ボブ・ディランがつくった素晴らしい映画『レナルド・アンド・クララ』(1978)には、とても詩的で美しい表現があふれている。わたしはとくに、白い服の女性がいつのまにか入れ替わっている場面と、女性を馬と交換する場面が大好きで、よく思い出すことがある。それから、映画全体が意識の海へダイビングしていくとき、案内人が喋りながらピンボールゲームをえんえんプレイする場面などは才人でないと思いつかないだろう。意識のゆらぎと、ピンボールの平衡感覚のゆらぎを重ね合わせるという秀逸なアイデア。びっくりするような表現が次々と出てくるところはディランならではのもので、これは彼の歌の世界と共通のものだ。そして、こうしたディラン独特の感覚は、意外なほど古典的で民族的なところがある。これは彼の書く歌詞もそうで、彼の歌に馴染んだひとなら、この映画のかんじんの部分を味わえるだろう。これは観る目のあるひとにしか気づかない。しかし子どもにも分かるような普遍性がある。
ただし作品としては混乱しているので、たぶんディラン自身もこれが何についての映画だったのか分からなくなっているのではないか。彼の歌にもそういうものがある。極端に無意識的なところが、彼の作品の長所であり短所でもある。
問題があるとすれば、彼の映画の作り方で、意識に浮かんだイメージをリアルタイムで即興の脚本にして、その場のひとに役を演じさせ映像作品にしていく、などというやりかたは常軌を逸している。正気であろうと努力しすぎる狂気、とでも言ったらいいだろうか。自らの無意識と意識の両方に向き合い、それを映像によって掘り下げ、明るみに出していこうというアイデアは素晴らしいものだが、それを実際に巨額の資金を投じてやってしまったというところが、いかにも彼らしい。
こうしたやりかたは、もちろん周りのひとたちの心を致命的に傷つけたであろう。彼の妻だった美しい女性は、この映画に参加したことを後悔したと言っているが、あたりまえである。まるで公開セラピーのように(!)なにもかも明るみに出されるのだから。じっさい彼女は、娼婦のようにあつかわれたり、嫉妬深い妻を演じさせられたり、情け深い母親のようにあつかわれたりしていた。
彼はもっと、自分のこころと周りのこころに対して敬意を払うべきだった。無意識を掘り下げていけばリアルな自分に会えると思うような子供じみた世界観、なんでも明るみに出せばいいというような未熟な世界観はしかし、あの時代に蔓延していたものだったということに気づく。フロイトを読み間違えたみたいな、ずさんな感覚を持ったひとたちが、このニホンという国にもたくさんいた時代があって、そのずうずうしい破壊的な感覚を持ったひとたちを、わたしたちはひとくくりに、たとえば「団塊の世代」などと表現することがある。これはたんにイメージだから、実際の団塊の世代とはとりあえず関係はない。しかしディランも、そういう時代の精神とは無関係ではなかったということなのかもしれない。
※写真は『レナルド・アンド・クララ』より。左からジョーン・バエズ、サラ・ディラン、ボブ・ディラン。この映画はずっと未来になってから、その革新性が見なおされ評価される日が来るだろう
う~ん、ファンの皆様すいません。
でも、いい写真だ。
60年代の暗さを感じる。もう無くなってしまったあの闇のにおいを。
いつも東通路から出ているのを見破られた気分だ・・・。