メランコリア

メランコリアの国にようこそ。
ここにあるのはわたしの心象スケッチです。

映画『フィッシュマンズ』(ネタバレ注意 7.21

2021-07-22 12:49:54 | 映画
出演:
佐藤伸治 茂木欣一 小嶋謙介 柏原譲 HAKASE-SUN
HONZI 関口“dARTs”道生 木暮晋也 小宮山聖 ZAK
UA ハナレグミ YO-KING(真心ブラザーズ)
原田郁子(クラムボン) こだま和文


池袋ロサは、入口が別のTSUTAYAは昔からお世話になっているけれども
映画館に入るのは初めてかも
入口はよくライヴ友さんと通ったカラオケ屋パセラ本店の向かい側





当日、劇場で指定席のチケットを買う昔ながらのシステムが良い

迷いに迷った末に、スタッフさんが「後列は少し傾斜がついている」とのことで
一番後ろを選んだら、すぐ後ろは出入り口のドアがあって開放的

開始まで少し時間が余ったから、久しぶりにマルイに行ったら
なんと、8月末で閉店/驚×5000





デパート、百貨店の時代は終わったんだな
ぶくろでバイトしていた頃を思い出す建物のひとつ
昼休みにVeriginレコードをひやかしたりして



入る前に手首の検温があり、劇場内ではマスク着用
飲食は禁止せず、配慮を促す程度なのも良い

椅子は1人1人がゆったりサイズで
座ると結構な深さで斜め上のスクリーンを観る感じ

家で壁にもたれて座る傾斜と似ていて
最初はラクだったけど、さすがに3時間同じ姿勢は辛かった

フィッシュマンズのパンフレットは2000円で気になったけれども
昔みたいにパンフレットを集めるのは止めているので買わなかった

その代わり、あればいいなと思っていた
「ミニシアターパーク」のステッカーが置いてあったから550円でゲットv
微力ながら私もミニシアター応援します







3時間ていう長さに何度も躊躇した
フィッシュマンズの曲が長いからかと思っていたら
欣ちゃんの貯めが長いからかw
でもそれがフィッシュマンズらしい感じ

熱射の暑さにヤラれて体調が優れず
最初の不協和音から不安がピークになって
こないだのMRIに続いて、またパニック発作が出た/汗×5000

飛行機の音も不安感増し増し
深呼吸や合谷のツボなどでなんとか乗り切った

最後に同じ音が流れた時は物語に入り込んでいて気にならなかった

佐藤くんは天才
最後のステージで出し切って放心状態の満足顔が見れて良かったというメンバー

この映画を知ったのはヨーキンさんが出ると言ってたから
子ども野球チームで一緒だったってビックリ!

YO-KING:小さい頃からこざっぱりして垢抜けててモテていたと思う

母:
上の子に影響されてベースを買ってきた
本が大好きだったから国立図書館(?)を受けようとしていたが
レコード契約と重なって、そっちを選んだ

写真やこれまでの経緯をちゃんと整理してあって
母親としてどういう心境なのか想像超えるものがあった




【内容抜粋メモ】(ネタバレ注意 細かい間違いがあったらスミマセン/謝











UA、ハナレグミ、原田郁子(クラムボン)などライヴに参加した面々!

LIVE REPORT:フィッシュマンズ@渋谷AX 2005.11.22
ついこないだの感覚だったけど、2005年か/驚

この時は、佐藤くんという存在すら知らず感動した
そのバンドの背景にこんなドラマがあったなんて

これだけのメンツが全員集まったライヴに立ち会えたのは
今思うと改めて素晴らしい縁だった

UA:
(詩先と聞いて)信じられない
あの変態踊り(w)も真似したいと思った

ハナレグミ:身近にある言葉で同じように書いてみたいと思うけれどもムリ

原田:自分が歌ってみて「コレじゃない!」感がすごかった




渋谷クアトロ、野音や奥多摩?などいろんな縁のある場所で思い出話をするメンバー


明治学院大学の音楽サークル「ソング・ライツ」で佐藤くんに出会った
ウィキ:学内のイベントに参加する為に茂木欣一、小嶋謙介の3人でフィッシュマンズを結成。

最初は1回だけのバンドのつもりだったから
名前を適当に決めた

佐藤:2つあって、フィッシュマンズかマヨネーズ(w

欣一:キヨシローさんみたいな声 この人と演れるんだ よっしゃー!って思った

作詞・作曲は佐藤くん 誰にも制作過程は見せなかった


最初にオーストラリアでレコーディング
これも稀有な経験だなあ
90年代のバンドブームで他にはウルフルズ、スピッツがいたってすごい時代!

みんなどんどん売れていく中
ヴァージンが宣伝しなかったりでアルバムがなかなか売れなかった

「今思うと素人集団 普通のことがやれてなかった」

歌うだけじゃなくて、プロモーション活動も入るからややこしいね

バンドブームの時、私は洋楽を聴いていて
ライヴに通いだしたのが遅かったから
生で観れなかったのが残念


ドラマのタイアップ

ウィキ:
1992年(平成4年)
1月から3月まで放送されたフジテレビ系ドラマ『90日間・トテナム・パブ』のオープニングテーマとして『100ミリちょっとの』が使用される

ライヴの前のバンドはオリジナルラブ!
欣一:これはキターーーーーーー!と思ったw

「めちゃくちゃポップ 佐藤くんが書きたいと思っていることと違ってると思う」


ポリドールに移籍
ウィキ:
移籍条件の一つとしていた「プライベートスタジオ」が完成、
「ワイキキビーチ/ハワイスタジオ」と名付け、入居

2年でアルバム3枚作る約束をした

「普通のバンドなら、『Orange』を出した時点で次は5年後くらいだよ
 その間その曲をずっと演ってればいいわけだから」


佐藤:移籍はいいよー!(客席から笑い


後半の曲はデモからもう出来上がっていて
バンドが入り込む隙間がなかったそう

ハカセくん、ベース、エンジニアも抜けて
一からやり直そうとしていた

ザックさんが編集するのに「目から血が出た」エピソードが凄い/汗

欣ちゃんがリーダーになってくれみたいに言われていたため
当時、メンバーの心境を推し量れなかったことに対して申し訳なく思っていると話していた

タイアップとかを大事にするか
自分たちがやりたいことを優先させるかと話し合って
やりたいことをやるほうを選んだ


『男達の別れ』ツアーファイナル
ウィキ:
1998年(平成10年)12月27日、28日に『男達の別れ』ツアーファイナルが赤坂BLITZで行われ、
これを以って柏原が脱退。また、これが実質最後のライブとなった。

ハナレグミ:ライヴ中のMCでぽつりと言った言葉が苦しくて抜け出した

佐藤:だって実際みんな抜けていくじゃん



1999年(平成11年)3月15日、佐藤が死去
高熱が続いて、そのまま帰らぬ人に
「風邪は万病の元」と言うけど本当に亡くなる人がいるんだと当時は驚いた
ウィキには「心不全のため死去(具体的な死因は公表されていない)」とある

ライヴ後、もう会えない気がした欣ちゃん

昔のメンツが揃い、参列者を音楽で迎えるメンバー
音楽葬っていいな

欣一:帰りの車でウソみたいに泣いてた(涙×5000 劇場でも鼻をすする音が聞こえた



♪ひこうき
原田郁子ちゃんが「蜃気楼みたいに見えた」て言うのも分かるステージ
ほとんど光に包まれて、完全に彼岸に行っちゃってる感じ

一種狂気じみた世界
そのエネルギーをまともに受ける真ん前にいる人たちって鋼の心臓だなっていつも思う

これで終わりかと思ったら、もう一度欣ちゃんが出てきて
フィッシュマンズを今生きている自分たちが
ちゃんと継承していかなければならないと決意表明して
私が観たライヴ映像が流れる


HONZI(1967年2月15日 - 2007年9月27日)

欣ちゃんはあくまでフィッシュマンズのメンバーとして出演していて
スカパラの話は出てこない

1人欠けただけでもこれだけの喪失感なのに
メンバー2人を亡くしているスカパラのメンバーも
受け止めるまでに相当あがいただろうな

それでもやっぱり佐藤くんもHONZIさんも
今のメンバーの活躍を身近で見て応援してくれると思った





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