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4年周期の証明 日本のサッカー大好き!

サッカーについて語るときに私の語ること サッカー大好き ジャパンフットボールで一期一会 記事上ノくーろん者。

無事に・・・・

2005年03月27日 08時39分45秒 | その他
運良く無事に帰国する事が出来た。怪我が1つもなかったことは奇跡に近かった。
今はそれだけを幸せに思う。
詳細は早急にまとめサポーターから見て感じたイラン戦を伝えたい。国内で観戦した人たちとの温度差はまだ感じ取っていないが帰りの機内でほとんどの新聞に目を通し、ネットニュースを見た限りでは混乱をあおっているようにしか映らなかった。とりあえずバーレーン戦の勝利を祈りたい。

本来サポーターが怪我をするということは万が一でもあってはいけないアクシデントのはずである。
今回の自分の経験から日本サッカー協会にFIFAへ通達しイランの観戦ルール変更の申し出を至急願いたい。
6月3日vs 朝鮮民主主義人民共和国
6月8日vs バーレーン
で同じようにアウェイサポーター(朝鮮民主主義人民共和国,バーレーン)の犠牲者を出さないためにもアウェイサポーターの真上に位置する2階席を完全に空席にし、また2階席に入るイランサポーターからは入場料をとり、お金を支払って道徳心をもって観戦できるサポーターのみの入場に制限すべきだ。さらに警備員の増員、アウェイサポーターの移動経路の安全確保等課題点を徹底的に見直してほしい。
仮にこんな最低限の規制さえできない国での公式戦をFIFAは規制すべきだと思う。

イラン国営通信によると、テヘランのアザディ競技場で25日に行われたサッカー・ワールドカップ(W杯)アジア最終予選の日本―イラン戦の終了後、興奮したイラン人サポーターが出口に殺到して転倒し、5人が死亡、約40人が負傷。
約10万人収容の同競技場は地元サポーターで満員だった。

一方、現地アザディ競技場で観戦していた日本人サポーターの少なくとも4人が、イランサポーターから投げ入れられたペットボトルやコインなどで頭部を切るなどのけがを負い、スタジアム内の医務室で手当てを受けていた
 スタンドでは、額から出血したため、頭に巻いていたマフラーを外し、手で顔を覆う日本人女性の姿も見られた。
 世界屈指の10万人以上の収容人数を誇る同競技場には、サッカー人気の高さを反映し、朝から男性ファンが詰め掛けていた。0泊3日の弾丸ツアーで駆けつけるなどした日本人サポーター約1500人は、代表選手と同じ青いユニホーム姿で1カ所に固まって応援していたが、殺気立ったイラン人サポーターの大歓声と指笛に圧倒されていた。
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いま、会いにゆきます。

2005年03月24日 20時32分44秒 | その他
テヘラン天気予報
25日(金)
晴れ時々曇り
気温13/10℃(試合時間は12℃程)
湿度64%
風速(m/s)1

チキンハートのテヘラン黙示録
<<序章?>>
僕は連休や行楽シーズンに温泉旅行や観光に出かける人の気がしれない。
行って何が楽しいの?と思ってしまう。
(部活の合宿みたいに汗を流して身体を鍛えるとか、何らかの目的をもって別の土地に行くのは好きだが)
わざわざ数日間の限られたわずかな時間のために、高いお金をだして限られた土地で、誰もが触れられる文化、食事に自分から足を運ぶ気持ちはなんて到底持ち合わせていない。
(友人に誘われたら行かない事もないが・・・)
ましてや海外旅行なんてもってのほか。数年前に一度だけ家族と北京にいったのが最初で最後である。
そんな国内旅行すらままならない超初心者がたった1人で海外へ、それもバカンスで行くには不向き?なイランへ旅立つ気持ちがわかるだろうか。
1人といっても所詮はツアー。大勢の代表サポと添乗員もいる。辺境の地へ1人で乗り込むのとは別が違う事は大いにわかっている。それでも恐れるチキンハートなのである。

旅行会社への入金期限まで1週間の猶予があったにもかかわらず全額を即日入金した。
にもかかわらずその後数週間、今日に至るまで不安と恐怖でデリケートゆえナイーブなチキンハートがあきらめきれない携帯バイブのように鳴り響き続け(アンダーソン戦を控えた猫田のロッカールームのような気分で(「はじめの一歩」Round 405「酔った拳」46巻:講談社コミック))、返金額ゼロでもキャンセルの申し込みをしようかと何度も考えた。
連日のように飛び交うイラン情勢、パンフレットに記され注意事項の1言1句が重くのしかかってきた。
さらに昨今の航空会社の不祥事、スタジアムの異物投入の記事が胸を締め付ける。
やめてもよかった、でもやめられない、やめるわけにはいかなかった。
なぜなら今しか行けないと思ったからだ。
12年前のドーハは現地での観戦すら想像できず、8年前のジョホールバルは現地に行く勇気すら持てなかった。
また見送ってしまったら4年後(アフリカW杯予選)にこのメンバー(96年のアトランタから見続けた中田英、99年ワールドユースから溺れた小野、稲本、中村、高原)がそろって戦う事はあるのかなと正直考えた。
そして何より4年後という未来には自分自信が観戦するために都合をつける事が困難かもしれないなと思っただった。(今回は運良く職場の事情で代休を取れた。)
そんな個人的な目線の角度から、自分が生で現実的に見れる最終予選は今年しかないと決断したのである。
1人孤独な結団式を終えさっそく僕は休日を利用して、換金のために某○井○友銀行に向かった。事前にイランの物価が日本より安いと調べあげていたので40USドル(4300円)換金してほしいと女子銀行員に頼んだところ、すぐさま隣の同僚と向き合ってプププと笑われてしまった。(よほどそんな小額換金者がめずらしかったのだろう。)
それを見て陰の炎でチキンハートを燃やし今後も海外へのバカンスはないと誓ったのである。

僕の弾丸ツアー帰国日は日曜早朝だが帰宅し一息付いてもすぐに出勤しなければならない。
なぜって?3日後にさいたまに向かうために代休を取らなければならないからだ。
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