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砂漠の音楽

本と音楽について淡々と思いをぶつけるブログ。

くるり「THE WORLD IS MINE」

2018-03-31 10:45:14 | 日本の音楽

年度末、どさくさに紛れて更新します。
今日は仕事が終わったあとに勉強会があって、それから花見が待っています。
今年の桜は思っていたよりもあっという間に開花しました。
来週にも花見やるんだけどこのぶんだと木を眺めるだけになりそう。
それも悪くないか、普段木を見ながら酒を飲むこともないので。



さて今日は春に聞きたいアルバム、くるりの4枚目『THE WORLD IS MINE』です。
地味だけど好きなんだよな、このアルバムが。
というわけでパパっと紹介いたします、花見が待ってる!

~今作までのあらすじ!!~
前作『TEAM ROCK』を制作するなかで、メンバー間の軋轢が顕著になったくるり!!
特にフロントマンの岸田とドラムの森の関係はひえひえに…。
その打開に、岸田はみんなの大学の先輩である大村達身(Gt)をバンドに誘い調和を目論む。
大村が加入して、なんとくるりは4人組になったのである!!
関係はわずかに修復されたが、根本的な問題解決には至っていない…。
果たして、この状態がどこまで続くのか~!?
次回!「森、脱退ッ!!!」乞うご期待!!


このアルバムについて。
好きなんだけど、とても難しいんです。何が難しいかって、このアルバムの良さを言葉にするのがです。今週ずっと聴いていたんだけど、それでもこの作品の魅力を伝えられる自信がない。まずそれはどうしてかっていうところから、考えてみましょう。

①ぼわぼわしている
なんじゃそりゃ、って感じもしますが。
要するに曲の輪郭があいまいなものが多いのです。2nd『図鑑』はもちろんのこと、3rd『TEAM ROCK』もそれなりに尖った曲がありました(図鑑は尖りすぎていた気もする)。一方今作は曲のイントロ、アウトロのインパクトは薄めだし、アルバムの終わり方も歌が終わって、波の音が聞こえてきて、あれ、終わった...?って感じなんで。だからなかなか思いだせない曲とかもあります、でもアルバム全体のバランスはよく仕上がっている。煮込みすぎて肉の溶けたスープ、みたいな感じでしょうか。肉そのものがうまい!とは言えないけど、あれなんか、何入っているかよくわかんない、けど巡り巡ってうまい...みたいな感じです。自分でも何言っているかよくわかりませんが。

②モノトーンで冷たい曲が多い
#1「GUILTY」や#3「GO BACK TO CHINA」では盛り上がるし、途中いきなりバグパイプが聞こえる曲もあるけど、「静かの海」とか「ARMY」「アマデウス」とか、あいだに入る曲によってかなりトーンダウンします。後半「水中モーター」「THANK YOU MY GIRL」でもテンション上がりますが、それも最後の「PEARL RIVER」で沈められていく。狙って作ったんじゃないかというくらいに、聞き手をダウンさせるベクトルに向ける曲が多い。それから歌詞も、全体的に意味が良くわからない、断片的な言葉の使い方をしています(「MIND THE GAP」とか特に)。情感を伴っているのは「男の子と女の子」「THANK YOU MY GIRL」くらいではないでしょうか。そういったこともあって、いわゆるメッセージ性みたいなのを聴き手が感じ取ることが難しい。あえて聴き手との距離をとっているようでもある。

そういった特徴が、この作品の理解を難しく、そして面白くもしているのかなと思います。
わけのわからないエネルギーやリビドーが爆発した『図鑑』も大好きですが、浮足立ってしまう春先には、これくらいぼわぼわしたアルバムが心地よいのです。


好きな曲紹介。
#1「GUILTY」
罪悪感、というタイトル。なんか始まってはすぐ制止がかかり、後ろからポッポッポッポッ...という木魚のような電子音が聞こえてきます。ギターが聞こえてきたかと思うと「いっそ悪いことやって 捕まってしまおうかな」と後ろ向きで投げやりな歌詞。途中で急に盛り上がるものの、やがて再びトーンダウンし、何事もなかったかのように元に戻ります。浮き沈みが激しく、春の嵐を想起させる曲。


#3「GO BACK TO CHINE」
とてもノリのよい曲、絡み合うギターに、絡み合うリズム隊。ハイハットのアクセントの位置が気持ちいいですね。岸田のギターの音も、かすんでいるようであり良く抜けているようでもあり。映像はライブ盤。ライブ盤だとクリストファーのドラムが前に出すぎて違和感。

.Go back to China .Quruli



#4「WORLD'S END SUPERNOVA」
地味なシングル曲。でもよくよく聴いているとくせになるというか、飽きのこないスルメ曲。Cメロが好き。

いつまでも このままでいい
それは嘘 間違ってる


この辺は岸田の本音のような気もする。あと「重なる夢 重ねる嘘 重なる愛 重なるリズム(リィーズームー)」の部分も好き。こちらもライブの映像。

くるり - ワールズエンド・スーパーノヴァ <武道館2004>


#10「男の子と女の子」
名曲。サビのコーラスが不思議、浮遊感がある。

女の子はわがままだ よくわからない生き物だ
でも優しくしてしまう 何も返ってこないのに


シンプルだけど実に良い歌詞。実際その通りなんだけど「よくわからない生き物」と表現するあたりも憎い。
昔はそんなにピンときませんでしたが、年を取ってから、こういった何気ない歌詞がウッと胸に来るようになりました。
しかし年をとっても女の子がよくわからないのは変わらないぜ、そんな話はどうでもいいか。

くるり - 男の子と女の子


#11「THANK YOU MY GIRL」
アルバムで一番好きな曲。ギターの音、ヴォーカル、コーラス、様々な音が重なっていて、そのせいかすごく温かみがあります、聴いていると安心する。余談ですが、前の曲では女の子に対して「よくわからない生き物」と歌っていたのに、この曲ではひたすら感謝をしている。いったい何があったのでしょうか。まあいいか。

こうして並べてみると、結構好きな曲が多いんだよな。本人たちがどの程度意識しているか不明ですが、冷たい手触りの曲があいだに挟まることによって、#10や#11の温かさがより引き立つようにも思います。この作品はイギリスのグラスゴーでレコーディングされましたが、作業はかなり難航したらしいです。その甲斐があってかわからないけれど、彼らの作品のなかではとても好きなアルバムです。


このアルバムは高校生の時に買って、最初は「えっ地味...」と思ってそれからしばらく聞いていませんでした。でも大学生になって改めて聴いて「あれれれ、こんな良かったっけ!!!?????」と衝撃を受けた記憶があります。それがちょうど春先の、風が強くて桜の花が散っている頃でした。そのせいか、毎年春になると聴きたくなります。今年もまた、ぼわぼわした春がやってきたのです。

キリンジ「メスとコスメ」

2018-02-06 12:02:03 | 日本の音楽

いつ見てもすごいジャケット

イエーイ、今回は単曲のご紹介。
キリンジの名盤『3』の11曲目、「メスとコスメ」です。訳あって最近この曲をずっとリピート再生していて、やはりこれはキリンジの、というか兄高樹氏屈指の名曲なのではないか、と思いまして。「ハピネス」「ロマンティック街道」と兄曲はブラックなものが多いけれど、そのなかでもこの曲は本当にいい。何がいいって歌われている世界観も、演奏も素晴らしいのです。

まず演奏について。
大きな特徴はなんと言っても兄がヴォーカルなこと。「グッデイグッバイ」や「悪玉」でも途中で歌うことはあったけれど、最初から最後まで歌うのはこの曲がはじめて。よりによってなぜこの曲を、という気もしますが、よっぽど思い入れがあるのでしょうか。あるいは「俺が作った曲だ」と主張したいくらいに、自信があるのかもしれません。妖しいサウンドに、兄の繊細な声が映えますね。
楽器隊はベースとドラムが8分で刻み、その上にエレピ、エフェクトを噛ませたギター、オルガンが乗っています。音数自体はあまり多くないのですが、何だろうこの力強いサウンド。そしてキリンジではよくある話ですが、すごいコード進行をしています。オンコードとか6度とか、そういった和音によってこの面妖な雰囲気が醸し出されているのでしょう。Aメロの1回目でA/G→F6となっているところが、2回目だとA/G→A/F#→F7となっているのが小憎らしい。
要所にちりばめられている鍵盤はもちろんのこと、どの楽器にも少しずつ「おいしいところ」があります。エレピはソロがあるし、ドラムは2回目のサビ前のフィルが、ベースはCメロ後の間奏部分と最後の「優しく泣いた後のように」のところが格好いいです。それから、最後のサビでは後ろで鳴っているカッティング気味のギターがいい味を出している、ていうかこれどうやってんの。
ベースは基本、ルートとそのオクターブをずっと鳴らしていて、時々フレーズを弾いている程度。決して難しくないのだけど、オクターブの音がハネるように演奏されているからか、独特のノリが生まれている気がします。それがちょっともたっとしたドラムと噛み合って、聴いていてすごく心地よいんだな。おにぎりが好きなんだな。

歌詞について。
「不二子もハニーも真っ蒼」と出だしはかなりファニーな感じです(※笑いどころ)。ふざけているのかと思いきや、「肋骨を抜いたね 面の皮を剥いだろう」「蛾を思わせる その眉」と、このあたりで早くも不穏な雰囲気が漂っています。歌詞の描くストーリーは、昔付き合っていた女性が整形して目の前に現れた、というもの。よくこれをテーマにしたよな。伊藤潤二の漫画にありそう。
「メスとコスメ」のメスは女性ではなく、手術で使うメスのこと。それから「鼻高々」は誇らしげであることと、整形して鼻が高くなったことも言い表していて、ダブルミーニングになっている。言葉遣いのセンスがまぶしいぜ。それから「いつでも君のまぶたは 優しく泣いた後のように 美しかった」というのは、整形前は一重で「泣いた後」のような腫れぼったいまぶたをしていた、ということなのでしょうか。なんというメタファー。
そして昔の彼女に対しては「美しかった」と歌っていて、今の彼女には「きれいだぜ」と歌っている。女性としては、どっちを言われた方が喜ぶものなんでしょうね。過去形になっているから「今は美しくない」とほのめかしているようにも聞こえる。なんとも皮肉に満ちた歌詞です。
といったところでリンクを貼っておきます、ニコ動のもの。見られない人はアルバム借りるor買ってください。本当にいい作品なので。

そういえばCメロの部分で弟がコーラスで参加します。「熱い紅茶も 冷める距離だね」と兄弟で歌っている。とても素敵なフレーズ。紅茶を淹れる時はだいたい沸騰したお湯を使うので100℃だとして、冷めた状態を30℃程度だとして。一体どのくらいの距離があったら熱い紅茶が冷めるのか?空想科学読本の作者に検証ほしいですね。これってトリビアになりませんか?季節によって変動しそう。そんな話はどうでもいいんですけど。


歌詞の部分でも言及したのですが、昔付き合っていた女性が別人のようになって姿を現すのは、どんな気持ちがするものなんでしょうね。「僕の胸の奥に棲む 君の面影を塗り替えに来たの」という歌詞。ここの「来たノ~ォウォ?」みたいな歌い方が個人的に好きだったりする。

元カノが整形して現れることは非現実的ですが、大なり小なり変化した過去の女性と遭遇するのは、ありえない話ではない。そういった時に感じる「喪失」や「悲しみ」「やるせなさ」を、やや空想的な歌詞にして歌い上げたのかな、と。私の勝手な想像だけど、昔好きだった女性が変な男と付き合ってたりすっかり変わっていたり、そういったことに兄がショックを受けたのかもな、なんてね。兄がそういった個人的体験を歌うことなんて万が一にもないことかもしれませんけど。そういうの、嫌いそうだし。

ゆらゆら帝国「空洞です」

2017-12-21 12:33:51 | 日本の音楽


「あの、ご趣味は?」
「ブログ更新を少々…(ポッ)」
「奇遇ですね!僕もそうなんです!」
「あら、私たち気が合いますわね。…どんなタイトルなんですの?」
「砂漠の音楽」
「え?」
「砂漠の音楽」
カコーン(ししおどしの音)


年末なのでブログを書きます。ここ最近寒くて蒲団から出られずに滞っていましたが、今年はあと1回くらい更新したいと思います。蒲団から出られるかどうかはわかりません。家から出られるかはもっとわかりません。冬眠したい。

さて今年も終わりということで、最後にふさわしい1枚、ゆらゆら帝国の『空洞です』について。彼らの作品のなかではこのアルバムが一番好きです。個々の曲は地味ですが、アルバム全体が非常にうまくまとまっているのも大きいかな、曲数も少なめ。最後の作品に詰め込むよりも、自分たちの納得のいくものを厳選したのでしょう。曲自体は初期のような奇抜な勢いもないし、『めまい』『しびれ』以降のヘンテコな感じも薄く、どちらかと言えば淡々とした演奏でわりに聴きやすい作品だと思います。これを聴いてぐっと来た人が『めまい』や『しびれ』を聴くと、本当にめまいを起こしそう。

曲のタイトルが素晴らしいのは相変わらずで、「できない」「あえて抵抗しない」「やさしい動物」このへんの並びのセンスが素晴らしいと思います。タイトルのセンスが光っているのは「うそのアフリカ」「されたがっている」と初期の頃からですが、ちょっと聞いただけでもぐっとくるものが多い。どうやって思いつくんだろう、本当に不思議。

曲の紹介。M1「おはようまだやろう」では甘美なサックスのメロディが流れ、彼らにあるまじきお洒落さが漂っています、とはいえどこか昭和歌謡のような雰囲気もあります、それがまたいいんだけど。あと上に書いたM3「あえて抵抗しない」も好きです。「ホゥッ」という奇怪な掛け声とともに、トレモロのかかったギターのリフと単調なドラム。そして「さしずめ俺は一軒の空き家さ」「住もうが 焼こうが 好きにすればいい もししたいのなら」という歌詞。これはどういう意味なんだろう、どういうつもりなんだろう。歌詞だけ見ると諦めの気持ちが強そうですが、「諦観」「無気力」というより「お前の主体性はどうなんだ?お前はいったいどうしたいんだ?」と問いかけているような気もする。「空き家」「くぼみ」などの何もない空間について言及されていて、アルバムタイトルの『空洞です』と若干の関連性がある曲。リンクはライブ(?)のもの。マラカス楽しそう。

ゆらゆら帝国 - あえて抵抗しない


一番好きな曲はM10「ひとりぼっちの人工衛星」。静かなパーカッションのリズムとともに立ち上がり、淡々と繰り返されるギターのリフ、繰り返されるリズム。間奏で鳴るフルートが良いし、サビのメロディも好き。タイトルもそうだけど歌詞も切なくて、「役目を終えた さよならをした 軌道を逸れさあ行こう 果てまで」「好きな人 好きな場所 好きな星」と少しずつ遠ざかっていく感じ。死を連想させる曲。Youtubeに音源がないのが残念、気になる人は借りるか買ってくださいな。

そして最後のタイトルトラック「空洞です」。こんな曲、どうやって思いつくんだろう、どんな心境で作曲したんだろう。何度も「それは空洞!」と歌いながらも、歌詞の中では「面白い」と言ったり、トゥットゥルーと楽しげなコーラスが入ったり、悲壮な感じはしません。M10で死んだあとに、「空洞」つまり「無」になるってことだけど、それはそれで悪いことじゃない、むしろ面白いんだ、そんな風にも解釈できるのでは。もちろん彼らの音楽に、理屈をこねたような解釈など野暮なのでしょうが。

ゆらゆら帝国 『空洞です』


「できない」「あえて抵抗しない」「ひとりぼっち」「空洞」と、字面だけ見るとなんとも物悲しいのですが、聴き終ると何かよくわかんないけど元気が出るアルバム。麻薬でも入ってんのかな。
今年ももうすぐ終わりますし、人生もあっという間に過ぎていきます。過ぎ去った日々を「美しい思い出に満ち溢れた素晴らしいもの」と否認、美化するのではなく、「空洞のようなもの」「無為な時間」であったことを直視しつつ「それでもいいじゃん」と思う強さ。そんな強さがこのアルバムには秘められているようにも思うのです。あー今年もあっという間に終わりそう!悲しい!空洞!!

小沢健二「LIFE」

2017-10-13 12:18:42 | 日本の音楽


この頃近所の公園をジョギングしています。夜に1時間程度、週1~2くらい。この公園は駅から近いわりに大きくて、近所に飲み屋なんかもあるもんだから、夜でも学生や若者がそれなりにいます。走っていて思うのが、まあカップルの多いことよ。
別に嫉妬とかしているわけじゃないですし、彼らの実情は当人にしかわからないと思うんですけど、夜の公園を、手をつなぎながら静かに歩いているカップルってどこか輝いていますよね。幸せオーラを周囲に散布しているというか、ある種の「無敵感」が漂っている気がします。「私たち、幸せでーっす!!あ、そこのあなた、どうですかー!?」みたいな。考えすぎかな。…いや別にうらやましくなんかないですからね?なんだよそんな目で見るなよ。


さて前回の『Japanese Couple』に引き続き、恋愛のことを歌った作品として小沢健二の『LIFE』を。はじめ方がいつになく強引な気もしますが、強引さから始まる恋愛もあるということで、ここはひとつ。

このアルバムについて簡単に。シンプルなサウンド、祈りにも似た美しい歌詞が魅力的な1作目『犬は吠えるがキャラバンは進む』から約1年ぶり、1994年にリリースされました。たぶん彼の中では一番ヒットしたアルバム。スカパラによるホーンセクション、服部さんによるストリングスのアレンジなど、1作目とはずいぶん雰囲気違うというか、きらきらした曲が多く感じます。しっとりしているのはM4「銀杏並木のセレナーデ」と、オザケンのなかでも声に出して読みたくないタイトル第1位のM8「おやすみなさい、仔猫ちゃん!」くらいかな。なんだよ、仔猫ちゃん!って。

曲の元ネタや歌詞の解釈、あるいは韻の踏み方など、本作を理解する方法がいくつかありますが、そういうのはもう他のところでたくさん書かれているし、ここは「恋愛」を主眼に置いた視点からこの作品を理解しようと試みたいかと。なんでかって?たまたまそういうテンションだったんだよ、なんだよそんな目で見るなよ!!

彼が恋愛のことを歌にするのはFlipper’s時代にもありましたが、「恋とマシンガン」や「ワイルドサマー」など、2ndアルバムでちょっと触れられているくらいだったかな(3枚目は虚無で満ちていたので恋愛どころではない感じがあります)。でもあの頃の歌詞は思春期の男の子のロマン、と言えば聞こえはいいかもしれないけど、なんだか空想的というか、昔の映画を見ているような気持ちになったものです。現実的な世界の、身近な人物との恋愛といった感じはしませんでした。
しかし本作は違うのです。

―寒い冬にダッフルコート着てきみと 原宿あたり風を切って歩いてる
M4「ドアをノックするのは誰だ?」

―ほんのちょっと誰かに会いたくなったのさ 
 そんな言い訳を用意して きみの住む部屋へと急ぐ

M1「愛し愛されて生きるのさ」

など、あたかもありふれた日常を切り取ったような歌詞が頻出します。
そうかと思えば

―遠くから届く宇宙の光 街中で続いていく暮らし
―美しい星に訪れた 夕暮れ時の瞬間
                 
M7「僕らが旅に出る理由」

こんな風に視点というか、スケールの大きな歌詞も出てきます。以前『犬』について書いたときにも言及しましたが、この頃の彼のすごいところは「対象との視点の距離感」だと思います。ごく身近なこと、共感しやすいことを歌ったかと思えば、「神様」や「宇宙」と話が一気に大きくなる。でもそれが決して突飛な比喩や対比として出てくるのではなくて、そういった「人間の限界を超えたもの、手の届かないもの」があるとしても、結局は日常と地続きになっているのだな、と感じさせるところです。のちに出すシングル曲「さよならなんて云えないよ(美しさ)」でも、こんなフレーズがあります。

―左へカーブを曲がると 光る海が見えてくる
 僕は思う この瞬間は続くと いつまでも


この瞬間と永遠を、身近なものと絶対的なものを同時に歌っているあたりが、実に彼らしい(個人的には彼の中で1、2位を争うくらい好きな曲です)。こういった対比が彼の歌詞には非常に多い。また、今作では恋愛がテーマになっていますが、恋愛と言ったらほとんどが10代や20代のような、人生のある期間に生じるごく短い体験です。しかしそういった経験がその後の私たちの人生を決定づけるというか、誰かと恋愛をして、結婚して、子どもができて…そういったことが積み重なって、このアルバムのタイトルでもある生命『LIFE』が続いていく。恋愛という誰かに対する思いが、その後の生命の営みを結果として存続させていく。そんな風にも理解できるんじゃないかな、と思うのです。あれ、なんだか結局歌詞の解釈になってしまった。

この後もシングルで恋愛のことを歌った曲をいくつかリリースしていますが、次のアルバム『球体の奏でる音楽』では、恋愛のことはほとんど歌われていません。音楽性もアルバムごとに変化する人だし、あれこれ興味が移り変わりやすい人なのでしょう。でも彼の根底にあるのは、やはり自分を含めた「身近なもの」と、「私たちの力の及ばない、大きなもの」との対比というか、対話のようなものではないのかな。

あ、一応曲紹介ということでM2「ラブリー」を。決して派手ではないんだけど、そして7分もあるんだけど、聴いていて飽きがこない納豆ご飯のような曲です。いろんな人にカバーされていますね。PVはラブリーというよりもバブリーな感じがしますが。「いつか悲しみで胸がいっぱいでもー」と、修行先のお寺で早朝の雑巾がけをしながら、よく口ずさんだものです。

小沢健二 - ラブリー



このアルバムは秋になると聴きたくなります。音はいくぶん古さを感じるし、歌詞はところどころクサいし(「空に散らばったダイアモンド」とか)、聴いていて妙にくすぐったい気持ちになるのですが、そういったこともあって私は『球体の奏でる音楽』の方が好きです。でも思春期や青年期のはじめに書いた作文を読み返しているような、ちょっと照れ臭いけどあの頃の熱い気持ちを思い出す、そんな作品なんじゃないかと思っています。

□□□「Japanese Couple」

2017-10-03 17:34:27 | 日本の音楽

仕事がハチャメチャ忙しいのですが(白目)

今までずっとブログの合間に仕事をしていました。しかしなんやかんやあって急に忙しくなり、今後はとうぶん仕事の合間を縫ってブログを書くことになります、辛い。お前なに言ってんだよ、仕事しろよ!っていうバイオレンスな声がどこからか聞こえてきそうです。いやいや、ブログ書かないとやってられないんだってば。そのくらい辛いんだってば。
え?仕事を何だと思っている?甘えるなって?じゃあ聞きます、あなたはせっかくこの世に生まれてきて、仕事するために毎日生きてるの?…ダメウーマン!私たちはね、仕事するために生きてるんじゃない、生きるために仕事してるの!大事なのは今この瞬間をどう生きるかなの、だから、だから私はブログを書くの…!(屁理屈)


若干ネタの旬が過ぎてる気もする。
今日ピックアップするのは、前にもこのブログで紹介した□□□(くちろろ)です。最新のフルアルバム『Japanese Couple』、最新と言ってもリリースされたのは2013年のことで、それ以後彼らはthe band apartとコラボしたシングルだったりEPだったりをリリースしているわけですが、精力的に活動していたのはこの時期までなのかなって感じがします(この後レコード会社を移籍したので、締め切りに追われていたっていうのもあるかもしれません笑)。そろそろ彼らのフルアルバムを聴きたいなあ。

タイトルの『Japanese Couple』が表す通り、本作は一種のコンセプトアルバムというか、全編恋愛をテーマにした曲になっています。でもなんか、恋が叶ったヤッホー的なノリでも、俺がお前をずっと守るぜウェーイ的なノリでもなくて、二人はもうずっと恋人で、一緒にいるのが当たり前で、時が経って、やがて夫婦になって…というような日常が融けだすような詞。特別なことを歌っているのではなく、ごく当たり前の日々に遍在している、人と人とが恋愛で結ばれている、そんな要素を抽出したような歌詞です。そういったところがとても素敵だな、と。思えば前作の『Everyday is a symphony』もある意味似たような内容でした。毎日が音楽で、日常に溢れるメロディや、織りなされるシンフォニー。サンプリングの嵐で聴きなれるまで大変だったけど。

彼らの音楽を聴くたびに思うのは、大半の作詞作曲を行う三浦康嗣氏の視点がユニークだな、ということ。「重箱の隅をつつくような」といえば聞こえは悪いかもしれないけれど、他の人が気にも留めないようなことを拾ってきて、丁寧に曲や言葉にしている、そしてそれを聴いていると、自分がとりとめもなく過ごしている慌ただしい日々が、なんだか捨てたもんじゃないなって思えてくるのです。壮大ではないけれど、そういう音楽もいいじゃないの。

さて仕事が忙しいのでぱぱっと曲紹介。
M1「ゆっくりと」映画の最後に流れるような、ミドルテンポでポップな曲。彼らにしてはコード進行が素直な気がする、サビとか特に。でも落ち着く曲。何もなかったように、と歌詞にあるけど別れの歌なんだろうか。それとも何もなかったと思えるくらいに、二人が自然な関係ということなんだろうか。

□□□(クチロロ) - ゆっくりと


M3「デート」
ここからサンプリングなどが多用され、「ああ、これこれ、これが□□□だよな~」って感じがあります。村田シゲ氏のベースラインがむちゃくちゃ良い、特に5分くらいと6分20秒くらい。後ろで鳴っているピアノはスティーブ・ライヒの音楽のようにずうっと同じフレーズを弾いているのですが、ベースラインでコードの変化を表してくるあたりが憎い。実にいい曲だなって思います。残念ながら動画はないのですが、気になった方はぜひ聴いてみてください。秋の公園を散歩しながら聴きたい。

M9「ふたりは恋人」
どことなく切ない演奏をバックに、「ふつうの恋人」を歌ったような曲。「ふっふっふっふ」というコーラスが面白い、たぶん「夫婦」にかけているのでしょう。ふたりの時間の流れを表しているのだと思うけど「バースデイケーキを吹き消すように 死に近づいてく 二人を祝福してる」という歌詞にドキリとする。そしてこのPVはなんなんだ、一体(笑)。制作された方の思いもあるのでしょうが、若干インパクトが強すぎるので曲に集中できなくなります。まずは目をつぶって曲だけ聴いてください、お願いだから。

□□□(クチロロ) 「ふたりは恋人」MUSIC VIDEO


ユーミンのようなポップソングあり(M4の「ダンドゥビ」というスキャットとか)、いとうせいこうの歌うヒップホップあり、エレクトロニカあり、ダンスミュージックあり。そして切ない歌詞だけでなく、「きみのbast waist best erect so let's insert」という下ネタ(?)あり、元カノの話など、三浦氏の引き出し多さにも感服します。恋愛って色んな捉え方が出来るんだよな、と改めて思う。彼らの目指すポップさ、耳への心地よさは損なわれずに、いろんなことに挑戦していこうとする姿勢が自分は本当に好きだし、アーティストとして尊敬します。似たり寄ったりというか、焼きまわしをしているような人たちも残念ながらいるので。あんまり知らないですが。


といったところでそろそろ仕事に戻らなくては。しばらくこんな調子か~仕事が暇過ぎるよりマシですが、ブログを書いたり音楽をじっくり聴いたりできないのは悲しいですね。なるたけ更新頻度は落としたくないけど、クビにならない程度に頑張ります。えっ?あなたは仕事するために生きてるのかって?やかましいわ!!