みんながいつも笑顔でありますように

私と家族と脳腫瘍G4の姉と

検査結果 良好

2009-03-12 | 病気の話 
今日は2週間ぶりの姉の通院の日だった。
そして1ヶ月ぶりのMRIの検査の日。
担当医の先生はニコニコしながら
「全く変化がありません」 と告げたそうです。

9月の救急車で運ばれた時は
「今夜逝ってもおかしくありません」
と告げられ
11月には
「年末年始が峠でしょう」
と言われ、でも今に至る。

本当に奇跡ってあるんじゃないか、って思う。

だから頑張ろうって思うのかな。

お土産♪

2009-03-11 | つぶやき
今日は会社の帰りにお土産を買ってきた。
理ちゃんにはキティーがカンガルーを被った大きなぬいぐるみにしました。
結構大きいっす。
勤め人の頃からさりげなくキティーを持っていた理ちゃんだから
喜んでくれるかな~って。
きっと   「かわい~ねぇ~
             って抱しめてくれるかな、って

この間の緊急帰国の時は
私も今思えば何でだか分からないけれど
空港で、かなりリアルなコアラを買って帰り、
病院で理ちゃん始め、看護士さんから、
かなり笑われ、不評だったので・・・・。
(何か、本物みたいだねぇ。目がリアル。。。うわっ!って感じで

以前まではレスポのバックとかブランド品とかだったけど
今回はとーっても可愛いお土産です

ディズニーランド

2009-03-11 | つぶやき
ここ数日オーストラリアは巨大なサイクロンが来ており
毎日荒れ模様の天気が続いている。
カトリーナ級、とニュースでやっていたけれど、
どうやらそんな被害もなく通り過ぎようとしているみたいで良かった

仕事が立て込んでおり、私も夫さんも同じくらいの帰宅時間。
私は一通りの明日の準備やら家事をするとバタンQ並みの疲れ様だけれど
(たぶん、今までのんびり過ごしてきたせいでしょう・・・・
私が寝静まった後
夫さんは何やら毎晩眠たい目をこすってパソコンに向かっていた・・・・
はて

すると姉用に分かり易い
「旅のしおり」を作ってくれていた。。。。

車椅子でも入れるアトラクションとかショーとか
車椅子の人用の休めるベッド付の休憩所がどこにあるかの地図やら
食べる事が大好きな母や姉の為に 
    (夫さんも私も好きだけど・・・
メニュー一覧、写真付で何がどこで食べれるかの自作の地図も作ってくれてた。

日本で観光ブックを買えばすむ話なんだけど、
そうやって やってくれる夫さん ありがとう
とーっても分かり易いです

でもディズニーって本当凄いな、と思いました フム

3月7日 (土) 晴れ

2009-03-07 | つぶやき
今日も見事に晴れです。
急に仕事を始めて、体がカチコチ、慌しく1週間が過ぎ
気が付けば洗濯物が山の様に溜まっていた・・・・
今日は3回洗濯機を回しました。

暑い暑い。ここオーストラリアは今日も30度を越す猛暑、鋭い日差しです。
日本は雪が降って寒かったり、かと思ったら、暖かかったりと
三寒四温、春が近付いてきているのでしょうか。
桜の開花予想も3月下旬だそうですね。

そんな中でも姉は風邪ひとつ引かず
母も元気に水泳に通い毎日を過ごしている。
本当に本当にこんな日がずっと続けばいいのにな、って思います。

1週間後の今頃は私は上空にいる事でしょう
それまで明日から6日間仕事に頑張ろう
日曜だけど明日は出勤です。

連日遅い帰宅で果たして出発前日きちんと支度ができるのか
この猛暑の中の仕事三昧で、日本へ着いて果たして体を壊さないか
 
 (姉に移しちゃ大変だからそんな事いってられないけど・・・・!
  夫さんも忙しくて風邪気味らしく、プロポリスを毎日飲んでるけど・・・。
  何とか治してくれないと、最終的に私がもらいそう

等々、ちょっと心配の種はありますが、、
とにかくとにかく来週の今日の夜にはみんなに会えております。

夫さんも一緒にいる最初の2週間はとにかく母には休んでもらおうと計画。
姉が手術を受けた日に帰国予定だった旅行、フロリダディズニーランド
行けなかったんだよね。理ちゃん。
姉のたっての希望によりディズニーランドのホテルにも泊まりに行く予定。
そして夫さんと二人で今後の治療方針を聞きに行く。
明るい兆しがありますように 祈るばかりです。

まだこれは先生に聞いてないけれど、母と姉の夢は
「オーストラリアにも行く事」
まだ姉は私たちの家に来た事がありません。
「行きたいなぁ」って言ってるらしいです。
それも叶ったらいいのになぁ



嬉しい♪

2009-03-05 | つぶやき
あと1週間で日本 
楽しみ 楽しみ 

早く会いたいな~

理ちゃんの調子も良い様だし
1日1度の散歩も順調にやっている様だし
 (リハビリはさぼりがち、って母ぼやいてたけど・・・ ま、いっか!
早く会いたいです。

みんなで楽しく旅行に行ったり、理ちゃんの頭もフル回転
いい事がたくさんあります様に

母もようやく愛犬の事で涙を流さなくなったらしく、
徐々に姉と二人の生活ペースを取り戻していて毎日明るいメールが届きます。
とても嬉しいです。

あと1週間

頑張るぞ おぅ

ひな祭り なんですね

2009-03-03 | つぶやき
家には立派な8段飾りのお雛様があった。
姉が初孫でオルゴールに姉の名前が大きく彫られてた。
3年後に生まれた私は姉の下に小さく名前を彫られた。

いつも母と姉と3人で半日掛りでお雛様を出していた。
今日、実家ではきっとおいしいものを食べているんだろうな。

仕事に復帰して
外の世界に出るようになってから、思うこと。
姉と同じような年頃の人だなー。
娘さんが2人もいるんだー。

仕事で辛いことがあった時、姉を思い出す。
これくらい、なんだ、と自分を戒める。
姉の方が我慢強く仕事してたよなー。
私も、頑張らなくちゃ。

いつもどこかに私の意識の片隅に姉の存在がある。
元気な時はこんな事なかった。
姉の事を考える日常ではなかった。

でも今は違う。
朝起きれば何か変わったことはないか、と必ず連絡する。
仕事から帰ってくれば
何かあったんじゃないか、ってすぐメールをチェックする。

今日も理ちゃんは元気に
のんびりと母と二人で散歩に出掛けたらしい。
今日も元気に一日を終えた。
ご飯も沢山食べた。
私はホッとする。
こんな日がずっと続くような気がする。
続いて欲しい、と心から願う。

なんで病気ってあるんだろう、って毎朝起きて思う。


姉の気持ち

2009-03-01 | 病気の話 
理ちゃんがどこまで愛犬ファンキーの事を理解したのか分からない。
朝早く母がファンキーを抱きしめて悲しみに暮れていた時、
ちょうどトイレに行こうと理ちゃんは部屋から出て来た。
母が「ファンキー逝っちゃったよ」と告げると
姉は「ふ~ん。」と部屋に入り、また寝息を立て始めた。

その後、起きてきて、母が泣いている側で、
そのまま普通に病院へ行く支度を始めた。

家に帰ってきてから、ファンキーの静かに横たわった姿を見てようやく、
「ファンキーのこと」を理解した様子だ、と母が言っていた。

今週くらいから、姉は他の人が言っている言葉をオウム返しに言う様になってたので
ゆっくりと母がファンキーの事を説明してもそれを繰り返すだけだった。
母「悲しいの?」 姉「悲しいの?」
涙を流す事もなかった。
そう言えば意識が朦朧としている手術前の剃髪後に涙を一筋流して以来、
姉の涙を見ていません。

ファンキーの最期、祖母と母と姉が付き添った。
その日は雨交じりの雪が降っていたそうです。2月27日木曜日。
姉は霊園の階段で立ち上がれなくなって、祖母と霊園スタッフの人に抱き起こされた。

帰ってきてから姉はポツリと言ったそうです。
「これから動物のいない生活だね。」って。

ファンキーは私がまだ学生の頃、先代のワンコが17歳で旅立った後、
社会人になった姉と母が二人で探し回ってお金を出し合って家に迎えたワンコです。

姉なりに感じている気持ち。
きっと私たちのように無限に広がっている事、と、思う。
それを表現できないだけ、と思う。

これからもそんな姉の気持ちを大切にしていきたいと思う。
ゆっくりと向き合っていこう。

刻々と変わる姉の様子

2009-03-01 | 病気の話 
どれくらいからだろう。
目に見えて自分でできない事が増えていったのは。
ここ2~3週間ほどの事のような気がします。

発病して手術後から4ヶ月目位。

退院後1月の初めての外来の時に病院とデパートで迷子になった。
2月に入ってから粗相をするようになり、家のすぐ裏から家に帰れなかった。
自分の力で立ち上がる事ができなくなる事が、ここ2週間くらいで4回ほどあった。
お風呂が長いな、と思い見に行くと「洗う順番が分からなくなった」
と言い、ずっと椅子に座ったままシャワーに打たれていた。
それ以来、母が一緒に入っています。

一度に2つの事を言うと、それをあまりうまく処理できない様です。
「こっちはゴミ箱でこっちは洗濯機ね」
と言うと、両方とも洗濯機に入れてしまったり。
今はひとつの事を言ってから、次にする事を順番に伝えるように心掛けています。
それでも、1つの事も処理できなくてその物を持ったまま立ち尽くしてしまう事もあるらしい。

薬の袋を開けて飲むことも出来なくなったのはここ2、3日の事。
「飲んだよ」と言ってたけれど、いつもチェックしている母はゴミ箱を見ると
開封されないままの薬が捨ててあった。
ドラマは話が理解できなくなっちゃった、と母が言っており、
大好きだったマンガも手に取る事がなくなったらしい。
会話も母が言った事をオウム返しに言うことが多くなった。
(「薬飲みなね」と母が言うと、姉「薬飲みなね」と言って、それで終わり。)
愛犬の死と重なって悲しみが深くなった様子の母の話でした。

でも、今まで寝たきりの愛犬の世話と(夜になると吠えっぱなしのファンキー・・)
姉の事で心身ともに疲労困憊だったのが
「私たちのためにファンキーは静かに逝ってくれたんだよね」
と言うように母も泣きながらですが、元気を取り戻してきています。
「2人3脚で理とのんびり行くよ!!(^-')/☆」って絵文字入りでメールが届きました。
今まで少しカリカリしていたのが、ちょっと丸くのんびりとした雰囲気になってきてます。
ファンキー診てくれてありがとうね。お疲れ様。

脳腫瘍と言っても症状は人それぞれ、腫瘍の出来た場所や浸透具合で変わるんだな、
と改めて思いました。
でもまだ小康状態と言われているのに症状だけ変わっていくのって何でなんだろう?
薬とか放射線とか様々な影響から?

でも、相変わらず食欲はモリモリ
木曜日の血液検査も良好 
  (おいしい物食べ過ぎて糖尿の数値がー、って言われたけど・・・
あと2週間だーー!! 

入院~退院までの姉の様子

2009-03-01 | 初めての入院
私が日本に居た頃の手術から2ヵ月が経過し、退院間際の姉は
自分の事はかなりできていました。
ゆっくりではあるけれど、迷子になる事もなかったし
薬を飲む事も、決められた時間にフコイダンを飲む事もトイレもお風呂も
一人で時間を掛けながらゆっくりやってました。

小説は読む事はなくなったけど、好きなマンガも普通のスピードで読んでいたし
読みたいマンガのリクエストも私にしていました。
病室に行くと、「大和撫子」の再放送ドラマを見て「懐かしいよ、面白いよね。」
「チーム・バチスタの栄光」「流星の絆」は
「ちゃんと録画しといてよ」と頼まれていました。
外泊の時など一緒にコタツで見ていて私が寝てしまっても一人で真剣に見てました。
「花は仕方ないなぁー。すぐ寝るんだから」と笑ってました。

友達が来てくれた時も、きちんと笑顔で対応して話も弾んでました。