オヤジという病い

2008-10-14 04:32:22 | Notebook
     
われわれオヤジという生き物は、いろいろ知ってしまっているせいで、すぐになんでも分かってしまうという欠点をもっている。
ある種のジャーナリストやインテリみたいに、なんでも知っている、すぐになんでも分かってしまうということは、とても酷いことだ。

ゆえにオヤジは、時間をかけてじっくり味わい観察するという美徳を失いがちだ。ほんらい長くあるべき思考も短くなってくる。この点において、なにも知らない若いビギナーよりはるかに人間的に劣る場合がある。オヤジは物事をよく見ないし、ひとの話をよく聞かない。せめてその自信と貫禄を、ふだんは棚上げにして忘れ去ることができればいいのに。できれば青年のように不安定で、空疎で、まるで風にさらされたような心を取り戻しておればいいのにと思うことがある。どうせオヤジなんだから、ほんものの青年よりずっと上手に立ち向かえるはずなのだから。

受難に遭ったオヤジは、そのことに気づいている。リストラされたり、むずかしい病気に罹って空を仰ぐとき、じつはオヤジたちはこっそり気づいているものだ。あの青年のころに吹いていた風は、いまも変わらず吹いているのだということを。自分は青年時代からすこしも成長していないのだということを。

そしてさらに気づくのだ。ひとをほんとうに成長させるのは経験値でも引き出しを増やすことでもなく、この風の味わいなのだということに。

目を瞑る。風のなかでそっと目を瞑る。そうしてオヤジは、やっとオトナになる。