砂漠の音楽

本と音楽について淡々と思いをぶつけるブログ。

再见、孩子们!

2023-05-17 17:31:14 | 日記
やばいです。
なにがやばいって、全然仕事をさぼっていないのです。
いったい私はいつからこんなに勤労を美徳とする人間に成り下がってしまったのか。
このままだと資本家にいいように搾取される一方です、蟹工船です。おい地獄さ行くんだで!
自我を取り戻すためにブログを書きます。以下、断片的な話をぱらぱらと。


最近中国語を勉強しています…といっても一日数分程度です。
Duolingo(デュオリンゴ)という、めちゃくちゃこまめに犬や鳥が褒めてくれるアプリと、SpotifyのHSK中国語検定対策のPodcastを聴いて勉強しています。

中国語は文法が楽でいいですね、そのぶん発音がややこしいですが。
最初は「犬がコーヒーを飲みます」みたいな非現実的な例文をやっていたのですが、今は「私の学校はレストランの右にあります」くらいの文章までたどり着きました、少し現実的な勉強しています。
リスニングをしながら、聞き取れることばが増えたり、意味のわかる単語が増えたり…そういった瞬間に外国語を勉強する喜びを感じます。


職場の人から勧められて、伊坂幸太郎の『チルドレン』と『サブマリン』を読みました。
すごく久しぶりに彼の作品を読みました。大学生か院生の頃に読んだ『砂漠』以来だと思います。
破天荒というか、思ったことがそのまま口から出るエキセントリックな人物を中心とした、家裁調査官の話です。『チルドレン』は短編の集まりでしたが『サブマリン』はもう少し踏み込んだ話になっていて、どちらも面白かったです。
途中で出た「相手の大事なものを蔑ろにするな」という言葉がいいなあと思いました、私もそういう気持ちで日々、人の話を聞いているので。共感できるというか…うーん、共感?共感とも違う感覚かもしれませんが、自分の仕事の領域以外でも同じようなことを考える人がいるのだなと思って。あくまでの小説の人物の発言ですが、心強さや嬉しさを感じたり。


映画「BLUE GIANT」を2回観ました。
映像やストーリーも良かったですが、音楽が抜群に良かったですね。私は石若さんのドラム目当てで観に行って、1回目に見た時は演奏シーンで終始にやにやが止まらなくて、最後のライブシーンでは「なんじゃこりゃ」と射貫かれるような衝撃を受けました。
2回目は極音上映なるものを観に行って…でもそうなると、音の良さとCGの質のギャップがより大きくなって、うーん…という感じでした。演奏が良すぎるあまり、CGの粗さが少し気になったというか…。でも2回観て良かったです、すごく良かった。


生活面の見直しをしています。
いろいろと参加していた勉強会を整理して、今年度はずいぶん減らしました。去年の秋頃は学会や勉強会で死にそうになっていたので、もう少し趣味やのんびりする時間を捻出したいなと思っています。ピアノももう少し上達したいですし、遠出したいですね。個人的には島に行きたいところ。

しかしながら。
コロナの騒動が落ち着いてきたこともあり、どこの観光地も混雑していることでしょう。田舎で育った私にとっては、人間がたくさんいる場所に行くとたいへん消耗してしまいます。根がせっかちなので待つのも嫌ですし、気を遣って順番を譲り合うのも嫌です。ビルゲイツくらい金持ちになれば島を丸ごと買い取れるんでしょうけど、あいにくビルゲイツにはなれそうにありません。


そんなこんなでなんとか生きています。
最近、前よりも死にたくない気持ちが強いです。
すこし寂しいですが、仕方ないなと思っています。

限りある愛

2023-03-03 17:21:27 | 日記
疲れているので断片的な話をぱらぱらと。
急な話で恐縮ですが、愛に限りがないのは神や仏だけなんだろうな、と思います。
キリスト教の神が与える愛は「無償の愛」「アガペー」と言われますよね、英語だとunconditional loveだそうです。無条件の愛。どんな状態でも愛してくれるわけです。人間の家庭だとそうはいかないよね。シンナー吸ったりアル中になったり、はたまた不貞を働いたりすると愛は確実に損なわれていく。

仏教でも「阿弥陀仏(阿弥陀如来)」という仏が、主に大乗仏教系で信仰の対象となっています。阿弥陀仏は、サンスクリット語でアミターユス(無限の寿命を持つ者)とアミターバ(無限の光明を持つ者)として表されるらしいのです。たとえ人間が輪廻をぐるぐる廻っているあいだでも、阿弥陀仏はずっと光を与えてくれる。そういう存在として信仰されたようです。人間には決して真似できない芸当ですね、限界がありますから。皆死にますから。

ちょっと前に研修会に参加して。そこで、ある男性の方が「人間が誰かに与えられる愛って限りがあると思っていて」と発言されていたのがずっと記憶に残っています。だから何だって話ですけど。
いろんなことに関心や興味を持つのもいいけど、どこかに限界があって。
取捨選択をしていかなくては、と思う次第です。


人間の有限性、限界について考える日々です(なんでそんなことばかり考えているんだろうか、死期が近いわけではないのですが)。
昨今もてはやされているケアの概念やアンガーマネジメントもなあ。
最近ではスマホのアプリでAIによるカウンセリングを受けられたリ、CBTが受けられたりするみたいです。色々と開発されていくのはいいんだけれども、人間は社会的動物であり、他者とつながることでしか回復しない面があると思うけど、他者が開発したAIに委ねられるというのも皮肉なものですね。

大半の人はそれでいいのかもしれないけど、どうしたってそこから外れていく人もいるよなあ…と思ったり。
某ひ〇ゆきから「なんかそういうデータとかってあるんですか?」と言われたら、こちらは「ぐぬぬ…」と呻きながら憤死していくしかありませんが…。基礎系の心理の方に頑張ってもらいたいところです、私はSPSSを操作しようとすると目がつぶれる呪いにかかってしまっているので…。


先日ラジオを聴いていたとき、エルレガーデンの「風の日」という曲を初めて通して聴きました。
部分的に聞いたことはあるけど、ちゃんと聴いたのは初めてで。
すごくいい曲でした。もちろん音楽もいいんですけど、歌詞がすっと身体にしみ込んでくる感覚があって。天気が変わるように、どうしようもなく周囲の環境に振り回されていく私たち。どうしたって影響を受けざるを得ない。ふとそういう自分を、有限性のある存在を意識しました。

最近、漱石の『草枕』を読んでいます。
冒頭の「とかく人の世は住みにくい」で有名な小説です。確か『坊ちゃん』の次あたりで書いた作品です。この辺から『虞美人草』までは、頭でっかちな文章が多いですね。本作でも絵描きである主人公が、ああでもないこうでもないと、詩作や美学について思い巡らせているのを見て「なんだこいつ?」と思ってしまいます。
イギリスの詩人の作品を諳んじている箇所は知識をひけらかしているように見えるし、目の前の熊本の景色を眺めつつ芸術とは…と小難しく考えている箇所は「いい気なもんだよ。この高等遊民が!」と詰りたくなります。

しかしながら。
そう感じるのは自分に余裕が無いせいでは?と思ったり。
話が冒頭に戻ってきますが、私自身の限界もあり、興味を持てること、学びたいこと、関わりたい人…注げる熱には限りがあります。何かを切り捨てたいわけじゃないけれども、やはり選ばざるを得ない状況があります。
そういえば、昔通っていた下北沢のおじさんからもそんなことを言われた気がするな、あのおじさん元気かしら。


そう、人生は有限。
一生懸命仕事している場合じゃないんです。
そう思った私はやおら仕事をさぼりはじめ、こうしてインターネットの大海に文章を投棄するのでありました。
めでたしめでたし。

近況,日記 and 最近読んだ本 or 今年の抱負 stuff like that....

2023-01-17 16:26:50 | 日記



やる気が起きないのでブログを書きます。
おい、ブログ書く気はあるのかよ!って思ったあなた、その通りです。
ブログを書く気持ちはあるんです。
むしろそれしかないと言った方が正しいかもしれません。



年末年始にかけて、久しぶりに英語の論文をちゃんと読みました。
英語を読んでいて思うのは、意外と基礎的な単語の意味理解がむつかしいということ。
たとえばengageやrespect、languageなど。
このようにやさしそうに見える単語こそ、意味の幅が広くて訳す時に困ります。
いっそspontaneously(自然発生的)やadministration(管理部門)みたいな硬いことばの方が、意味の幅が少なくて助かるのです。

日本語でもそうですよね。
「たすかる」には命拾いしたりsafe、役に立ったりusefulする、幅広いニュアンスがあります。
しかし「援助」と表現するとhelpに限定されます。
意外と優しい顔をしているやつらの方が、あなどれません。

あとは接続詞やカンマ。こいつらがまた複雑で。
こいつらを多用する文章に税金をかけてほしいくらいです。
いったい何を並列したり、何を対比させたりしているか。
ここを見失うと一気に意味がわからなくなりますね。言葉は奥深いなあ。


論文を読んでいて思ったのは「頭いいって人から思われて~!!」という欲望がオノレのなかにあること。
そういう気持ちがある時点で、頭がよくないんだよな。
本当に頭がいい方は、「人から頭がいいと思われたい」など考えないと思うので、たぶん。

自分の年になってまで「人から頭いいって思われたい!」気持ちがあるのはダサいですね。
それに自分の頭が良くないことは、長年の勉強を経てある程度わかってきたつもりです。
勉強自体は好きなんですけどね、とほほ。


最近読んで面白かった本のコーナー
『プロジェクト・ヘイル・メアリー』アンディ・ウィアー
昨年末にKindleで買いました。以前映画化された『火星の人』の作者ですね。
科学的なことはよくわからないのですが、目の前にある問題に対してどのように解決をしていくか、トライアンドエラーのなかで何を見出すか。そのプロセスの描写の一つひとつが見事で、物語のテンポもよく、のめり込むように読んでしまいました。
問題を解決したい気持ち。それは人間の本質的な欲望なのかなと感じます。赤ちゃんでも、四角いブロックを穴にうまく入れられると嬉しそうにしますよね、両手をぱちぱち叩き合わせますよね。小学生も算数が解けると嬉しいし、ゼルダが楽しいです。大人になってもひとつのプロジェクトが落ち着くと安堵します、もちろんゼルダも楽しいです。らせん階段を上るように、深さは違えども似たような場所をぐるぐると回っているのかもしれません。
とてもよいSFでした。そしてSFが好きでなくてもじゅうぶん愉しめると思います。


『ぼくがぼくであること』山中 恒
岩波から出ている児童文学です。
初版が昭和なので多少ステレオタイプ的な描写もあるのですが、とても面白かったです。
この物語のよい点は、とにかく一筋縄ではいかないところ。あんまり言うとネタバレになりますが、物語が着地しそうなところでもう一展開あったり、こちらの予想を上回ることが起きたり…。
また喧嘩のシーンの迫力がすごくて。島尾敏雄の『死の棘』を彷彿とさせるところがありました。もちろん、児童文学なのでこちらの方が表現はマイルドです。


『知ってるつもり 無知の科学』スティーブン・スローマン、フィリップ・ファーンバック
Twitterで本の有益な情報を呟き続けている「本ノ猪さん」のツイートで、この本を知りました。
この場を借りてお礼申し上げます、いつもありがとうございます。

筆者の2人は心理学者です。人間の認知バイアスのことや、「ファスナーの仕組み」の説明を求められると無知に気づくメカニズム、いかにものを知らないままで生きているか、専門知の分担について。
平易な文章で幅広く説明されていてすっと読めるのですが、ふと思い返したときにどんなことが書かれていたか思い出せず、あらためて自身の無知に自覚的になれるよい本でした。また読み返そうと思います。


さて。
今年の目標は「失敗を恐れない」です。
自分がものをよくわかっていないこと、頭がじゅうぶん良くないことを抱えつつ。
じゃあ何がわかっているのか、どこまでわかっているのかを何かしらで形に出来たらいいなと思っています。
ああ、でも今日はもうブログを書く気持ちしかありません。
しかも書き終わってしまったので、全部なくなってしまいました、おしまいです。
どうもありがとうございました。


タイガー&ドラゴン&ラフマニノフ

2022-12-06 10:21:50 | 日記

限界なのでブログを書きます。
といっても、特に書きたいことがあるわけでもなく。


なんかずっと忙しいんです。
10月以降、仕事がまあまあ忙しくて。
後輩の相談に乗ったり書類さばいたり、ばたばたしていて。

プライベートもそこそこ忙しくて。
家に帰っても、ピアノ弾いたり酒飲んだりで慌ただしくて。
そんなわけで最近は本も読んでいないし、新しい音楽を開拓することもできていません。
秋以降はずっとラフマニノフのピアノ協奏曲2番と3番を聴き比べていました、そのくらいです。
書いていてなんだか悲しい気持ちになってきました。

Sergei Rachmaninoff: Piano Concerto No. 3 | Khatia Buniatishvili, Neeme Järvi, Verbier Festival


個人的に好きなピアニスト、Khatia Buniatishviliさん。ジョージア出身の方です。
音の粒が綺麗です。いつかラフマニノフを生で聴きたいですね。


何もない休みが少ないのもきつかったです。
先日の日曜日、約1ヶ月ぶりくらいに何もない日曜日でした。
10月~11月にかけては学会や勉強会で日曜日が埋まっていて。
午後だけ勉強会があったとしても、そこからどこかに遠出する気にもならず。
夕焼けを眺めながら洗濯物を取り込んだり、観葉植物に水をあげたりしていました。

本当だったらそこまで埋め尽くされる必要もなかったのですが、今までサボっていたぶんのツケが回ってきたというか。資格の更新のためにポイントをためなくてはならないので、そのせいで奔走していたのです。
奔走した結果、無事更新のためのポイントは溜まりそうです。よかったけど、すり減ったなあ。

「直前になってすごく焦るけど、結果何とかなる」というパターンを繰り返している人生です。
夏休みの宿題も毎年そうでした。大学の課題や論文もだいたいそうでした。
ものごとを計画的に実行できる人が羨ましいです。
私自身、先のことを考えると不安になり過ぎて、直視できないのかもしれませんが。


せっかくの機会ですから、ここで少し先のことを考えて見ましょう。
みなさんは10年後、どうなっていると思いますか?
どんな姿を思い描きますか?あるいは、どうなりたいですか?

私は自分がどうなっているか、さっぱり想像できません。
とりあえず、もう少し自分のペースで働きたいです。
あとは臨床的な仕事をもっと増やしたいんですが…経済的なことと、やっている手ごたえを感じられる業務と。その両立が難しいところです、これに関しては10年くらいずっと悩んでいる気がしますね。
手っ取り早く開業すればいいんだろうけど、さすがにもう少し経験を積みたいし。
私の場合そろばんを弾くのが苦手ですので、共同経営者みたいな人と組まないとすぐ頓挫してしまいそうです。


それはそうと。
10年前の自分は、今の自分の姿を全く想像できていませんでした。
20年前の自分は、何を考えていたかなあ。
「何か面白いことないかなぁ」って毎日のようにぼやいていたきがしますが…
もうほとんど思い出せませんね、寂しいことです。

どうして今のような自分になったか。
いろんな人と出会ったり、偶発的なタイミングもあったりしたんでしょうけど、ひとことで言うならば「なりゆき」ですかね。「なりゆき」、いい言葉だなあ、ちきしょう。


あんまり個人的なことを言いたくないんですが、なりゆきで個人的な体験を書き散らかすことをご容赦ください。
これまでも愚痴めいた近況を述べてまいりましたけれども、さらに長めの自分語りが来ます。
総員衝撃に備えてください、覚悟はいいか?オレはできてる(自分の話なので)。


さて私は村上春樹の『1973年のピンボール』の主人公のように、他人の人の話を聞くことを生業としています。
どうしてこういう仕事をするようになったか。1つには、自分の尊敬する人物がそういう仕事をしていた、というのが大きいです。
小さい子が戦隊ものを見て憧れるように、「ああなりたいな」と思わせるものがその人にはありました。今となっては、「ああはなれないな」と諦めていますが、少しでも近づけるよう努力を重ねる日々です。

さてもう1つには、きっと「自分の話を聞いて欲しいから」だと思うんです。
自分の話を聞いて欲しいから、人の話を聞く。なんだかパラドックスのように聞こえますね。
でも人間は自分がしてほしいことを相手にするし、自分がしてもらえなかったことを相手がしてもらっているのを見ると、妬ましく思うものです。そういえば嫉妬の感情は生後9ヶ月頃から湧き上がるみたいですね。すごいぜ、メラニー・クライン。

話が逸れました。
私としては、自分の話を聞いてくれる相手をずっと求めていたわけです。
でも私の周囲には、少なくとも中学くらいまでは自分の話ばかりする人間が多かったなって。裏を返せば、私の声に耳を傾けてくれる人間が少なかったなって、思春期の頃は勝手にそう思っていました。

もちろんそれが100%厳然たる事実でなく、私の主観的な体験であることは理解しています。
それに家族が話を聞いてくれることはあったし、話をする友達がいなかったわけでもありません。本当です、友達はいたんです。帰る方向がたまたま逆だったから1人で本を読みながら帰っていただけで、友達はいたんです。僕を信じて下さい!

ただ、最近家族とやり取りをしていて、ああこの人たちはあんまり自分の話を聞かないんだよなって、幻滅に似た気持ちになることが多くて。たぶん自分はそういうのが嫌で、思春期の頃はインターネットにつながる相手を求めていた気がします。
当時の自分を振り返ると、寂しかったんでしょう。
分かり合えると感じられる相手が欲しかったのでしょう。

それはともかく。
家族のことを弁護するならば、彼らも外では人の声に耳を傾ける仕事をしていたのです。
彼らだって自分の話を聞いて欲しかったのだと思います。外では言えないことを、家のなかで吐きだしたかったのでしょう。今だったら「仕方ないか」と思えるけど、当時は嫌だったな。
「じゃあ俺の話は誰が聞いてくれるんだ」と思っていただろうし、「自分が話を聞いたら、いつか自分の話も聞いてもらえるのか?」と期待していたかもしれません。

まあ家族を責めても仕方ないし、だったらもっと「ウオオオ!俺だって話したいんだアアアア!!」とプラトーンのポーズ(トップ画参照)を取って家族をビビらせてから話せばよかったんじゃないか?と思ったり。いつまでも被害者ぶってるんじゃないよっていう話です。


「特に書きたいことがあるわけではなく」と言いつつも、「自分の話をしたい」という気持ちから暴走気味の本日のブログですが、話しすぎてそろそろ疲れてきました。みなさんも人に自分の話が出来ていますか?「ひとりで抱え込まないで、人に話すのが大事だよ!」と思っている業種の人間が、自分の話を人にできないのってウケますよね。医者の不養生みたいです。

でもまあ、こんな私のまわりにも話を聞いてくれる人間がいるのは本当にありがたいことです。
感染症は再び流行の兆しを見せていますが、年末ですので友達を誘って飲みに行きたいなと思ったりしています。
みなさまもどうかお元気で。

酒飲んでる場合じゃねえ!

2022-07-29 18:51:22 | 日記

酒飲んでる場合じゃないんだよな


酒飲んでる場合じゃないんでブログ書きます。
とはいえ今日は若干の二日酔い気味です。昨晩調子に乗って飲んだカティサークの水割りが絶対よくなかったよ。
いつまでこんな風に生きているんだか、オホホ。


ピアノが楽しいです。厳密にいうとキーボードですが。
楽器を買ったのは5月ですから、3ヵ月弱続いていることになります。しかし当初から練習している「亡き王女のためのパヴァーヌ」は、最初の主題に戻ってきたときの左手のアルペジオがなかなか上達せず、しばらく苦しんでいます。合間に「千と千尋の神隠し」の曲を練習していて、こっちの方が先に弾けるようになるかもしれません。あとはサザンの「TSUNAMI」を少し弾けるようになりました。

働いて、酒を飲んだりピアノを弾いたりして生きています。
職場では先輩が休みに入ってしまったので、私が部署のトップになってあれこれ采配を振るっています。とはいえ手際がいいわけではないので、慌てふためきながら、動揺を悟られないように頑張っています。しかも新しく来た人たちがみんな熱心で。
もちろん良いことなんだけど、そうなるとあんまりサボれないんですよね、悲しいなあ。こんなに一生懸命仕事をしたくて生きているわけじゃないのに。南の島で自転車こいだり海に沈む夕日を眺めたりしたいんだよね。

あとは仕事で大事な話し合いが突発的に開かれることが多く、そうなると前日にあんまり酒飲んでられないというか。いつだったか松木先生も「臨床に向いていない人の特徴をひとつ挙げるとすれば、深酒をする人は向いていないですね、翌日思考がまとまらないので」と話していました。そうだよなあ、と思って以前よりセーブをして飲んでいます。
しかしながら、以前より翌日に残りやすくなった気がしていて。「加齢」という言葉が脳裏を掠めます。この前のラジオでオードリーの若林さんが「俺、老眼だわ…」としみじみ話していて。自分もそう感じる日が来るのだろうな、と思って少し悲しい気持ちになりました。仕方ないけどね。今存在している人もやがてみんないなくなるので。


先日友達と飲みました。
その友達とはまあまあの付き合いになります。そんなに頻回に会うわけではないものの年に数回は飲んでいて。たぶん終生の友人になるんだろうな、と勝手に思っているのです。
お互い近況報告をしたところ、彼は着実にキャリアを積み重ねていて。自分のやりたいこと、興味のあることを形にしていっていて。すごいなあ、と思うと同時に、妬ましい気持ちもむくむくと湧き上がってきて。自分はこれでいいのか?と不安にも駆られました。
懐かしい気持ちです。こういった羨望の念や、他者比較から生まれる不安、自己卑下的な気持ち。しかしまあ、自分が彼と同じような歩み方、キャリアの積み方ができたかというとできないんですけどね。自分がやれることをやっていくしかないんだよなあ、と考えます。とりあえず頑張って働いています。あとピアノを練習しています。


さて。
こうしてブログを書くことで気持ちを吐き出し、なんとなくすっきりして終わることがいいのかどうか。
もっと悩み苦しむべきなのかもしれませんが、週6日働いてまあまあ勉強会に参加しているので、ある程度苦しんでいる気はするんですけどね。週によっては朝8時の勉強会に参加して、仕事に行って夜21時半からの勉強会に参加する日もあるので。ウソみたいだろ。手取り低いんだぜ。それで。


最近は本もあまり読んでおらず、仕事をこなしていくので精一杯で、腰を据えて物事を考えられていないというか。音楽も、作業をしながらドビュッシーやラヴェル、バッハを聴くくらいで。あまり新規開拓できていません。
なのでブログに書く内容も、いきおいライブに行った話や友達と会った内容になってしまいます。ネタがないので。とある友人は、私と飲みに行く前に奥さんから「ブログに書かれるよ!」と言われたようです。まあ現にこうして少し触れているんですが…笑



長々述べてまいりました。
漠然とした不安はありますが、とりあえず生きています。疲れたので特にオチはありません。今週日曜日も勉強会か~自分が選んだ道とはいえ、たまには弱音も吐きたくなります。まあ酒に逃げるよりかはブログに書き散らす方が健康的なコーピングですけどね。
でもたまには飲みたくなります。私のブログのネタになっても良いという方はお誘いをお待ちしております。