2014年10月12日(日) 井山武司氏を偲ぶ会
故井山武司氏を偲ぶ会に先がけ、
午前11時より眞量院において百ヶ日法要が営まれ、
親近者はもとより親友の三橋博巳様(元日本大学教授 氷雪建築学)はじめ、
斉藤亢様(フォトグラファー)、橋本和重様(STR代表)他、遠方からも多数の方々がご出席下さいました。
法要終了後は井山氏が設計した「太陽の家」を見学してから偲ぶ会会場へ集合し、午後1時より執り行われました。
献杯は親友の東京大学教養学部理科1類の同級生で、元東レ研究所所長片岡俊郎氏
〈式 次 第〉
開 会
黙 祷
ご 挨 拶
献 杯
ご 歓 談
テーブルスピーチ
太陽建築ビデオ上映
親族挨拶
閉 会
◯発起人代表 前田直己様から
日本に、酒田市にこんなことをやっていた凄いヤツがいたことを覚えておいてほしい。
◯東大工学部建築学科「木葉会」 近澤可也様から
とても純粋な性格。大雑把でありながら緻密、気が長いのに短期なところがある、都会的なのに田舎気質、原宿ボーイで造像団の仲間と都会的生活を送りながら、電気も通っていないバリが好きになり住みつき王様と仲良くなる、最後は自分が愛した郷里酒田の山中に戻る、といった両極端の性分がある人だった。都会でいくらでもやっていけるデザインを持っていながら、その全てを捨てて太陽建築をやったことは凄いことです。太陽建築の記録を残し、引き継ぐ後継者を待つ。
◯ドキュメンタリー映画監督 鎌仲ひとみ様から
井山先生の太陽建築を活かすことができなかった日本が残念でならない。太陽建築でエネルギーゼロハウスを目指していた井山先生が逝かれてしまいましたが
先生は亡くなられても、その思想と哲学を体現した家は残りました。でももっともっと建てていただきたかった! 悔し涙がでました~。
でも先生は鷹揚な方だったから、ニコニコとしていらしゃるのかも、そう思いました。
◯また、バリ島のラーマ君からのメッセージが朝日新聞記者の隈元さんに届き、読み上げてもらいました。ラーマ君は日本で井山先生のもとで建築学び、就職まで面倒をみてもらったそうです。井山先生に大変お世話になり、偲ぶ会にも行きたいと言っていたそうですが、親族の葬儀の準備でどうしても出席することができず、日本語でメッセージを送ってくれました。
故井山武司氏を偲ぶ会に先がけ、
午前11時より眞量院において百ヶ日法要が営まれ、
親近者はもとより親友の三橋博巳様(元日本大学教授 氷雪建築学)はじめ、
斉藤亢様(フォトグラファー)、橋本和重様(STR代表)他、遠方からも多数の方々がご出席下さいました。
法要終了後は井山氏が設計した「太陽の家」を見学してから偲ぶ会会場へ集合し、午後1時より執り行われました。
献杯は親友の東京大学教養学部理科1類の同級生で、元東レ研究所所長片岡俊郎氏
〈式 次 第〉
開 会
黙 祷
ご 挨 拶
献 杯
ご 歓 談
テーブルスピーチ
太陽建築ビデオ上映
親族挨拶
閉 会
◯発起人代表 前田直己様から
日本に、酒田市にこんなことをやっていた凄いヤツがいたことを覚えておいてほしい。
◯東大工学部建築学科「木葉会」 近澤可也様から
とても純粋な性格。大雑把でありながら緻密、気が長いのに短期なところがある、都会的なのに田舎気質、原宿ボーイで造像団の仲間と都会的生活を送りながら、電気も通っていないバリが好きになり住みつき王様と仲良くなる、最後は自分が愛した郷里酒田の山中に戻る、といった両極端の性分がある人だった。都会でいくらでもやっていけるデザインを持っていながら、その全てを捨てて太陽建築をやったことは凄いことです。太陽建築の記録を残し、引き継ぐ後継者を待つ。
◯ドキュメンタリー映画監督 鎌仲ひとみ様から
井山先生の太陽建築を活かすことができなかった日本が残念でならない。太陽建築でエネルギーゼロハウスを目指していた井山先生が逝かれてしまいましたが
先生は亡くなられても、その思想と哲学を体現した家は残りました。でももっともっと建てていただきたかった! 悔し涙がでました~。
でも先生は鷹揚な方だったから、ニコニコとしていらしゃるのかも、そう思いました。
◯また、バリ島のラーマ君からのメッセージが朝日新聞記者の隈元さんに届き、読み上げてもらいました。ラーマ君は日本で井山先生のもとで建築学び、就職まで面倒をみてもらったそうです。井山先生に大変お世話になり、偲ぶ会にも行きたいと言っていたそうですが、親族の葬儀の準備でどうしても出席することができず、日本語でメッセージを送ってくれました。