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メランコリア

メランコリアの国にようこそ。
ここにあるのはわたしの心象スケッチです。

日本人初のノーベル賞受賞者 湯川秀樹@週刊まるわかりニュース

2020-10-13 11:50:24 | テレビ・動画配信
昭和24年 湯川さんが日本人初となるノーベル賞を受賞






評価されたのは「中間子論」
原子核の中で働く力の1つが
中間子と名付けた新しい粒子で生じるというものです






ノーベル賞受賞の15年前、昭和9年
湯川さんは初めて書いた論文でこの理論を発表 27歳

この頃、原子核をめぐる研究はヨーロッパが中心だった
湯川博士はこの研究を日本にいたまま
海外の論文を手がかりに
ほぼ独学で行いました


「原子核、量子電気力学のことを一刻も忘れるな」
メモには自らを奮い立たせる言葉を書きつけていました






アナ:当時の世界の物理学の状況はどんな様子だったんでしょうか?

大阪大学 湯川記念室 橋本教授:
世界中の人がスタートラインに立ったような感じだったと思う
教授達も全然わからないような仮説がたくさんあって
若い人もチャレンジできる

湯川が先陣を切って自分の能力を持って突き進んだ
自分が信念に基づいて好奇心を持って
宇宙の真理を解明していく
好奇心はすごく彼の人生にとって大きなものだった






原子核をめぐる大発見が世に認められた湯川博士
その後、核兵器廃絶を目指す活動に身を捧げました









教授:
日本に原子爆弾が投下されたということと深い関係があると思います
原子の力を解放した原子爆弾も
基本的な理論の一つを提唱したのは湯川秀樹本人になるわけですから

その考え方が本人は意図しないまでも
最終的に軍事利用されて
多くの日本人が亡くなったという事実を
直球で受け止めて

非常に真摯に自分の作ってきた物理学の責任を
自分できちんと説明しながら
人生を全うした人だと思います







湯川博士とともに核廃絶を訴えた物理学者アインシュタイン






教授:
アインシュタインの発見した
世界で一番有名な物理の式
原子爆弾はまさにこの考え方を使っています

実際にそれが使われた兵器が
たくさんの人を殺してしまうのを目の当たりにして
アインシュタインも反戦の活動に転じたと想像できます

世界もしくは宇宙全てを支配するような数式を
1人の人間、個人が発見してしまった
そういう立場はアインシュタインと湯川は
非常に似ていると思います









湯川博士:
私たちのような世間離れした
学問をしている者でも
やっぱり社会に対して責任がある
そういう責任から逃れることはできない


昭和56年 核兵器のない世界を
湯川博士は昭和56年に74歳で亡くなる直前まで
国際会議などの場でメッセージを発し続けました






湯川:
最近、時代は事態はますます憂慮すべき状態になっております
私たちは何度でも初心に立ち返りまして
核兵器の全廃を改めて声を大にして
叫びたいと思います





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