのなかで
教えられてゆくのであります
そして
そのとき
私どもは
本当に
自由になって
ゆくのであります
生き生きと
いのちを働かせて下さるものが
神の愛であり
その光明のもとに
むこうの世界でも
この地上以上に
はつらつとして
生きている自分がある
ということを
しらされてゆくときに
私どもは全く
安心立命するので
あります
ひとつづきに
この世と
あの世とが
つづいていて
しかも
そういう
境界も
実は
人の
おもいのなかに
あるもので
真実は
ただ
神の愛ばかりが
のこるのだ
ということを
私は
ここで今日
はっきりと
申し述べて
おきたいのであります

霊界には
また
神界には
数え切れないほどの
階層があります
それは
この地上における
上下関係のような
ものではなく
ひたすら
心の相(すがた)
心境の
高さ低さ
によるのであります

いつも
申しておりますように
私どもの修行と
いいますのは
自分を赦し
人を赦し
自分を愛し
人を愛し
そして
神にどこまでも
すなおに
なってゆく
ということであります

むこうにおりますと
この地上以上に
さまざまな縁者
肉身の波が
かかって参ります
また
自分自身の
過去が
想念を走らせると同時に
あらわれて参ります
それ等一切を
消えてゆく姿とみて
世界平和の祈りのなかに
投げ込んで
神の愛と
光によって
消していただく
守護霊守護神の
愛念によって
消していただく
ということが
もっとも大事なことに
なってゆくのであります
そして
心が澄まされたと
判断されたとき
一瞬のうちに
私どもは
修行の場をうつされるのであります

これらのことは
祈りによらなければ
成し遂げられないし
大いなる生命の本源
神に対する感謝と畏れが
心に湧いて参りますのを
守護の神霊は
細大もらさず
みまもりながら
一人一人の
魂の進化
霊人としての永遠の光を
かがやかしてゆくための進化を
たすけてゆくのであります

人間は神とともに
永遠にとけ込んでゆく存在
なのであります
そのことを
私どもは
祈りのなかで
しらされてゆく
のであります
   平成2年2月23・24日 記

今度こそ 完全平和が実現してゆく

2020-03-29 20:24:34 | 祈り
霊界というところを
一口でいうのは
とてもむずかしいけれど
一口でいうと
その人の心境が
そのまま
あらわれてくる世界だ
ということが
いえます

思いやりの深い人は
そういう世界に行くし
怒りっぽい人は
怒りっぽい人で
集まっていたりする
そういうものなんです
だから
心をみがいてゆく
といいますか
心を澄ましてゆくことが
第一なのです

それには
とにかく
祈ること
統一することです
でも
統一といっても
何も
かたちにとらわれることは
ありません
歩きながら
電車にのりながら
お風呂のなかで
世界人類が平和でありますように
とやればいいんです

いつかも申しましたように
本来
人間というものは
身体中で祈っているものですから
どんな人だって
本当は
ずっと祈りづめなんです
それなら
宗教はいらないようなものですが
何度も説いておりますように
私どもは
この地球で生活するうちに
業半分光半分
というような存在になって
しまっているのです
肉体波動
この世の波といったものが
そういう屈折を
生み出したのであります

それで
本心は
かがやきつづけておりましても
この世に生きている
「私」
というものが
どうしても自分をかがやいているとは
思えない
ということに
なってきて
神様から離れてくらした想いの
時間の方が
長くなってしまった
のであります

そこで
先程から申しておりますように
私どもは
真に自由で
朗らかな
自分自身に帰るために
祈りのなかで
自分自身と対面してゆく必要が
あるのであります
これは
さまざまな聖者方が
道を説かれたときも
そうでありましたが
今日ほど
祈りのなかに
自分自身を見出し対面する
ということが求められている
時代は
ないのであります
それは
なぜかと申しますと
もはや
自分一人が
救われればいい
それで事足りる
というような時代では
ないからであります

私ども一人一人が
世界人類すべてが
本心の光を
自らのなかに自覚し
自分たちのいのちが
神から分けられてきた
生命(いのち)であり霊である
ということを
自覚して
心から
祈ってゆくときに
はじめて
この地球世界は
完全な
浄化が
なされるのであります

私どもがかって
霊であって
この地球に
降りて参りましたときには
一人一人が
地球浄化の使命を
になっていたのでありましたが
今また
世界平和の祈りによって
今度こそ完全な
平和と
愛と
調和が
実現してゆくのであります
そして
私どもが
無心に
祈れば祈るほど
霊界の自分自身も
神界の自分自身も
光のうちに
働くことが
できるのであります
人間というものは
三界をつらぬいて
神に直結している存在であり
本来
自在身でありますが
その自在な働きをつよめ
深めるものは
ただ
ひたすらなる幼な子のような祈りなので
あります

我々は
死んでから
はじめて
あの世に行くのではありません
この世で
日々を送りながら
同時に
あの世にも存在しているもの
なのであります
むこうでの事象が
徐々に
こちらにおりてきて
そして
現実になってゆく
そういう意味で
現世は
あの世の
鏡だということが
いえますが
微妙な霊妙な波動を
光のままにおろして
そして
私どもが
肉体人間のままに
それを受けて
働くために
是非とも必要なのが
祈りなのであります
消えてゆく姿で世界平和の祈り
なのであります

世界人類が平和でありますように
日本が平和でありますように
私達の天命が完うされますように
守護霊様守護神様
ありがとうございます
と唱えると同時に
天と地に
光の柱ができるのであります
この世とあの世を
一つに結ぶはしごがかかるのです
そして
この祈りを唱えてゆくときに
守護霊守護神の助けを借りながら
私ども自身が
実は自在に
こちらとむこうを
目にもとまらぬはやさで
行きかっている
というのが
本当のところなのであります

生命というものは
尽きることがありません
この世とあの世というのも
実はずっと連なっていて
私どもはいつも
両方の住者なのであり
瞬々刻々の
心境に応じて
その場その場で神に素直になるための
修行を
おこなっているのであります
       平成2年2月21日

生も死も ひとつにとけ合っている

2020-03-28 09:12:18 | 祈り
生死一如
生もない
死もない
生も死も
実は
ひとつにとけ合っている
という
言葉が
ありますが
これは
本当です
生も死も
ただ
ねむって
覚める
それほどの
ちがいでしか
ないのです

人間というものは
神の愛をうけながら
永遠に
進化をかさねてゆく
存在なのです
自らの光を
もっともっと
世界平和の祈りのなかで
かがやかせてゆく
そういう存在なのです
ですから
この世に生きることも
あの世に生きることも
本当はおなじなんです
ちっとも
かわったところなんて
ない筈なのです

ただね
地球という
この星を開発するために
私たちが地上におりて
一生懸命働いている間に
我々は
我々自身が光なんだということを
忘れちゃったんですよね
だから
本来の生命の姿っていうものに
かえっていかないといけない
かえれば
本当に自由になるんです


そのかえり方を教えるために
釈迦とか
キリストとか
法然さんだとか
いろいろな人が
今までに出てきたわけです
そして
最後に
私が出て
世界平和の祈りを
説いたわけです

この祈りは
本当に神の光明
大光明なんです
この祈りのなかで
人類一人一人が
その本心の光に出会うことが
できる
真実の自分に出会うことが
できる
真実の自分とは
何だといえば
とらわれも
こだわりもない
ただ
大いなる生命に
まかせて
流れのままに
生きてゆく
そういうものですよね
ふんわりしてるんです
心配も何もしない
しなくていいんです
光なんですから
突きつめていけば
みんな光なんですからね
その光が
この肉体にともっている
だけど
この肉体が
あなたじゃないんです
光があなた自身なんです
自分自身なんです
肉体というのは
この地上でいずれ
くちてゆくものですが
生命というものは
くちてはいきません
その生命を
我々は
この胸に抱いているんです

どうぞ
このことを
しっかりと覚えて下さい
そして
祈って祈って祈り抜いて参りましょう

世界人類が平和でありますように

いのちは 永遠にむかって流れている

2020-03-27 10:18:14 | 祈り
生命(いのち)は
この肉の身をつらぬき
霊身をつらぬき
宇宙を
つらぬいて
ずっと
神のみこころへと
つづいて
いる
その
みこころは
何かといえば
慈愛であり
ゆるしであり
平和である
いのちは
すでに
愛とゆるしと
平和の光に
抱きとられて
神とともに
永遠にむかって
流れているのである