宇宙(そら)は家

宇宙(そら)へ還ろう! 
五井先生は、両手を
広げて待って
いらっしゃいます。
(リンクフリー)

私たちは 神様からのいのちを託された者同志

2021-05-31 11:18:39 | 祈り
    (前日からの続き)
ですからこそ、それぞれが違う立場に
いても、違う宗教にいても、違う人種
であっても、違う文化であっても、
お互いがまさにわかり合えなくても、
それでも大元のところは繋がっており、
大元で私たちは呼び合っており、同じ
真正な神様からのいのちを託された者
同志であるという、その大きな事実、
真実、取り去りようのない真実、それ
によって私どもが生かされている
というところにもう一度、お二人が
立たれて、その上で滅私奉公ではなく、
自らの身体も大事になさりながら、
いろんな人のことを理解をしたい、
寄り添いたい、すべてがわかる訳では
ないけれど、すべての人のことを
祈りながら、そして神様の大愛を
この世に降ろすのだという、そういう
決心のもとに言葉を広めていって
いただきたい。

そのことを申し上げたくて、今日
おいでいただいた次第であります。
      (つづく)

人々を 本来のいのちの大元に戻してゆく

2021-05-30 08:15:28 | 祈り
    (前日からの続き)
非常に大まかに申し上げれば、
いろんな災害、それが昔から申し上げて
おりますように、人々の不安の想念が
そういったものを引き起こす。
そして大浄化でもって、いろんな爆発が
起こったり、天災が起こったり、死も
いろいろ起こったり致しますけれども、
しかし今のこの戦っているところが多く
なっている、あるいは戦わなければ
領土が勝ち取れない、あるいは他民族を、
あるいは人種を、自分だけが残りたい、
人を蹴落としたい、そういった想い、
それが強くなっている。

今こそ、そういったものを取り去る。
大根を引き抜くように、魚を一本釣り
するように。

神様の大愛というものを武器にして、
鎧にして、そして人々を本来のいのちの
大元に戻してゆく。
そのための祈りこそが世界平和の祈り
であり、そのためにこそが、皆さんが
預かっていただいている、あの原稿の
言霊たちであり、(私)昌久もまた、
大神様からこちらに遣わされた一人の
霊止(ひと)であります。
           (つづく)

本来のいのちの道すじに 導いていくべきである

2021-05-29 11:01:01 | 祈り
    (前日からの続き)
それは一人ずつの80年、90年、
あるいは今では100年のいのちの中で、
徐々に徐々に進化を遂げればいいでは
ないかという、そういう人もおりますが、
しかしながら今この地球存亡と言っても
いいような、この地上の乱れた波という
のは、もちろん私どもは必死に、
(白光真宏)会の人たちも必死に祈って
下さっておりますけれども、さらに
具体的に各国の先ほどから申し上げて
いる政治やさまざまなことが乱れている、
乱れさせている。

それぞれの人々のそれぞれの不安が
それを生んでいるのでありますから、
不安の反対の安心、愛念、祈り、安らぎ
そして思いやり、やさしさ、穏やかさ、
こういったものこそが、治(ち)に居て乱を
忘れず、乱に居て乱に把(とら)われず、
そういった私どもの本来のいのちの
道すじに立ち返る、そういうところに
自らもまた人々も導いていかなければ、
この地上のこの乱れた空気というものは
やはりまだ、よどんだままで大変になって
ゆく。
          (つづく)

この地上に 私どもが生きている意味

2021-05-28 07:17:27 | 祈り
     (前日からの続き)
大きな愛念は大神様、宇宙神、大宇宙神、
それは我々人類のいのちの源、存在の
大元、そういったところからしか
生まれ得ないものでありますが。

私たちがこの地上に何年間生きて、
あるいは死に変わって、また生きて、
そして生まれ変わって、また生きて…
なぜそういうことをやり続けているか
というと、この愛念によって私たちの
いのちは溶かされ、生かされ、そうして
このすべてのものは進化をしてゆく
ということを魂に刻み込み、私たちが
また光のひとすじとなって、宇宙に
帰ってゆく。
そのことのために、この地上に
私どもは生きているのであります。
       (つづく)

愛念が いのちを正しい方向に導いて下さる

2021-05-27 08:17:36 | 祈り
    (前日からの続き)
何もかもがなくなった時に、人はまず
飢えます。
いのちの心配をします。
生きるために必死になります。

そういうところに白光という、
世界平和の祈りという祈り言は、
神様から私が預かって、この祈り言が
そういうところに降り立ったので
あります。

今地球は、そして地球から遠く離れた
宇宙を含めて、本当の意味の光明や、
本当の意味の明るさや、本当の意味の
愛念といったところから遠くならざるを
得ない。
自らのことで必死であり、自らの
いのちを守ることで汲々とし、不安に
さいなまれながら、どうやって日々を
つむいでいくかということ、そのことに
まず目を奪われているような、この日常
だからこそ愛念というのを強く燃え立た
せて、そうしてその愛念というものが、
私たちのいのちを正しい方向に導いて
下さるのだ。

なぜなら、この愛念というものは私たちの
孤独や、私たちのわがままや、私たちの
情念や、私たちの感情から生まれる
はずはないものであります。
            (つづく)