そもそものそめものや、せいかつ実践編

藍染、柿渋染、草木染をやりますが、ちょっと病気でストップ。311から、東北にかかわっています。。

ミツコさんから、荷物が来た

2015-11-12 03:09:58 | 染めること
千葉のミツコさん(80代)から、雪崩のように3箱小包がきた。すごい量だ~。布類だ。ミツコさん、ありがとう。

一番嬉しかったのは、はんてん。神奈川県はもう寒いのだ。うちの中、1階は16℃ぐらい。寒い寒い。開けてそのまま着てしまった。
やはり着るものは大事だ!

絹や木綿の無地の布(染められる!)や、帯や着物やかすりの端切れや、20年ぐらい前の、化繊のブラウスやワンピースなど。じつにいろんな布類が入っていて、嬉しかった。

20年ぐらい前の化繊の洋服は、今と手触りやデザインが違う。懐かしい感じがする。

さっき「婦人之友」昭和27年11月号を読んでいた。(1952だ。戦後7年目だ)
この雑誌に「化学繊維を使ってみる」という特集があった。

戦争中の「スフ」「人絹」という間に合わせのものでなく、この時代、化学繊維は「毎年進化するものである。今年出た新しいものを買った方がいい」というのである。

戦争中に開発された人絹はとにかく弱かったそうだ。それが、この時期どんどん改良されて来たのだ。婦人之友社では、この年、店に出ている化学繊維を幾つか買い、個人の会員がスカート、ブラウス、スーツを仕立てて着てみる、洗ってみる、アイロンをかける、ということをしている。

洗って縮まないか、色が落ちないか、着ていてしわくちゃにならないか、丈夫か、をみている。
「安い布でこれぐらいの品質なら、かなり改良されていいものが出てきている。使える」という結論だった。

私も15年ぐらい前、ユニクロのジャンパーを買ってその暖かさ、安さに感動した。大晦日に除夜の鐘をつきに行ったとき、火の粉を浴びたら、穴だらけになってしまった。表面が薄い化繊だったので。化繊は火に弱い。穴に刺繍をして、数年は着たと思う。

クラフトフェアですてきだったお店

2015-11-08 02:13:36 | 外で売るとき
クラフトフェアに参加して、素敵だったお店がいくつもあった。Aさんが、ショーツや、ブラジャーやペティコートを作っているのに一番感激した。


森南海子の世界の続きである。

森南海子は、私の尊敬するデザイナーである。「手縫いの服づくり」(情報センター出版局)などなど。直線立ちの衣類や、パンツ、もんぺなどの開発に、に情熱を注いでいた。私は、かなり彼女に影響を受けている。