■『アラスカ 光と風』星野道夫/著(福音館日曜日文庫)
目次
シシュマレフ村
カリブーを追って
氷の国へ グレイシャーベイへの旅
オーロラを求めて
北極への門 ブルックス山脈の山旅
クジラの民
新しい旅
読んでいると、自分も探検家、冒険家になって、ともに旅をしている気分になる。
目の前にただただ広がる氷の世界って一体どんなだろう?
著者も若い頃に数々の本を読んで、焦がれるほどアラスカに憧れたというから、
きっとこれを読む次世代にもそんな夢を描いてほしいという願いで書いたのではないだろうか。
「シシュマレフ村」
初めてアラスカの村を訪ねた体験が詳しく書かれている。
長い滞在中にレインディアの狩りなど体験して、最後の別れのシーンでは同じく鼻頭が熱くなった。
「カリブーを追って」
大学の友人に紹介してもらったデイブは、アラスカで5本の指に入る鳥類学者だった。
彼の観察研究に同行させてもらい、調査を手伝いながら実地訓練?
p.98
もし自分のアラスカを1枚の写真で見せろといわれたなら、ぼくは今でもこのときのブリザードの中のカリブーを選ぶだろう。
ブリザードの中で撮影したカリブーの写真ていつか読んだ本の表紙にも使われていたやつだろうか?
「氷の国へ グレイシャーベイへの旅」
ゾーディアックを漕いで旅に出る。本当は世界最高のカヤック「クレッパー」が欲しかったという。
道夫さんが繰り返し読んだ『デルスウザーラ』は、たしか黒澤映画シリーズで最後に観た。
黒澤監督らしくないと不思議だったことしか思い出せないが。
マイルスやコルトレーンなどジャズが好きだって、なんだか意外。
▼植物遷移
「オーロラを求めて」
アラスカ鉄道は、フラッグストップ、つまり手をあげればどこからでも乗り降りできるシステムなんだって!/驚
氷点下50℃に下がる冬山に1ヵ月キャンプを張って凍傷にかかり膿を出すって・・・
普通に書いてるけど、本当に極限の世界なんだな。
1冊だけ持っていった日本の雑誌に掲載された「紀文のおでんの広告」は何度見ても飽きなかったんだってw
たった1枚の何気ないオーロラ写真にも命が懸かっているからこそ人を感動させるんだな。
▼リンクス=オオヤマネコ
▼ドールシープ
「北極への門 ブルックス山脈の山旅」
世界最大級の油田の発見によって、アラスカのインディアン、エスキモーたちの生活は一変した。
広大なアラスカの土地は国、州で分配され、もともと住んでいたエスキモーたちに与えられたのはわずか10%の土地だった。
ムースのポピュレーションを平均に保つために、狼の間引きが行われた政策は、アラスカ中を騒然とさせた。
道夫さんの銃に対する違和感が語られている一文もある。
「人間とクマとのナチュラルディスタンス」さえ守れば、銃は必要ない。
むしろ、銃を持って入っちゃいけないルールが作られている国立公園内のほうが危なくて、実際事故も多いという。
▼阿岸充穂『大地の詩』
長いキャンプの旅から帰ってからやることのリストがまたいい。
熱い風呂になにも考えずに浸かる、焼きたてのパンを出すベーカリー(1杯のコーヒーで何時間も粘れるから)に行く、
その店で一番楽しみな手紙を読み、友と再会すること。きっとこちらでするそれの百倍は素晴らしいんだろうな!
「クジラの民」
昔ながらのアザラシの皮で作ったカヌー<ウミアック>に乗って銛を打ってクジラを捕る狩猟に参加する。
氷が解け出す春の近い海で、リード(氷が一部解けてできた海)に呼吸しに浮かび上がるところを突く。
1ヶ月もキャンプをしてひたすら待つ。待つ。待つ。
そしてようやく1グループが仕留め、無駄なくみなに配分され、顎の骨は海に帰される「また来年戻ってこいよ」と祈って。
一定期間腰を据えて村に住み、すごい体験をして、村を去る場面になると毎回泣きそうになって文字から目をそらしてしまう/涙
▼マクタック
p.298
村の生活はどんどん変わっている。新しい学校、個性のない同じような新しい家々、テレビ、スノーモービル。クジラ漁の世界とは、なんという隔たりだろう。押し寄せる消費文明、そこから生まれる新しい価値観。それらはいったいどこまで広がってゆくのだろう。
「新しい旅」
これは本書が刊行されるにあたって付け加えられた1章。アラスカに住んで17年たってやっと気づいたこと。
それは、エスキモーが本当のエスキモーだった頃を知る老人たちから1つでも多くの物語を聞くこと。
道夫さんは、写真を撮るとともに、それをライフワークとしようと決心する。
本書の中でとても感慨深かったのは、次の一節だった。
p.104
もし人間の一生がカレンダーで区切られるものならば、70歳まで生きるとして70冊のカレンダーだ。つくづく時の流れの奇妙さを思った。
ベルトルッチの映画『シェルタリング・スカイ』にある、原作者本人のセリフを思い返した。
「人は自分の死を予知できず、人生を尽きせぬ泉だと思う。 だが、物事はすべて数回起こるか起こらないかだ。
自分の人生を左右したと思えるほど大切な子供の頃の思い出も、 あと何回心に思い浮かべるか?せいぜい4、5回思い出すくらいだ。
あと何回満月を眺めるか?せいぜい20回だろう。だが、人は無限の機会があると思い込んでいる。」
目次
シシュマレフ村
カリブーを追って
氷の国へ グレイシャーベイへの旅
オーロラを求めて
北極への門 ブルックス山脈の山旅
クジラの民
新しい旅
読んでいると、自分も探検家、冒険家になって、ともに旅をしている気分になる。
目の前にただただ広がる氷の世界って一体どんなだろう?
著者も若い頃に数々の本を読んで、焦がれるほどアラスカに憧れたというから、
きっとこれを読む次世代にもそんな夢を描いてほしいという願いで書いたのではないだろうか。
「シシュマレフ村」
初めてアラスカの村を訪ねた体験が詳しく書かれている。
長い滞在中にレインディアの狩りなど体験して、最後の別れのシーンでは同じく鼻頭が熱くなった。
「カリブーを追って」
大学の友人に紹介してもらったデイブは、アラスカで5本の指に入る鳥類学者だった。
彼の観察研究に同行させてもらい、調査を手伝いながら実地訓練?
p.98
もし自分のアラスカを1枚の写真で見せろといわれたなら、ぼくは今でもこのときのブリザードの中のカリブーを選ぶだろう。
ブリザードの中で撮影したカリブーの写真ていつか読んだ本の表紙にも使われていたやつだろうか?
「氷の国へ グレイシャーベイへの旅」
ゾーディアックを漕いで旅に出る。本当は世界最高のカヤック「クレッパー」が欲しかったという。
道夫さんが繰り返し読んだ『デルスウザーラ』は、たしか黒澤映画シリーズで最後に観た。
黒澤監督らしくないと不思議だったことしか思い出せないが。
マイルスやコルトレーンなどジャズが好きだって、なんだか意外。
▼植物遷移
「オーロラを求めて」
アラスカ鉄道は、フラッグストップ、つまり手をあげればどこからでも乗り降りできるシステムなんだって!/驚
氷点下50℃に下がる冬山に1ヵ月キャンプを張って凍傷にかかり膿を出すって・・・
普通に書いてるけど、本当に極限の世界なんだな。
1冊だけ持っていった日本の雑誌に掲載された「紀文のおでんの広告」は何度見ても飽きなかったんだってw
たった1枚の何気ないオーロラ写真にも命が懸かっているからこそ人を感動させるんだな。
▼リンクス=オオヤマネコ
▼ドールシープ
「北極への門 ブルックス山脈の山旅」
世界最大級の油田の発見によって、アラスカのインディアン、エスキモーたちの生活は一変した。
広大なアラスカの土地は国、州で分配され、もともと住んでいたエスキモーたちに与えられたのはわずか10%の土地だった。
ムースのポピュレーションを平均に保つために、狼の間引きが行われた政策は、アラスカ中を騒然とさせた。
道夫さんの銃に対する違和感が語られている一文もある。
「人間とクマとのナチュラルディスタンス」さえ守れば、銃は必要ない。
むしろ、銃を持って入っちゃいけないルールが作られている国立公園内のほうが危なくて、実際事故も多いという。
▼阿岸充穂『大地の詩』
長いキャンプの旅から帰ってからやることのリストがまたいい。
熱い風呂になにも考えずに浸かる、焼きたてのパンを出すベーカリー(1杯のコーヒーで何時間も粘れるから)に行く、
その店で一番楽しみな手紙を読み、友と再会すること。きっとこちらでするそれの百倍は素晴らしいんだろうな!
「クジラの民」
昔ながらのアザラシの皮で作ったカヌー<ウミアック>に乗って銛を打ってクジラを捕る狩猟に参加する。
氷が解け出す春の近い海で、リード(氷が一部解けてできた海)に呼吸しに浮かび上がるところを突く。
1ヶ月もキャンプをしてひたすら待つ。待つ。待つ。
そしてようやく1グループが仕留め、無駄なくみなに配分され、顎の骨は海に帰される「また来年戻ってこいよ」と祈って。
一定期間腰を据えて村に住み、すごい体験をして、村を去る場面になると毎回泣きそうになって文字から目をそらしてしまう/涙
▼マクタック
p.298
村の生活はどんどん変わっている。新しい学校、個性のない同じような新しい家々、テレビ、スノーモービル。クジラ漁の世界とは、なんという隔たりだろう。押し寄せる消費文明、そこから生まれる新しい価値観。それらはいったいどこまで広がってゆくのだろう。
「新しい旅」
これは本書が刊行されるにあたって付け加えられた1章。アラスカに住んで17年たってやっと気づいたこと。
それは、エスキモーが本当のエスキモーだった頃を知る老人たちから1つでも多くの物語を聞くこと。
道夫さんは、写真を撮るとともに、それをライフワークとしようと決心する。
本書の中でとても感慨深かったのは、次の一節だった。
p.104
もし人間の一生がカレンダーで区切られるものならば、70歳まで生きるとして70冊のカレンダーだ。つくづく時の流れの奇妙さを思った。
ベルトルッチの映画『シェルタリング・スカイ』にある、原作者本人のセリフを思い返した。
「人は自分の死を予知できず、人生を尽きせぬ泉だと思う。 だが、物事はすべて数回起こるか起こらないかだ。
自分の人生を左右したと思えるほど大切な子供の頃の思い出も、 あと何回心に思い浮かべるか?せいぜい4、5回思い出すくらいだ。
あと何回満月を眺めるか?せいぜい20回だろう。だが、人は無限の機会があると思い込んでいる。」