高速通しなるものをやってみました。
余計なことが省かれる…というと語弊があるかもしれないけれど、ずっとシンプルで見やすいものになりました。
これだけでも十分通じるんだっていう自信にもなった気がします。
シンプルに「そこに居ること」が出来たら、作品としてはきちんと届いているんだな。
役者のエゴとかは関係ないし、邪魔なんだなと。すごく楽しかったしね。
はるかに良くなった役者さんもいたりして。
そのあともう一度通常通しをやったのですが。
残っている感覚もあって、ああ、このくらいで出来ると気持ちがいいなと思うところもあったりして。収穫がありました。個人的には。
中には、すっかり忘れてた人もいたけど。頭で考えているっていうことなんだろうな。芝居を。
ナカヤマさんの言葉を借りると「作品とお客さんをもっと信じていい」ということなんだけど。根拠が全部自分にあるのだな、そうすると流れに乗れなくなってしまう。
とても難しいけど。
ナカヤマさんに「もっと緊張感が必要というか、台詞が身体とフィットしていて耳には心地よいけど流れがちです」と言われました。
考え直してきます。あと、カツゼツも…。
余計なことが省かれる…というと語弊があるかもしれないけれど、ずっとシンプルで見やすいものになりました。
これだけでも十分通じるんだっていう自信にもなった気がします。
シンプルに「そこに居ること」が出来たら、作品としてはきちんと届いているんだな。
役者のエゴとかは関係ないし、邪魔なんだなと。すごく楽しかったしね。
はるかに良くなった役者さんもいたりして。
そのあともう一度通常通しをやったのですが。
残っている感覚もあって、ああ、このくらいで出来ると気持ちがいいなと思うところもあったりして。収穫がありました。個人的には。
中には、すっかり忘れてた人もいたけど。頭で考えているっていうことなんだろうな。芝居を。
ナカヤマさんの言葉を借りると「作品とお客さんをもっと信じていい」ということなんだけど。根拠が全部自分にあるのだな、そうすると流れに乗れなくなってしまう。
とても難しいけど。
ナカヤマさんに「もっと緊張感が必要というか、台詞が身体とフィットしていて耳には心地よいけど流れがちです」と言われました。
考え直してきます。あと、カツゼツも…。