メランコリア

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あなたも危ない!? デジタル遺品@あさイチ

2017-01-20 15:51:02 | テレビ・動画配信
あなたも危ない!? デジタル遺品@あさイチ

●いろんなトラブルがここ1年間で急増
 

 

 

・ネット銀行のお金があっても気づけない、引き出せない、借金があった
・ブログを乗っ取られて、知人を巻き込むトラブルになった など

故人のデータを開く最新サービス(パスワードの書き換えなど)も紹介


●お金のトラブル 「FX取引」
例:交通事故で夫を亡くしたAさん
弁護士から、遺産相続に関するデータがパソコン等にないか調べるよう言われたがパスワードを知らない
専門家に依頼して開いてみたら、預金どころか、証券会社からの請求メールがたくさん来ていた
夫は妻に内緒で「FX取引」をしていた

 

「FX取引」とは?


外国のお金を売り買いする金融取り引き
元手が少なくても、「25倍の取引」が可能なので
儲かれば利益が大きいが、失敗すれば損失も大きい
「ハイリスク・ハイリターン」なシステム

ケータイ番号、メールアドレス、住所の登録だけで済む(ものにもよる)
放置していたことで巨額の損失となり、ケータイに何度も連絡をとったが
ケータイは事故の時に壊れてしまい、メールを送信しつづけていたがつながらず、

ついに「訴訟手続きに入ります」と言われてしまった
支払い義務があるので、Aさんはなんとかお金をかき集めて、
結局、巨額の損失を払わざるを得なかった


<対処方法>



1.取引を始める際に書類が送付されるので、家の中を探す
2.口座があると知っている場合は、死亡したことをコールセンターに連絡すると取引を中断してくれる
コールセンターが口座番号を教えてくれる場合もある

「相続放棄」すると借金の返済はしなくて済むが、他の財産も受け取れなくなる


<注意点>

口座凍結には約4ヶ月かかる



凍結しないと取引が続いてしまうため、なるべく早く解約手続きをする
取引会社は、住所は知っていても、連絡はメールのみの場合が多い



専門家:
一番、安全なのは、万一のために、パソコンのパスワードや
銀行口座、金融取引先などを紙に書いて、箱などにしまい
「自分にもしものことがあったら、ここを見てくれ」と家族に知らせておく

ヤナギーはUSBに入れていると話したら、
ハッキング、情報漏れなどを考えると紙がアナログでもっとも安全、とのこと


ネット銀行のトラブル
ネット銀行に預金があっても、家族が知らないとずっとそのまま
相続人から問い合わせがないかぎり預かりっぱなしになる

Q:銀行のものになってしまう?


預金が銀行に吸収されることはない
本人の死亡を伝え、申請すれば預金はおろせる

<法律が変わった>

ネット銀行に放置された預金が10年過ぎたら、「預金保険機構」にお金が移る



「預金保険機構」
政府による出資等でできている
預かり場所が変わるだけで、預金はそのままだが、これも気づけないケースがある

<対処方法>



※銀行によっては本人のみしか教えてくれないところもある
補足:ヤナギー「1万円以上なら通知すると聞きました」



ブログのトラブル コメント欄に不正広告のURLが貼られた


亡くなった夫が旅ブログを書いていて、思い出にもなるのでそのまま残すことにした妻Bさん
半年後、友人から電話があり「ブログに不正広告が掲載されて被害に遭った」と言われて驚いた

専門家:
自由にコメントが書き込めるブログはけっこうある
1周忌などに「ご冥福をお祈りします」などの書き込みが続くケースが多い中に
さり気なく不正広告のURLが貼られ、クリックしてしまうとウイルス感染してしまうトラブルがある

 

Bさんの友人も、URLをクリックしたら、通販会社のHP(ダミー)につながり
買い物しようとして、キャッシュカード番号などを入力して「次に進む」を押したら、
「ウイルスに感染しました」という画面になり、慌てて「クリック」を押して
IDやパスワード、個人情報がすべて流出してしまった

 

他にも、キャッシュカードが悪用されて、身に覚えのない多額の請求書が届いて気づく場合もある



<対処方法>


1.不正広告のURLはクリックしない
2.「ウイルスに感染しました」という画面になっても慌てず、電源を落とせばウイルス感染は免れる
3.ブログの運営会社にサポート窓口があるので、遺族が不正広告のURLの削除を依頼する ブログを閉じるなど


専門家:
悪徳業者らは、ランダムに不正広告のURL、ウイルスを送っている
皆、見つければ削除するか、自由に書き込めない設定にかえることが出来るが
故人で放置していると、不正広告のURLがそのまま残り、知らずにクリックしてしまう人が出る

※アカウントを引き継ぐこともできる
→こまめに不正広告のURLをチェックして、見つけたら削除する

ブログを書いていること自体、家族が知らない場合があるので
上記のトラブル同様、まとめて紙に書いておくことをオススメする

この場合、身に覚えのない請求書が届いても払う責任はない



SNSのトラブル 申請すれば遺族が管理できる
 

サイト上で管理が可能
手続きをすれば、コメント等を残したままにもできるし、削除も可能
LINE、ツイッターなども同様



故人のパソコン、ケータイのデータを取り出したい


専門家がいる 依頼費用は20万円ほど 作業時間はわずか6分ほど/驚

 



ケータイも特殊な装置をつけて、パソコンにデータを送信するとあっという間だった

(なんか、こういう機械もアキバに売ってそう


この専門家の方がデータの取り出しサービスを始めたきっかけは東日本大震災だった
自分のもつ技術を何かの役に立てないかと思い、病院の看護記録を復旧させたりしていた
津波による海水や、油まみれのデータも復旧可能

 





家族を亡くした遺族からの相談


「遺体安置所で子どもが見つかったけれども、津波でアルバムもすべて流されてしまったので
 彼らの笑顔を助けてほしい、と頼まれた
 遺族のデータを復旧させることで、中の写真1枚あれば、当時のことを思い出すことができる」



「遺族の方にとっては3Dで甦るということが分かった
 あそこにあれがあった あそこで遊んでいたなど
 そこに再現されるものは、すごく大きいものなのだと感じた」


卵巣がんで娘アカネさん(享年27)を亡くした母親Cさん

Cさん:
彼女を自分が殺してしまったのでは、という罪の意識があった
私がもっと早く気づいてあげていたら、病気にかからなかったかもしれない
と毎日自分を責め続けて苦しかった

ある時、アカネさんの友人から、生前書いていた闘病ブログの存在を知って
明るく、希望をもって、毎日書いているのを読んで、生きる支えとなった

 

Cさん:
私も彼女のところに行こうかな、と思っていた時にブログを知った
これじゃダメだ 私も頑張らなきゃ、と生きる勇気をもらった

 

Cさん:
デジタルで残してくれたのは、絶対に意味があると思った
家族だけがこっそり見るのではなく、誰でも見てもらえるから役に立つ
数多くの人に見せるために書いたんだと分かった

ブログには4年経った今でも「検診行きましたよ」などのコメントが寄せられている
Cさんはそれを読んで、ブログをこれからも残したいと思っている


見られたくないデータの隠し方
 

・フォルダ名をシステムデータのように見せかけると、一見しただけでは分からない

・家族用と自分用のアカウントを分けて持ち、
 隠しておきたいデータは自分用のアカウントの中に入れておけば
 パスワードなどが知られないかぎり見られない


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スマートライフ いざというときの備え 車中泊のポイント@あさイチ

2017-01-20 15:50:02 | テレビ・動画配信
スマートライフ いざというときの備え 車中泊のポイント@あさイチ

「あさイチ」の予録をまとめ見中 ざっくりメモなので、詳細はHPにて

アウトドアで使うもの、日常で使うものも工夫次第で、災害時の車中泊にも応用できるという話


座席を平らにしてきちんと眠る
座席を倒して眠る場合、足元にはリュックなど、
シートには服やタオルなど敷いて、なるべく足元を高くして
体が平らになるよう工夫すると負担が少なくて済む

スペースが足りない場合は、妊婦さん、子どもを優先にして、旦那さんは避難所で眠るなども必要
クルマを購入の際は、どのくらいリクライニング可能なのかをチェックする ほか


窓をふさいで保温
冬の車中泊は寒さ対策が必要 窓から冷気が入るので、
クリップを窓枠に2個つけて、Tシャツなどを重ねてクリップに挟むだけでも違う
寝ているところを外から見えないようにプライバシーを守る役目も果たせる


●万一のために車内にあるとよいモノ


セットで売っているが、必要なものを自宅からもってきて車内にまとめて入れておくとよい
タオルなどは圧縮袋に入れておくと場所をとらずにすむ

「防災用の笛 腕に巻けるタイプ」
 
災害時、実際役に立った事例がある

「非常食」

保存期間が長く、水なしでそのまま袋を開けて食べられ、しかも美味しいとのこと

「キャンプストーブ」でスマホの充電ができる!


発電装置がついていて、後ろに乾いた枝などを入れて燃やしてスマホの充電が可能
通信手段は大事なので便利 簡単な料理も出来る


その他に、震災関連の番宣も気になった

『女たちの大震災』
 

避難所で、女性特有の悩み、病気があることが「阪神・淡路大震災」の経験・調査から分かった
ずっと座りっぱなしの生活、ストレスで「血栓」ができて、
その後、避難所から出て22年たった今でもまたできるなど


『MEGA CRISIS 地震大火災』
 

 

「南海トラフ巨大地震」での最悪の事態をシミュレーション
津波によって大阪など大都市湾岸部のコンビナートが破壊され、
可燃物が津波と共に都市内陸まで到達する「津波火災」を引き起こす危険性が指摘されている。


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『おおきななみ ブルックリン物語』 バーバラ・クーニー(ほるぷ出版)

2017-01-20 15:49:02 | 
『おおきななみ ブルックリン物語』(ほるぷ出版)
バーバラ・クーニー/作 掛川恭子/訳

「作家別」カテゴリーに追加しました。


先日読んだ『エマおばあちゃん』(徳間書店)も好きだけど、それを超えた

クーニーの家族の伝記的要素の強い1冊
ドイツ移民で、そうとう裕福な家で育ったんだなあ/驚

しかも、画家や音楽家の家系なら、女性が画家を目指す夢も祝福されて恵まれていた
まさに天職とはこのこと

訳者のあとがきにもあるとおり、アメリカの発展の歴史も分かる

最後におばあちゃんになったクーニーの写真もステキ

裁縫などのいわゆる女の子の役割に向いていないことを母親から言われて傷ついただろうし、
オシャレなどには興味がなく、周囲と違う自分の個性に悩んだ時期もあったことが
本書の端々から伝わってくる

それでもなお、自分の好きなことがあることで、誰かの“夫人”として生きることより
自ら絵画の学校に申し込み、自立する女性の道を選んだところが潔くてステキ

お父さんは、最初から白髪だけど、歳してからの子どもなのかな?
大きな事業を次々と成功させつつ、妻子への細やかな愛情を注ぐ姿も素晴らしい

1枚1枚の絵に思い入れがたっぷり詰まっていて
絵本ながら、1人の女性の半生を描いた小説ほどの重みが伝わる文才も感じる

本書の見返し部分の模様も凝ってる!



あらすじ(ネタバレ注意

まえがき
この絵本は、クーニーのお母さんの小さかった頃をもとに
時代や風俗のかおりも高く、描きこまれた作品です


私の母、メイ・ボザート・クーニーの思い出と、その子どもたちのために。




ハティが住んだ中で一番古い家は、ブッシュウィック通りの赤レンガの家
材木商のパパがママのために建てた
パパはママに贈るものはなんでも最高でなければ気が済まなかった




姉のフィフィは「大きくなったら、私もきれいな花嫁さんになる」と言い
弟のヴォリーは「パパの会社で一緒に働いて、うんとお金を儲けるんだ」と言い
小さなハティは「私はペインター(画家)になるの!」と言うと
きょうだいたちは「女の子がペンキ屋になるわけないでしょ ばかみたい!」と笑った


家には料理人のクララ、ちびネズミというあだ名の娘、お手伝いのメアリーらが一緒に住んでいた


日曜日や休日には親戚が集まり、何時間もかけて食事とお喋りをする
叔父たちもブルックリンで材木商や、ビール工場を経営していた

食後は、客間にあるママの宝物の油絵をみんなで観る ママの父が描いた絵




もう1つの宝物は、パパから贈られたシタンのピアノ
ママの家族は音楽家や画家ばかり
パパはママが教会でオルガンを弾いているのを見て結婚しようと思った


ママは女の子たちに針仕事を教えたが、ハティは苦手 フィフィは褒められた
春にはレーマンさんが、夏の服を作るため、じっと立ってガマンしなければならなかった




夏には、海辺の町ファーロッカウェイにある別荘で親戚らと過ごす




NYはどんどん大きくなり、人々はブルックリン郊外のフラットブッシュ、
グリーンポイント、ブッシュウィックに移り住んできた


パパは時々、家族を自分のヨットに乗せて海につれていってくれた
ハティはいつも舳先に立ち、家に帰ると、部屋の壁がたちまち絵でいっぱいになった




冬のある日、パパはファーロッカウェイの家を売り、
ロングアイランドにある“カシの森屋敷”という名前の大きな家を買った




ハティは嬉しいかどうか分からなかった
来年の夏、あの浜辺では波はどんな話をするのだろう?


“カシの森屋敷”では、乗馬をしたり、温室の花に水をやったり、
テニスをしたり、パパがハティにインコをくれたり、そこの暮らしも素敵だった

ちびネズミ「私、学校の先生になるわ」
ハティ「私は画家になるの」
ちびネズミ「分かってたわ」


そのうち、フィフィと結婚したいと思う男の人たちが遊びに来るようになり
ハティは一人でシカのいる森で、中国から連れてきた黒鳥の絵を描いた


フィフィは、材木商をして、自動車を持っている男の人を結婚相手に選んだ
結婚式にはマデイラワイン漬けすい臓()などご馳走がずらりと並んだ



フィフィ「私はこれからジョーゼフ・パトリック・クーニアン夫人よ」
ハティ「私はお嬢様のままがいいわ 夫人と呼ばれるようになったら、一生そのままですもの」


ヴォリーはパパと仕事に通い、パパはブルックリンにホテルを建て、
ブッシュウィックの家を売って、一家はホテルの一番上の階で暮らした
イースト川、NYの町、自由の女神像が見渡せる素晴らしい眺め




火曜日にはパパ、ママと一緒にハティは劇場にオペラを観に行った
若い歌手が、身も心も、自分のすべてを吐き出して歌っているのを観て
ハティにも分かった 自分の身も心も吐き出して絵を描く時が来たのだと




翌日、ハティは美術学校に手続きし、コニーアイランドの遊園地に行った
ろう細工のジプシーの占いに「私には、どんな運命が待っているの?」と聞くと
ピンクの小さなカードには「あなたは素晴らしい絵を描くでしょう」と書いてあった




ハティはそれを握り締めて、浜辺を歩きながら
「そうよ、素晴らしい絵を描くのよ」と言った




次の日、パパとママに「私、画家になると決めたの」と言うと
「おじいさまのようにね」ママが嬉しそうにニコニコした

「ううん、私は私よ」ハティもにっこりして言った




【訳者あとがきメモ】

クーニーはこの頃から人生を深く見据えた話を自ら書き、独特の優しい絵で飾り
これまで以上に素晴らしい作品を発表している

本書は、彼女の母をモデルにしている
おじいさんの代は、ドイツからアメリカに来て、クーニーはドイツ系移民三代目ということになる

ひいおじいさんも、母親も画家だったことが分かり、
クーニーが絵を描くようになったのも当然のことだったのでしょう

クーニー自身も、おじいさんが建てて、母が育ったホテルで生まれたそうで
少女ハティには、自分の姿も重なっているのかもしれません







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