メランコリア

メランコリアの国にようこそ。
ここにあるのはわたしの心象スケッチです。

ハンセン病患者の療養所がある大島@日曜美術館

2019-09-29 11:30:07 | アート&イベント
瀬戸内国際芸術祭2019






ハンセン病(ウィキ参照

数十年にわたって続いた療養所のカメラクラブ
そこで活動してきた男性を写した写真です








70年間、この島で暮らす N さんの人生を
同郷の作家が聞き取り、描いた作品

病の影響で指先の感覚が失われてもなお、表現を続ける姿の記録

16歳で故郷を離れた時
母親が髪を振り乱して別れを惜しんだ姿が今も忘れられないといいます






散歩道を甦らせる
かつて島の人々が通った散歩道を甦らせるプロジェクトもあります
長年使われず草に覆われていた道を、作家とボランティアが改めて整備
道端にはこの島で暮らした人々の切実な言葉が記されています










生来、嗅覚がなかった。
 その上視覚を失い、音だけの世界に生きるようになり、
 闇の中での対話は幽霊のようなものと話しているみたいで、
 見舞いに来てくれる人が、そこにいることを確かめるように
 軽く叩くのが癖になった。
 唇だけが唯一の先鋭な感覚器官だった」



リボーンアートフェスティバル2019




東日本大震災をきっかけに2年前から始まった
今年も新たな作家を迎え、宮城県石巻市など
7つのエリアで展示が行われています






あいちトリエンナーレ2019




「表現の不自由展」

慰安婦少女像の展示中止




“愛知県で開催中の国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の実行委員会は3日、
 元従軍慰安婦を象徴した「平和の少女像」などの展示を同日までで中止すると発表した。
 実行委員会の会長を務める大村秀章・同県知事が記者会見し
テロや脅迫ともとれる抗議があり、安全な運営が危ぶまれる状況だ」と理由を述べた。”

不自由展、再開可否速やかに検討 愛知知事
“知事の「誰もが認めるものじゃないとやっちゃいけないというのはナチスそのものだ」とする発言に、
 名古屋市の河村たかし市長が反発し謝罪を求めていることに関し、
 市長を念頭に置いた発言ではないと釈明した。”

表現の不自由展「条件を整え再開目指したい」 大村知事
“8月1日から始まった不自由展は、慰安婦を表現した少女像や、
 昭和天皇を含む肖像群が燃える映像作品などを展示したが、テロ予告や脅迫が相次ぎ、
 大村知事と津田氏が同3日に展示中止を決めていた。
 県の検証委は、津田氏や大村知事、作家や県庁職員ら30人以上からヒアリングし、
 中止にいたった経緯や再開にむけた議論を進めていた。”


その後に中止を求める抗議が殺到
安全上の観点から展示は取りやめとなりました

これに対し自らの作品を変更したり、展示を取りやめたりする作家が相次ぎ
新たな話し合いの場が設けられるなど、様々なアクションが続いています

(これ自体がアートだな 考えさせられるものがある








しかし、そもそもあいちトリエンナーレとは
どんな展示が行われ、何を目指した芸術祭だったのでしょうか

それを語るにふさわしい作品があります

「孤独のボキャブラリー」
普段は人を楽しませるピエロが孤独に佇んでいます
その意外な姿は、会場の人々に様々な感情や反応を呼び起こします






芸術祭のキーワードは「情の時代」
情報が溢れ、不安や対立が煽られやすい今の時代をどう生きるのか
他人に関心を持ち、思わず手を差し伸べること

そのヒントをアートで探ろうという心に理解、共感し
そこから生まれる情(なさけ)によって人々をつなぐことを目指す芸術祭です








道路標識@円頓寺商店街
道路標識のようですが、これは作者自身の名前




5年前、北京の街中に自分の名前を記した道路標識を建てました 役所に無断で
あたかもこの通りの名前であるかのように

するとどうでしょう

正式な標識と誤って認識したオンライン地図サービスが
地図に取り込み始めたのです







いつのまにか書き換えられていく私たちの空間
情報化社会の現実をユーモアと共に突きつける作品です

(これはユーモアなのか? むしろ怖い
 フェイクニュース、情報に踊らされる人々、管理社会への警告に見える


巨大な壁@旧豊田東高等学校
豊田市内にある使われなくなった高校の跡地に出現したのは巨大な壁でした




移民、社会の分断にまつわる作品を
これまで数多く発表してきた高嶺格の作品です

切り取られ、砂利がむき出しになったプールの底
そして巨大な壁
かつて生徒たちが集った場所は、高峯の手によって一変しました

訪れた方のインタビュー

「やっぱり日本人だから石があるとお墓のように見えますね」

「石碑みたいな」

「モニュメント」

「日常の中にこういうシーンができていることに結構衝撃を受けた
 乗り越えられない壁 という感じがします」

(みんな一つの作品に対して感じることは全然違うことが分かる
 それは自分自身を投影しているのかもしれないな


高峯は、私たちが日常の中で目を背けている何かについて
問いかけているのかもしれません


ラストワーズ「遺言」
人はデジタルな情報にどこまで思いを寄せられるのか
そんな問いと向き合う作品があります



24の画面に映し出されるのは
誰かが大切な人に向けて書いた「ラストワーズ」 遺言です

画面に再生されるのは、独自のソフトウェアが記録した執筆のプロセス
入力の間合い、文字を消す動きや、書きよどみまでもが正確に再生されます

(PCのキーボードが勝手に動いて
 モニターに入力文字が表示されていくってすごい/驚
 どういう仕組みなんだろう?


絞り出されていく言葉
その時間の痕跡






それぞれの人生を生きる画面の向こう側の人たち
見えない誰かに思いを馳せるきっかけがここにあるのかもしれません







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