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砂漠の音楽

本と音楽について淡々と思いをぶつけるブログ。

ぶちのめすぞ

2025-01-28 17:59:28 | 日記

やってられないのでブログを書きます。


詳述すると職場からの特定が怖いので、少し曖昧に記述します。
Mother-in-lawと一緒に旅行に行きました、少し長めの旅行です。
今までも一緒に登山したり麻雀したりと交流はあったのですが、それでも旅行となるとさすがに疲れました。
途中で妻も加わってくれたので、それでかなり楽になりました。
Mother-in-lawもきっと私に気を遣って疲れたと思います、お互い様ですね。



長めの旅行は楽しかったです。
お金はかかったけど、手っ取り早く非日常を味わえました。
今まで勉強してきた中国語、英語を両方役立てることもできましたし。

しかしながら。
いざ使う場面になると“Can I use my 信用卡 吗?(クレジットカードは使えますか?)”と、ごちゃまぜになったわけのわからない文を繰り出してしまいました。
お相手の中国人も「こいつは何なんだ?」みたいな表情を浮かべていました。
私もそう思います。私はいったい何なんだ。

中国の方たちですが、困っているところで乗るバスを案内してくれたり、にこやかに対応してくれたり親切でよかったです。
しばらくサボっていますが、もう少し中国語の勉強を頑張らないとなあ。


仕事が押し寄せています。
正直、仕事自体はそこまで嫌ではないんです。
ただ、自分の持っているこの有限な時間、死ぬまでの短いひととき、その大半を仕事に費やしていることに、ふとつらい気持ちになります。

ラジオを聞きながら近所を散歩したり、カフェで本を読んだり、自転車で遠くまで行ったり。
ちょっと地味な温泉に行ったり、川沿いで夕暮れを眺めたり。
自分には、そういう時間がもっと必要だと思うわけです。
ウオオー、わがままは言わないから週3の労働で月100万円くれーッ!!
アウウウオアー、年2回でいいから3週間くらいの休暇をくれーッ!!!!!


先日は高尾山~陣馬山を縦走しました。だいたい18kmの道のりです。
朝9時半、高尾山口から稲荷山コースを登り始め、10時半に高尾山頂に到着。そのまま出発し、12時に景信山に到着。そこでなめこうどんを食べて30分休憩した後、陣馬山には14時過ぎに到着しました。このペースなら、もう少し朝早く出発すれば高尾~陣馬~高尾の往復ができそうです。いずれチャレンジしたいですね。

今回の縦走では、ゴールを陣馬山にしたのが良くなかったです。
陣馬高原下のバス停は1時間に1本しか来ないし、私が到着したときにはバスが4分前に出発してしまっていて。ただ待っているのもつまらないので、それから1時間くらい歩いた先にあるバス停まで行き、そこでバスに乗りました。車内は登山客でごった返し、まったく座れませんでした。うるるん。藤野の方に出ればよかった。


急に話が変わります。
ふと「誰かに優しくしてもらいたい」という気持ちになります。
ふだん誰からも認めてもらえていないとか、褒められないとか、孤独に生きているというわけではないのです。
なんなら妻はわりあい褒めてくれます、「働いてえらい」とか「運動してえらい」とか…たぶん私に対する期待値が低いのでしょうが、ありがたいかぎりです。

しかしながら。
それでも「誰か優しくしてくれ!」「俺に関心を向けてくれ!」という気持ちに襲われることがあって。おいおい、もういい年齢なんだぜ。いつまで思春期ボーイをやってんの?って話ですよ。狂ってる?それ、誉め言葉ね。

それはさておき。
どうしてこのような気持ちになってしまうのか。

もともと自分が寂しがり屋で、そういう性格傾向なのもあると思います。
昨年も妻がいないなか、思い出の琵琶湖一周をしたところ爆裂センチメンタルになりました。

それに加えて、仕事柄、職場のなかに渦巻く転移を引き受けているとも考えられます。
強烈にケアを求める対象に、絶え間なくケアを提供している人たち。その人たちをケアするというか。
人に優しさや関心を振りまく、ケアを振りまくのが業務みたいな部分もあります。
こうして文字にしてみると、なんだか自分がペテン師めいた業務をしているのでは…?これは本当に誰かの役に立てているのだろうか…?と疑問に思わなくもないですが。
何年もペテン師業務を続けてきて「まあ、これはこれで何かにはなっているのだろう」という感触も若干持てるようになってきました。


漠然とした話でわかりづらくて恐縮なのですが、わかりやすく誰かの役に立つことが、必ずしもいいことではないんですよね。もちろん、それが必要な場合もありますが。
たぶん私のように「あれ、このまま仕事の時間で人生が占められるの、つらいかも」「褒められなさすぎワロタ」みたいな気持ちになっている人って、たくさん巷にはびこっているのだと思うんです。

「こうしたら楽になれるよ!」「筋トレがすべてを解決!」みたいなアンサーで救われる人もいると思うのですが、そうでない人たちと一緒にうんうん頭を悩ますのも、それなりに意味があるのかなって。
そもそも意味があるってなんだよ、ぶちのめすぞ。
かかってこいよ資本主義、効率主義、成果主義、エビデンスベースド!!


とにもかくにも。
週6日労働したり、Mother-in-lawを異国でガイドしたり、高尾~陣馬を縦走したり。
私は頑張っているんですよ、でたらめな中国語を喋るものの、頑張っているんです。
ウオオアウオアウオー、俺を褒めてくれー!!

へっぴり腰マンの惑乱

2024-12-03 18:33:12 | 日記
疲れたなー。


風邪を引いています。
11月末に行った山手線RTAのせいか、体調を崩してしまいまして。
先週から今週にかけて、ずっと咳が出ていて。
治そうと思って早めに寝るのですが、咳で夜中や明け方に目が覚めます。

熱が出たら絶対休もうと思っていたのに、肝心の熱が出ない。
夜中に「あっ!これ絶対熱ある!!明日朝イチで測ろう、ヤッピー!!」と思うんですよ。
翌朝、体温計を使うと36.6℃。なぜなのか。
働きたくないょ。

例年この時期になると風邪を引いています。
エアコンによる乾燥のせいでしょう。
以前談春の落語を聞きにいった際も、咳を我慢するのにえらい難儀しました。
また酒を飲んで寝ると、体調を崩すことが多いです。
酒を控えねばな。寂しいことではあるが。
酒を注がずに、衰えゆく自分の身体にまなざしを注がなくてはな。


仕事が忙しく、仕事の夢を見ます。
夢のなかでも仕事をしていて、そのぶんの残業代ほしいょ。

仕事をしながら、人間と人間のあいだをうろうろしながら、ふと考えること。
つい、上手く立ち回って傷つかないようにしたくなります。
しかしながら、ちゃんとぶつかり合わないといけないこともあるなあ、と。
怒ったりぶつかったりするのはエネルギーを使うし、気持ちが揺り動かさたり、落ち込んだりするから嫌なんですが。それも仕事っちゃ仕事なのかな。簡単に割り切れないけどね。


思えば。
人との衝突を避けてきた人生でした。
昔付き合っていた女性とも、ちゃんとぶつかって、喧嘩をしてぐちゃぐちゃになって別れたことがほとんどないかもしれません。
私の方から連絡を取らなくなって、終わり。デタッチな別れ方をしていました。
いま振り返ると、ほんとうに申し訳ないことをしたなと思います。


数年前、大学時代の指導教官や先輩たちと症例検討したことがあって、私が発表をしました。
その時に言われたことが、今でも記憶に残っています。
「○○さんの治療態度、変に上品というか、はっきり言ってへっぴり腰だよね」と。
別の後輩からは「この人にちゃんと向き合っていないように思います」と。
そのあと、落ち込みながら同期と筑波山に登りました。
「私がやっていたのは、やってるふうに過ぎなかったんだな、全部自己満足だったのかもしれない」とか「クライアントに申し訳ないことをした」と呵責の念に苛まれました。

先日亡くなられた谷川俊太郎さんの言葉に「やさしさは愛じゃない」というものがあります。
そうなんですよね、優しくすることが愛ではないんです。ときに厳しいことも、直面化も必要なのです。

でもつい優しくしちゃう。
自分が不快な思いをしたとしても「この人にはこの人なりの理由があるのかも」と思う。
それはね、本当にそう考えてるわけじゃないんです。
他者とぶつからないための「理由探し」をしているだけなんです。
ただのへっぴり腰なんです。

同時に自分のことも大事にしてないんです。
仮にその人なりの理由があったとしても、自分の理由だって等しく存在するはずなんです。
他人の言い分を大事にすることと、自分の言い分を主張することは背反する事象ではないんですよね。
ぶつかりながら、折り合いをつけていくものであって。


超自我的な存在が苦手です。
おそらく、私の両親がかなり超自我的な職業を生業にしていたのもあるのでしょう。
ただ、そうした両親の影響からはとっくに抜け出してもいいはずの年齢です。
この先ちゃんと人とぶつかれるかなあ。
ぶつかりたくないょ。

「そうやって生きていて、楽しいんですか?」と、昔とあるおじさんに言われたのが未だに残っています。
何だって言うんだよ、ちくしょう。

くりかえされる諸行無常、よみがえる山手線一周RTA

2024-11-27 18:02:33 | 日記
疲れました。
疲れたので、短いスパンですがブログを書きます。
ざっくり近況を。


自転車を漕いでいます。
嫁が海外に行く前にお金を出してくれて、クロスバイクを買いました。
東京に来てからほとんど自転車に乗っていなかったので、思ったよりも新鮮で。
当たり前ですが、自転車って速いですね。ポケモンで「じてんしゃ」を手に入れた時の感動がよみがえりました、スーパーにすぐ着くし、活動範囲がにゅっと広がってありがたいです。
先月には近くの湖をぐるっとまわったり、少し遠くの温泉まで行ったりしました。
自転車で通勤しようかなとも思ったのですが、交通量が多いわりに自転車のレーンが確保されていないし、歩道は狭いし、10月に定期買っちゃったばかりだし、だるいし…と実行にうつせていません。

とはいえ。
ちょいちょい自転車に乗っているのもあるのか、今年のビワイチは昨年よりずいぶん楽に感じました。
昨年走ってだいたいの道を把握しているのも大きいですが、それでも2日目は120kmを漕ぎ切ったので。


英会話教室に行きはじめました。
1月に妻のお母さんを連れて海外へ行く都合で、英会話の勉強をしています。家から自転車で15分程度。
英語は得意だと自負していたのですが、しょせん大学受験の遺産。遠い昔の話です。しかも会話となると別に得意なわけではないので、心機一転、勉強しています。

その一環で、通勤時にBBCのPodcastを聞いており。
本当は芸人さんのトークも聴きたいのですが、バランスとりつつ英語を勉強中です。と言いつつも今日はランジャタイの国崎さんのPodcastを聴いてしまいました。くだらないけど、面白かったなあ。とあるロリコンのせいで配信が隔週に減らされてしまったので、早く毎週に復活してくれないかなと願っております。


先週は友人と山手線RTAをしました。
聞けば私が以前RTAをしたのをきっかけに、その1週間後にチャレンジしたみたいで。
お互い、変な人間だねと笑い合いました。

彼は高校の同級生です。
高校2年の頃。夏休みのある夜、「今からコンビニで落ち合おう」という話になり、お互いの中間地点で落ちあうことになりました。
中間地点といっても、お互いの家が離れていて。2人とも15kmくらい歩いて合流しました。
深夜3時頃、コンビニの前でガリガリ君を食べました。何やってんだよって話ですね。
とはいえ、私にとっては立派な青春の1ページです。

今回の山手線1周は本当にきつかったです。
朝8時に新宿からスタートして、今回は反時計まわりで歩きました(新宿→代々木→原宿…有楽町→東京→神田…池袋→目白→高田馬場)。お昼に浜松町で食べた博多うどん、めちゃくちゃ美味しかったな。

タイムは10時間28分26秒、前回より1時間近く更新しました。
しかし最後の追い込みの、池袋から新宿までが本当にきつかったですね。寒いし暗いし、池袋と、新大久保から新宿にかけては人が多くて歩きづらいし。
終わってから彼と飲んだのですが、お互い「疲れたからもう帰りたいよね」という思いを抱いていたため、さっくり解散しました。お疲れ様でした。

最近の寒暖差、腹が立ちます。
ちょっと油断すると暑いし、でも寒い時はめちゃくちゃ寒くなるし。
タール砂漠(インドとパキスタンにまたがる砂漠)くらい心が広い私でも許しがたいです。

俵万智の短歌に『「寒いね」と話しかければ「寒いね」と答える人のいるあたたかさ』という句があります。
しかし妻は南半球にいて、向こうは夏なので、寒暖差に対する憎しみを共有できません。
悲しいことです。


くれぐれも頑張って働き過ぎないようにしよう。
仕事はあくまで生活の手段。

しかしながら。
「妻に美味いものを食べさせる」ことを目的として生きてきた私にとって、妻の不在により、人生の目的をいくぶん見失いつつあります。そもそも人生の「目的」が明確に定まるかどうかは別として。
なんかなあ、何かを頑張りたいんだけどなあ…という漠然とした気持ちはあるのですが、自転車を漕いだり山手線1周したり週6日労働したり酒を飲んだりしているうちに、その気持ちも霧散していくのです。儚いね。

儚い、ということで『源氏物語』を読んでいます。角田光代さんの現代語訳です。
10月、奈良の県立美術館に行きました。そのとき、絵本作家のエドワード・ゴーリーが源氏物語を何度か通読していたことを知りました。そのあと平等院鳳凰堂へ寄ったり、学会で名古屋に行ったときに徳川美術館に行ったり、琵琶湖を一周した際に三井寺に寄ったりした際にも、源氏物語に関する展示や特集があって。

そういえば今、大河ドラマで「光る君へ」をやっているんですよね。だからあちこちで特集されているのでしょう。
たまたま、と言えばたまたまなのですが、自分のなかでなんとなく気になって。一度ちゃんと読もうかと思い立ち、読んでいます。

1000年前の作品なので、さすがにネタバレしてもいいですよね。
光源氏の母である桐壺が、とてもスピーディに死んでびっくりしました。
桐壺が死んだことを、光源氏は「3歳なのでまだわからないだろう」と書かれています。
しかし、「死」の概念はわからなくても「不在」は、自分の目の前からいなくなってしまったことわかるのではないか。
3歳の子であれば、愛着対象を失うわけですから、深く傷つくはずです。

よりによってその時の天皇が―桐壺を愛しすぎていたのもあるのでしょうが―自分の悲嘆しか考えてなくて笑いました。お前、自分だけめそめそしてないで子どもと桐壺の母親のケアをせいや!!と思います。桐壺の母親も、ショックが深くしばらくして亡くなってしまいます。

この辺の「愛着対象の喪失」をめぐる筋が、光源氏をめぐる物語の根底にあるのだと感じました。
そういう傷つきを持った彼がどのように、傷を埋めようとするのか。
どのように傷と付き合っていくのか。
まあまだ冒頭しか読んでいないので、これからどうなるか楽しみです。


そんなこんなで。
自分で言うのもなんですが、かなり頑張っている気がします。
ああ~あんまり頑張りたくないのになあ。

仕事を辞めて1年くらいぶらぶらしたいですね。
小笠原、台湾、インド…行きたいところはいっぱいあります。
私の心の広さと同等と言われるタール砂漠も見てみたいです。
あっ、でも砂漠は寒暖差が大きいから、私の憎しみが深く燃え上がってしまうかもしれません。
おのれ寒暖差!!!

レイジアゲインストザ事務作業

2024-10-09 16:55:34 | 日記

やったね!(本当にやった)


上半期のまとめみたいな事務作業で忙殺されている。
「忙殺」と言っても、休日出勤やハイパー残業があるわけではない(まあ週6日働いているけど)。
ごはんも食べているし、夜もちゃんと寝ている(まあ週6日以下略)。
なので、読んでいる方は「その程度で大げさな」と思うかもしれない(まあry)。

しかしながら。
私は事務作業が、こまごました作業が心底苦手なのである。
忌み嫌っていると言っても過言ではない。


大学の履修登録で必修を登録し忘れ、呼び出しを食らったこともあれば
旅行の日付を勘違いしていて、思っていたよりも一日早くベルリンに着いたり
財布を人生で6回くらい落としたり、ウィーンでパスポートも落としたり
落とした財布を受け取りに行った警察署でカードを落としたり
無くしたと思って一生懸命探した書類が、ひょっこり鞄から出てきたり…。

このように、うっかりエピソードを挙げれば枚挙に暇がないのである。
これで許してくれている家族には、申し訳なさと感謝でいっぱいである。
失敗を繰り返しているので反省してないように見えるかもしれないが、迷惑をかけている自覚はめちゃくちゃある。
私だってミスをしたくないのだ、本当だ。
冷や汗をかきながら鞄の中身をあさったり、冷や汗をかきながら大使館に連絡したりしたくないのだ。


そんな私が事務作業をするとどうなるか?
とうぜんミスが頻発することになる。
そのためミスが起きないか、常に気を張らなくてはならない。
しかしながら。

悲しいかな、私という人間はどれだけ気を張ってもミスをしてしまう。
そのつど自己嫌悪に陥る。「俺はなんてダメなんだ」という気持ちに頭を占領されてしまう。
そうなると、体力的には全然しんどくないのだが精神ががりがりと削られていく。


どんなことでメンタルが削られるかは人それぞれで。
プレゼンが嫌な人もいれば、電話業務が嫌な人もいるだろう。
残業がしんどい人もいれば、「これ意味あんの?」みたいな業務をつらく感じる人もいるだろう。

私で言うなら、事務作業に加えて、人間のあいだをうろうろして調整するのも精神がすり減る。
相手の要望も通してあげたいけど、必ずしもそうではない場合もあるし。
部署同士の板挟みに遭うと爆発しそうな気分になる。それに書類仕事が重なると最悪だ。
そういう時はもう、ドヴォルザークの弦セレやチャイコの6番を聴きながら、少し歩いて遠回りして帰らないと脳がリセットされない。「おのれ人間ども!!」という心境である。


メンタルが削られたときが恐ろしいのは、どこからともなく「負の循環」を生んでしまうことだと思う。
自分の嫌な業務ばかりをしていると、「誰も助けてくれない」「自分だけが被害を被っている」という気持ちがむくむく湧き上がってくる。そういう気持ちで仕事をしていると、いい成果が生まれるはずもない。
そういうときこそ「ちょっとしんどいです」「手伝ってほしくて」と、ちゃんと人に頼らなくてはならない。

以前、ある本を読んでいたら「怒っている人は困っている人」と書かれていた。
そうなのだ、かっとなって怒鳴ったり切れたりしている人は、本当は困っているのだと思う。
私自身も忙しくなるとイライラがつのったり、余裕がなくなったりする。
表面に出てくるのはイライラや切迫感だけど、心の奥底では困っているのだ。
誰かに助けてもらいたいし、優しくしてほしいのだ。


自分の気持ちの余裕がどのくらい残っているのか、ちゃんと振り返りながら働いていけるとよいのだろう。
というわけでこのブログを書いている。
ちなみに余裕はぜんぜんない。
全然ないことを認識できてよかった。誰か助けてください。

8月が終わる

2024-09-03 19:00:00 | 日記

祖父が亡くなりました。
翌日に職場の飲み会があったので、「身内が亡くなったので明日の飲み会を欠席したい」という、ありがちな連絡をしました。このような連絡をする日が来るなんてなあ…。

それにしても。
人が死ぬってこんなに悲しいものなのか。
びっくりするほど泣きました。今でも、不意に涙が出ます。


ある程度は覚悟していたのです。
昨年にがんが見つかり、母から闘病の様子を聞いていました。
それに、盆に会ったときには人が変わったように痩せていました。

8月半ばに帰省して祖父宅に行きました。
話には聞いていたけれど、かなりやつれた祖父の姿を目の当たりにして。
祖父には申し訳ないのですが「人が死ぬということ」を意識してしまって。
涙をこらえようとしたものの、溢れてしまいました。
少し話したあとに、祖父から「握手しよう」と提案があり、握手しながら一声かけられました。
こらえるのに必死だったので、何を言われたかはっきり覚えていません。

確か「あんたはまだまだこれからじゃ、がんばっての」とかだったと思います。
はっきりと覚えているのは「あんたたちのおかげでだいしょ楽しかったわ」と言われたこと。
だいしょ、というのは山口の方言で「ぼちぼち」「多少」という意味です。
その言葉を聞いて、やはり涙があふれてしまいました。
それから肩を組んで写真を撮りました。
祖父は自分の最期が近いことを、どこかでわかっていたのかもしれません。


上京する新幹線では、祖父のことを考えると涙が出るので映画を観ました。
しかしAmazon Primeで観た映画「丘の上の本屋さん」は、少年と古本屋のおじいさんの交流を描く物語で、ありがちなストーリー展開でしたがめちゃくちゃ泣いてしまいました。
隣の座席の人から、あまりにも脆い涙腺を心配されたのではないか。

その次に見えた映画が「星の旅人たち」でした。
こちらは息子の死を悼む父が巡礼の旅に出る話で、またしても泣いてしまいました。
映画のチョイスを完全に間違っていた気がします。
「プラトーン」とか「フルメタルジャケット」にすればよかった。

祖父と会い、「長くはないのかもしれない…」という予感がありました。
だからこそ思ったのです。もっと帰省しよう、祖父に会いに来よう、と。
でも、次に祖父に会えたのは亡くなったあとでした。


聡明な祖父でした。
読書が好き、将棋が好き、何よりみんなで集まってお酒を飲むのが大好きでした。
酔うと軍歌を歌っていました、寝るときは「グッナ~イ」と陽気に挨拶していました。
そんな祖父の本棚から、これまでも何冊か本を貰っていて。

私が中学~高校のとき、シドニィ・シェルダンにはまったため、『時間の砂』をもらいました。
あとは数年前に川端康成の『古都』をもらいました、こちらもいい作品でした。
今回、葬儀が終わった後に祖父宅に寄って、本棚からウンベルト・エーコの『薔薇の名前』をもらいました。
ずっとほしいと思っていた本を貰えたのは嬉しいけど、祖父が生きているうちに譲り受けたかった。
以前は挫折した『薔薇の名前』、今度こそ読み通したいと思います。


亡くなった報せを受けたのが出勤中だったので、泣きながらもいったん出勤して。
むせび泣きつつ先輩に報告して「大丈夫?上には報告しておくからすぐに帰っていいよ」と言われ、そのやさしさでまた泣いてしまいました。上司にも報告して「とりあえず早く帰りな」と言われました、そのやさしさでまた泣きました。泣いてばっかりじゃねえか!

帰宅して心を落ち着かせるために、ちょっといいスーパーで買ったうなぎを妻と食べました。
悲しみでいっぱいだったけど、あのうなぎ美味しかったな…。
それから新幹線に乗り、地元へと向かったのです。
祖父の遺体と対面すると、当然ながらまた涙が溢れました。

葬儀では久しぶりに会ういとこもいて、祖父の話で盛り上がりながら泣きました。
集まれる親族がたくさんいるのが幸せなものです。
それもきっと、祖父が人好きであり、人からも好かれる人物だったからだと思います。


さようなら、かつてこのブログを印刷して読んでくれていたおじいちゃん。
今までありがとう。できたらそっちでも引き続きブログを読んでください。