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私は真珠湾のスパイ~日米開戦 ある男の告白~歴史秘話ヒストリア

2016-03-20 13:39:23 | テレビ・動画配信
私は真珠湾のスパイ~日米開戦 ある男の告白~歴史秘話ヒストリア

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いろいろ読んだり、番組を見るにつけ、アメリカは第二次世界大戦に参戦して儲けるきっかけを待っていたとか、
山本五十六もそれを知っていたとか、いろんな疑惑が浮かんでくる。
いずれにせよ、いつも戦争を起こすのは軍上層部、少数の資産家で、兵隊として前線に立つのは普通の市民。

「軍施設を攻撃した」と言っても、周囲の民家も被害に遭い、行き場を失った人々は厳しい避難民生活を長年強いられることとなる。
いつもパターンは同じなのに、人々は静かに、巧妙に進められる政策に騙されて、
「愛国心」「国と家族を守るため」と戦地に向かうことになる。
この連鎖は一体いつ止まるのか。




「真珠湾攻撃」
昭和16年、日本軍がハワイの米軍本拠地を奇襲した。
 


当時29歳。「真珠湾攻撃」を成功に導いた日本海軍のスパイ。
ノウハウもないままハワイに送り込まれ、活動の裏には、何も知らずに親切にしてくれた日系人の手助けがあった。


吉川さんの苦悩は攻撃後すぐ始まった。日系人全員がスパイの疑いをかけられ、厳しい弾圧を受けた。

ユタカさん:

「真珠湾で働く日系人は仕事を失った」


エピソード1:私はこうしてスパイになった

真珠湾基地
 

吉川さんは、ある日突然呼び出され「来月ハワイに行き、米艦隊の動向を探れ」と命令された。
 

当初は、真珠湾を攻撃するつもりはなかった。
 
石油などを求める計画だったが、米軍がフィリピンを統治していたため、日本軍が侵攻すれば、米軍が来る可能性があった



吉川は、別れを告げるため、母を東京の自宅へ呼び寄せた。
名前を変えて、スパイとしてハワイへ発つ。

 

領事館

領事館の職員にもスパイであることは秘密にされ、事務員として働いた


<真珠湾攻撃まで約8ヶ月>
任務の最優先は、真珠湾に停泊する戦艦、空母数を報告すること。
基地はオアフ島の南部にあり、航空艦隊も兼ねている。



ジョン・ミカミというタクシー運転手は日系人で、吉川は観光を装い、飛行機に興味があると言った。
軍施設周囲の道路は前を向いてまっすぐ走らなければならない。警備は厳重。立入り禁止区域。
しかし、ミカミから教えてもらい、裏側の岬の人気のない道に入ると、真珠湾の艦隊が丸見えの場所があった。



 
「そこからは空母、重巡の停泊状況が丸見えで、水兵さえいる」吉川はしばしば偵察に出かけ、外務大臣に報告する。


<真珠湾攻撃まで約3ヶ月>
艦隊の動きを詳細に報告せよと命令を受ける。


総領事いきつけの料理屋(真珠湾に近い丘の上で今も営業している)の2階の窓から航路がハッキリ見えることを知る。
 

 

「よく吉川さんがやって来て、祖母が店で休憩させてあげたそうです。
 祖母はフレンドリーで、吉川さんと同じ県出身でした」(歴史はそういう縁でできているんだ

窓辺には吉川が使った望遠鏡がある。店の女性に好意を寄せたふりをして泊まり込み、夜に偵察し、報告した。


日本海軍は、ハワイ全土の基地情報も求めてきた。
吉川は、女性とのデートをよそおって、さまざまな場所を訪れ、観光船で海に出て、海軍基地を偵察した。
報告はやがて毎日求められるようになり、その理由はなにも聞かされなかった。


<真珠湾攻撃まで約1ヶ月>
将校が総領事を訪ね、1本のこよりを渡される
 

「ハワイの気象条件いかに?」つまり飛行機を飛ばす、まさか爆撃するのか?

吉川は、ホノルルで30年間星を観察しているという日本人の天文学者を訪ねた。
彼は嬉しそうに話してくれた。「ここ30年、ハワイでは暴風雨が無かったよ」

 
基地の後ろは雲が多いが、正面はいつも晴れ

吉川は、真珠湾攻撃を確信し、「急降下爆撃可能なり」と報告。
何も知らない日系人らを巻き込むことに良心の呵責を感じた。
東京の大本営に電文「新高山登レ一二〇八」が合図。攻撃まであと6日。

 


ハワイの日系人は、独特の文化を生み出していた




「アロハシャツ」



エピソード2:運命の日 真珠湾攻撃
吉川の偵察は多忙を極める


吉川はミカミに恩返しをしたいと思い、春潮楼の座席に上げて騒いだ。



<昭和16年12月7日の朝(ハワイ時間)>
「8時5分前くらいだった。最初は地震かな、雷かなと思いながら、パパイヤを口に運んだ。
 続いて爆発音、砲声が相当激しくなった」

上空を見ると、真珠湾を目指す日本軍の飛行機が見えた。
2ヶ所の飛行場を破壊し、反撃できないようにした。
それから目標のアメリカ太平洋艦隊を攻撃、主力の戦艦を沈め大打撃を与えた。

 



綿密に計画されていたのは、吉川の詳細な情報があったから可能だった。


ユタカさん(真珠湾で働いていた日系2世):
襲来の時、日曜学校にいた。「ラジオで攻撃を知った。日の丸の飛行機が飛んでいた」

真珠湾攻撃では、3000人以上の死傷者を出した。民間の地域にも被害は及んだ。


吉川はすぐに総領事館に行き、スパイの証拠になりそうなものを処分した。
親しい人々を巻き添いにしないことを特に心配した。

「交友関係で撮影した写真も、後難を恐れて焼き捨てた」
そこにFBIが来た。


エピソード3:私はたった一人のスパイ~吉川の新たな苦闘のはじまり
ローズベルト大統領は日本を非難し、国民に戦争協力を求めた。
 

アメリカでは、日本に関わりある者の排斥が激しく叫ばれた。
とくに西海岸では、「敵性市民」として監視され、大勢が強制的に収容所へ送られた。
ハワイでも、スパイ容疑で日系人教師、僧侶、神官などが送られた。

収容所への移送
700人以上がハワイからアメリカに移送され、終戦まで帰れなかった。
 

 

ユタカ:
「ジャップ」と言われ、初めて差別を感じ、激しい怒りを感じた。


総領事館はとくに入念に調べられ、吉川は偽名がバレ、疑いが集中した。
「サンフランンシスコにお前だけ連れていく」
その様子から同僚も吉川がスパイだと察した。

「一行の中に“あんなことするからよ”という私に対する怨嗟の声を聞こえよがしに吐く者もいた。
 俺はなんとした馬鹿げた道化者だろう。全世界の人々から憎まれ、同胞からは侮辱され、立つ瀬がないではないか」

吉川の捜査は、証拠不十分で打ち切られ、昭和17年8月、帰国する。
海軍に復帰し、日米の戦力の比較分析の仕事に就く。


日本の占領地は奪還された

大本営は事実を隠し、ウソの情報を流し続けた。
 

軍内部でも情報のまやかしが行われ、吉川らの情報を確かめに来る将校まで現れた。
吉川がいくら正確な数字を出してもとりあわれず、煙たがれるようになる。

海軍で孤立した吉川は辞職を願い出るが許されなかった。
「私の決意は固く、その日から軍令部を去った」



6年後、故郷の松山でひっそりと暮らしていた吉川のもとにGHQから手紙が届く。
戦史の編纂のため、任務について聞きたいという要請だった。

吉川の任務は最高機密。上官から要請に応じるなと言われる。
吉川は日本の将来のためにすべて明かすべきと訴えた。

「これからの日本再建が大事です。すべてをぶちまけ、私も国民も、これまでの独りよがりを排し、
 反省し、熟慮し、将来の方途を考えるべきではありませんか」


吉川はGHQに洗いざらい話した
 

吉川が強調したのは、スパイは1人でやったということ。
「日系二世が日本に手を貸した」というのは根も葉もない噂だときっぱり否定した。


真珠湾攻撃を成功させたのは、たった1人のスパイだったことは全米に驚きをもって伝えられた

吉川:
私は、私の知る限りを提供して、アメリカ人の蒙を啓き、日本人の執念を正しく理解してもらいたかったのである。
われわれ日本人の土性骨を見てもらい、将来の日米相互の理解を深めたいと思ったのである。
相互理解は、卑屈な服従だけから生まれるものではないことを、アメリカ人に知ってもらいたかった。



吉川は戦後ハワイを訪ねなければならい理由があった
昭和36年、日本人の海外旅行は厳しい規制を受けていた中、アメリカ政府の許可を得て再訪


真珠湾攻撃から20年目、吉川は戦争で亡くなった日米両国の人々に黙祷を捧げる使命があった。
真珠湾攻撃以来、白い目で見られてきた日系人に直接謝罪すること。

 

アメリカのテレビ番組で「日系人は関係ない」と直接訴えた。


正体も知らず親切にしてくれた女将とも再会
 

「謝ると、彼女は“なんの、なんの、お国のためじゃったもんな”

「女将はあでやかに笑った」



日系人の受けた苦難の歴史も展示されている

 

観覧者のアメリカ人「日米双方の展示があり、とくに日本側の展示が興味深かった」


今では年間145万人の日本人観光客がハワイを訪れている。




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