つつみその子のはぐくみ日記

毎日を大切に、心と縁をはぐくむ日々に。

春の雪

2006-03-13 | Weblog
もう3月だと言うのに、平塚でも雪が降りました。
父は最初、どこかで誰かが何か燃やしているんだろうと思っていたそうですが。

寒くなったり温かくなったりしながら、だんだん春になるんですね。

メーカー

2006-03-12 | Weblog
住宅メーカーの流れをいろいろと調べてみたり。
個人でやっていると、どうしても技術開発の点ではかなわないわけで。
私の勝負所と言えば、自由にプランがつくれることと、日々の暮らしの中で主婦だから気がつけるアイディアを入れること、住宅メーカーが警戒するような問題ありの敷地でも、開発許可手続きや登記の手続き等もお手伝いさせてもらこと。
だから、私のところに相談して下さる方は、メーカーに断られたり、役所にとめられたりして悩んでいらっしゃる方が多い。

個人でやれることの限界を感じつつも、取り入れることができるものは、できる限り入れたいと思うし、そのためには日々敏感でいないといけないと思う。

いろいろと見ていると、「夢」一杯のものよりも、多少質素でも現実的なものが受け入れられていると思う。私が大学の頃の住宅展示場なんて、夢が詰まっていて、かけ離れているのが常だった気がするけれど。ちょうど、高断熱高機密が流行っていた時期。輸入住宅なんかも沢山あった。
最近は、プランや装飾、インテリアなんかよりも、構造体や設備やメンテナンスに優れているかどうかが問われているのですね。輸入住宅も、全然ないですもの。


お幸せに!

2006-03-11 | Weblog
幼馴染の結婚式。
友人の結婚式に出席するのは始めて。(だって皆仕事が恋人みたいだし。)
海の見えるレストランで「人前式」の手作りであったかい式でした。

受付を頼まれたのだけど、合間に記録写真を撮ったりと忙しい。
彼女達が作った新聞なんかもあって、会場には思い出の写真とかもディスプレイしてあって、テーブルには一人一人に手紙が置いてあったりして。
彼女達の空間に招待された、という感覚。
結婚式当日の深夜2時ごろにウエルカムボード作ってた私とは違うわね。計画性の問題ですが。

日産で安全性能の開発をしている彼と、翻訳と通訳をしている彼女。
思い出の場所で、大きな花束を渡して、一週間考えて書いた手紙でプロポーズとのこと。
いいなああーーー。
自分でそういうのに憧れるとは思ってなかったんだけど、ちょっと憧れます。
最近ちょっと乙女チックなものに心奪われ気味です。

30歳の彼女と26歳の彼。
「友人の結婚式で出会いました」なんてカップルが時々居るけど、すっかり肝が据わってしまった感じのお姉さん達と、若い男の子達。この場所ではちょっと無理でしょうね。
私達はと言えば、花嫁の幸せそうな様子を見ては涙ぐみ、お父さんの嬉しそうな顔を見ては感慨深い気持ちになり、無礼講と言われた自分の結婚式と比べたり、憧れの結婚式に思いを馳せたり。
あったかい笑顔が沢山あふれていて、幸せな気持ちを沢山貰った。
新郎は緊張と疲労でちょっと可哀想だったけど。

約400枚の写真を撮った。
撮るのに夢中になってたら、空調の吸気口になっていた床の隙間にヒールがはまってしまい、床板ごと持ち上げました。スキーの板が付いてるみたいに。きゃー。
写真はアルバムにスクラップしてプレゼントにするつもり。
もうちょっと待っててね。

心から、おめでとう。
末永くお幸せに!

かんたくん

2006-03-10 | Weblog
北海道から帰省している友人に会いにいく。
北海道に行ってしまってからは、十勝の大地を感じさせるような、健康的な感じだったけど、すっかり痩せて、強くて聡明な美しさのある表情になっていた。
母になるってすごい事だわ、と思う。

親になるってことは、自分も一緒に成長するってことだなとも思ったり。
本を読み聞かせる時だって、親には想像力が必要じゃないかなと。
うんちが出たら誉めてあげなくてはいけないのだそうで、「ほら、すごいのが出たよ!見て!」と見せられたんだけど。……。
私もいつかはそうなるんでしょうか。

画像は彼女が送ってくれたもの。
私の子供じゃないのに、何だか可愛らしくて愛しくて、皆に見せたりして。
元気で健康で居てくれさえすれば、おばさんはそれだけで十分よ、かんちゃん!

ハッピーバースデー

2006-03-09 | Weblog
父の誕生日。
初めて一緒にお祝いしなかったのだけど、おめでとう。

母が、私に気を使って「今年は2人でお祝いするわ」というので、時にはそういうのもいいかなと、気持ちだけということにした。
写真は、母が私にもと買ってくれた「さくらのケーキ」。
春らしくてかわいらしいでしょ。いい香りでした。
春の味。美味しかったです。

人に会う。

2006-03-08 | Weblog
週明けから、全然家から出られなかったのだけれど、今日ようやく外に出て、最近結婚した友人に会った。
赤ワイン、牛肉のカルパッチョ、ほうれん草とゴルゴンゾーラのニョッキ、ワタリガニのパスタ、温かいチョコレートケーキなど食べながら、結婚の事、家族の事、仕事の事などいろいろ話す。
先日彼女から電話があって、いつもと全然声が違っていて、「会いに行くよ!」と言ったのに、私の話ばかりに。猛反省。
彼女は事業をはじめようと色々準備中とのこと。今の仕事は「準備段階の一つ」というのだけれど、とっても立派な仕事振り。「30で子供を1人は産んでおきたいし」、あたしって本当に目の前の事に行き当たりばったり生きてきたんだわと反省するばかり、です。
いろいろ「あの時にはこういう事情があったから」と言い訳したい気持ちになるけど、いえいえ。だらしがないだけだわと猛反省。
そのへんの仕事の話や、寿退社(?)する彼女の仕事の戦い方も聞きたかったのに。
「4月にゆっくり温泉に入りがてら遊びにおいでね」という事にした。

大学の頃、電車の中で友人とよくゲームをしたんだけど…。広告の中のある文字列を探すというやつ。電車の中の広告は、インパクトのあるものがあって結構眺めて、楽しいものがないかしらと探すのだけれど、今日ずっと気になっていたのは、ある予備校の広告で「9X9=日本、19X19=インド。」と書いてあるもの。謎が解けない。まだ悩み中。

積み重ね

2006-03-06 | Weblog
17HIPPIESと出会ってから、自分のあまりの英語力のなさに落ち込んで、「やっぱり日々の積み重ねでしょう」ということで、単語帳を購入。何だか懐かしい。

昔アルバイトしたレストランでは、オーダーはイタリア語で通すのが規則になっていて、先輩が皆のためにと、単語帳に書いて控え室に置いていてくれたのを思い出した。そのとき以来だと思う。そのお姉さんは社長と浮気してたんだけど。
だから、本当に店のためなのか、社長と一緒に店も自分のものみたいに思ってるんじゃないかしらって嫌な気持ちになったのを思い出す。

単語帳のそばには、「休憩時間をいかして、すこしても覚えてまいりましょう」とかなんとか書いてあった。ちょっと違うかもしれないけど、そのお姉さんの「~してまいりましょう」という語尾だけがとても頭に残っています。

セクハラな社長だったなあ。
お姉さんはとても清潔感のある人で、バイトとは思えないくらいきちんとしてて、社長はその清潔感に惚れ込んでいたみたい。「清潔感があって素晴らしい」と賞賛して「見習え」とか何とか言ってたような。

私にとっては、ただのエロ親父。でもお姉さんはそんな私の話を聞いて「あら、社長に対する評価が案外低いのね」と驚いていた。
奥さんはとっても気さくでいい人で、「モッツァレラ」が言えなくて「モッツァラレラレラ!」と言ってしまう人だったけど、友人が久々に会ったら金髪になっていたとのこと。
理由を聞いたら「ぐれた」と言ってたそうだけど。
お店ではお姉さんも奥さんも2人とも仲良さそうにしてるのよ。
それだけに溝はきっと深いんだわと思ったのでした。

「単語帳」でそんな事を思い出しました。

ひろしに恋をする

2006-03-04 | Weblog
焼肉屋さんに行った。
美味しいものを食べる時はいつも、私一人美味しいものを気ままに食べていて、主人に申し訳ないと思うのですが、大変おいしゅうございました。ごめんなさい。

隣のテーブルに団体がいて、相当お酒も入って賑やかだったのだけれど、ある女の子が「ひろし!ひろしは遅いよ!」とひろしに絡み始めた。
ひろしは声が小さいのか居ないのか、彼女のひろしに対する声だけが聞こえてきてて、1分間に4回は「ひろし」と言い、ひろしを呼び、ひろしをなじる。その執拗なひろしへの攻撃に、私達のテーブルでは「彼女はひろしが好きなんだね」と一致する。

だんだん盛り上がってきて「私は~、皆がいなかったらここまでやってこれなかったし~」と突然泣き出して、衝立の網になっている部分からのぞくと、彼女は号泣してるではないですか。急展開。仲間の男の子が「君には君の役割があるんだよ!」と言い出して、そうだそうだと盛り上がり、若くて熱い入社3年目くらいの人達なのかと思ったら、彼女が「今年32」」だと言うのが聞こえてきた。衝撃!
大声で「おしっこしたい!」と主張する…。黙って行けばいいのに…。恋はみのるまい。
途中、「そう言えば…」と上司の送別会の話題になり、収束するかと思いきや、またエスカレートして衝立もこちらに倒れてきそうになったりして、迫ってくる衝立を抑えながら焼肉を食べました…。

彼女が倒れてきて、衝立からこちら側にひょっこりと顔を出して眠り始めた。きちんとお化粧しているお姉さんなのに、手はずっと何かにつかまろうとして動いている。恋はみのるまい。
と思ったのだけど、私と一緒のテーブルにいた男の子が彼女の事をじっと見つめていた。え?こういうの好きなの?こういうのって武器になるんですか!?驚き。

起こすべきか寝かせてあげるべきか思ったのだけど、そのうち起き上がって「すみません、分かってはいるんですけど、いろいろあって。」とのこと。
気の弱そうな男の人が「すみません」と謝ってくれたけど…。いたのかひろし。すぐ隣に。

座談会

2006-03-03 | Weblog
私がお嫁に行ってからも毎年母が飾ってくれる雛人形。
「今年は座談会にした」とのことで行ってみたら、段は出さずに、机の上にみなさん座っていた。

毎年こうやって飾ってくれる。
とても感謝。

約1年

2006-03-02 | Weblog
友人の子供の「かんたくん」に作った一枚。
最近の写真を見てないので想像で。…似てませんね。

妊娠中、話を聞いていると大変そうで、無事に産まれてきてくれるか心配で。
とにかく無事に産まれてきてくれるように仏壇にお願いしたりして。
ずっと報告を待っていて、無事に産まれたと聞いたときは涙が出てしまったのでした。
寒い日だったけど、うちの家族皆で喜んだんだよ。
そんな事を思い出しました。


命日と誕生日

2006-03-02 | Weblog
昨年、自らの命を絶ってしまった従兄の一周忌。
最近ちょっとお兄さんの事を思い出したりしていて、夜も眠れないし、昨日の夜は首が苦しかったりして。朝起きて「ああ、そうだ」と思う。
で、義母に頼まれて一緒に出かける事に。

現場となった実家でお経をあげていると、私の隣で一言一句、一生懸命慣れないお経を上げている伯母を見守っている従兄がいて。多分、必要なのは私のお経じゃなくて、心がこもっている伯母のお経なんだと思って、ゆっくりサポートするつもりで読んだ。
「抱きしめてあげたい」と言う気持ちと「ありがとう」という気持ちを貰ったので、伯母さんを抱きしめて「おにいさんがそういっているから」と言うと、伯母さんは泣いていた。
出かけていってから死亡推定時刻には2時間半ほどの時間があったというのです。
その時間1人きりで、現場になった物置で、どんな事を考えていたのだろうか、生きようか死のうか、どうするべきなのか考えたのではないかしら…と考えると、伯母はいたたまれない気持ちになるのだそう。
自分よりも先に1人で亡くなった従兄のことを思って、後を追う事も考えたけれど、孫が居るし、と一生懸命に生きてきたと話してくれた。

仕事に戻ろうとしたら、実家の母から「私が行くので用事を全部済ませてきていいよ」と連絡が入る。結局、父も仕事の都合をつけてくれたのだそう。ありがたい。何かの力を感じてしまう。で、住んでいたお家の方へも伺うことに。

そして、今日は義父の誕生日。生きていたら65歳。
お寿司をお供えしようかなと思ったのだけど、私の実家も主人の実家も「ちらし寿司」とのこと。多分、お父さんが食べたかったんだと思う。
現場に一緒に行っていたとき、よく一緒に食べたお菓子をお供えしました。

2人ともまだまだ心配な事が沢山あると思うのですが、どうかゆっくり休んでね。心配かけないように頑張るから、見守っていてね。

2006-03-01 | Weblog
ここの所、夜になると思い出すのが、母が私達兄弟を連れて家出をした時の風景で。
揉め事の絶えなかった家を、何度か母は私達を連れて出たのだけど、そのときのことは本当に鮮明に覚えていて。
その頃、家族の中で孤独だった母をみて、私と弟は「絶対に母の味方でいよう」と決めていて、どちらと一緒に居たいかと何度訊ねられても「母についていく」と迷わずに言っていた。父はきっと辛かったでしょうね。

北海道から出てきて、お嫁に来て、父が味方をしてくれなかったら本当に一人になっちゃうじゃないの!と思っていたし、祖母のしている事も許せなかった。祖母の事を心から憎んでいたし…。でも、母は私が何かをした時「祖母にそっくりだ」と心から嫌悪をこめて言うので、私は自分の存在を全否定されて、自分でも自分を嫌悪したり絶望したりして神経症になるんですが…これはまた別の話で。

家を出ても、3人が突然飛行機に乗れるほどのお金もなくて、私達の将来も学校の事もあれこれと考えて、北海道へ帰っても生活できるわけでもないし、北海道の祖母も心配するだろうし…そんな事を思ったのか。いつも、駅ビルでおもちゃを見たり、美味しいものを食べて、時間が経つと必ず戻った。
私達はといえば、不安とドキドキと、でも、「いざとなったら本当についていくんだから大丈夫だよ」っていう、子供心があったりして。家に戻ればホッとしたり、また戦いだなと思っては不安になったり。
そんな事を思い出して、母はどんな気持ちで居たのかを思うと、涙が止まらなくなってしまう。「自分ひとりでも生きていけるようになりなさい」と言う母の言葉も理解できる。

なんかちょっと情緒不安定?