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メランコリア

メランコリアの国にようこそ。
ここにあるのはわたしの心象スケッチです。

『心をピュアにするヴィパッサナー瞑想入門』(春秋社) その1

2016-06-11 14:45:21 | 
『人生の流れを変える瞑想クイック・マニュアル 心をピュアにするヴィパッサナー瞑想入門』(春秋社)
地橋秀雄/著

インストラクターさんから教えてもらったヴィパッサナー瞑想で検索してヒットした地橋さん著を借りてみた。

“瞑想”というと、座禅を組んで、呼吸法を意識して、頭を無にする「座禅」と同じようなイメージがあるけど、
インストラクターさんが受けた講習のフシギな話同様、日常的な体の動き、心の動きを意識して、
「ラベリング(名前をつける)」することで、怒り、嫉妬、苦しみを、自分から手放す方法らしい。

その講習は、まだ朝日カルチャーセンターでやっているけれども、高額で諦めた
それを受ける前に読むのは『ブッダの瞑想法』のほうだけれども、
まずは、イラストもゆるくて、分かりやすく項目別に分かれている本書から入って正解だったかも。
(こっちが他館で延長が面倒だってのが主な理由だけどw

肝心な「歩く瞑想」などは巻末のほうで、ほぼ、日常の悩みの解決法、
日常でできる瞑想法の内容が多かったのは意外だったけれども、
その理由は、「あとがき」に書いてあった。

どの文章にも、「その方法は2つ」という具合に、簡潔にまとめられてて、とても読みやすかったv


【内容抜粋メモ】

まえがき
ヴィパッサナー瞑想は、歩く、座る、立つ、食事、職種によっては仕事の最中でもできる。

朝日カルチャーセンターで3ヶ月で5回の講座を受けたら、うつ病が治った50歳ぐらいの男性がいる。
メンタルの病の共通点は、ストレスが引き金になり、1日中、頭の中で悪いイメージや、不愉快な思考が繰り返されている状態。

ヴィパッサナー瞑想は、ブッダが悟りを開いた時の「原始仏教」の瞑想法。
ココロをキレイにすると、「心の清浄道」が完成し、悟りを開くことができる。

既刊の『ブッダの瞑想法』を読み、レッスンを始めた方のために、実際の現場でつまづきやすい点、ヒントも述べている。



ヴィパッサナー瞑想とは何か


自然に放置された人の心は、普通、雑念、妄想で充満している。
心が静かに統一された状態を目指すのは「サマタ瞑想」と呼ぶ。
古来から世界中で行われ、聖徳太子、上杉謙信、ガンジーらも実践していた。

思考の干渉が鎮まった状態が、自分(エゴ)の力を超えた能力を発揮するのに効果があると検証されてきた。
一瞬一瞬の自分の状態に気づき、「自己理解」「現状認識」を深める観察型の瞑想法。

価値のあることも、ないことも、平等、ありのままに、観ることが大事。
「心の反応パターン」に問題があれば、正しく書き換えることが第一。

「心が汚い」という意味は、「自己中心的」で、悪い考え、感情が心に渦巻いているということ。



「思考」「判断」を挟まず、見たものを「見た」、聞いたものを「聞いた」、感じたものを「感じた」と
1つひとつ心の中で「言葉確認(ラベリング)」しながら、純粋な事実だけに気づくことを「サティ(sati)」という。

私たちは、事実を見誤り、勘違いし、誤解、錯覚する。
行い、強く想ったことは、心のエネルギーとして「カルマ」をつくる。

相手は何も思っていないのに、勝手に自分に対して悪意を持っていると勘違いして、腹を立てることもよくある話
「妄想」する人の特有の苦しみは、妄想をやめて、事実をありのままに観る技法で乗り越えられる。



家を出た後、鍵をかけたか気になり引き返したりすることがある。
それは1つひとつの行動に集中していないから。
私たちは、ほとんどいつも「ながら族」をしている。
その結果、やり直したり、再確認して、時間、労力を浪費し、非効率

サティには「記憶」という意味がある。

強い「強迫神経症」の方がヴィパッサナー瞑想で解放されたとレポートしていた。
毎朝の出勤の準備に90分かかっていたのが、60分に短縮できたという人もいる。


4 食事の瞑想~好き嫌いは、妄想の産物
ヴィパッサナー瞑想は、瞑想と普通の生活が完全に直結している。

「卵焼きを見た」→「食べようと思った」→「箸をのばした」→「箸が卵焼きに触れた」・・・

真実の味をありのまま味わうと、嫌いだった食べ物が食べられるようになり、
大好物で執着していた美味しさは、この程度だったかと拍子抜けしたりする。

好き嫌いは、嫌な記憶、感動した記憶、情報でつくられたイメージに踊らされていたと気づく。


日常生活の中のヴィパッサナー瞑想

5 容姿より、キレイな優しい心に、人は惹かれる
眼がキラキラ輝き、顔が白くなり、優しい表情、深みのある顔になる。

人の美醜はどこからくるのでしょう?
美しさは、顔形、スタイルなど、外面的な容姿で決まると考えられているが、そうではない。
心がスッキリと爽やかで、充足感に包まれ、感謝したいような心の状態の時は、どんな人も美しく輝く

ヴィパッサナー瞑想は、思考を止めて、浮かんだ悪い考えを瞬間に「妄想」「雑念」とサティを入れて見送ること。



よい瞑想をする秘訣は簡単。小食を心がけること。
バランスのよい栄養が摂取され、消化に負担がかかっていない状態がベスト。

小食が長寿、老化防止に効果があることは、すべての生物で検証されている。
逆に老化を早め、寿命を短くする原因は、「栄養過多」「高温度の環境」「過剰な運動量」の3点。

「食べ過ぎ」ほど瞑想に悪いものはない。
体は鈍重になり、頭の回転が鈍くなり、眠気に襲われ、怠惰な心になる。これらは美容にも悪い。


7 化粧
歳をとると、身体能力、容姿が衰え、自信を失い、鏡に映る自分を見たくなくなる。
一方、濃いメイクをすると、派手すぎて落ち着かない
濃いメイクをした女性は、男性より、女性のほうが嫌う傾向にある。

トップモデルですら、容姿の一部に劣等感を持っている。

これらは、「自己イメージ」と「ありのままの実像」の間に大きなギャップがあるから。
「両親の期待する自分でありたい」など、「理想」の自己イメージは、現実の自分を苦しめる。

「慈悲の瞑想」
自分、他人に対して、優しい波動を注ぐこと(後述


8 悪いことを止めると、嫌な人に出会わなくなり、嫌なことが起こらなくなる
プラス思考・マイナス思考をする心のエネルギーが未来をつくる。

原始仏教では、私たちの生きる現象の世界は、「カルマ(業)」の法則にしたがって「生滅変化」していると考えられている。
幸せになるのも、不幸になるのも、結局、自分が決めること。自己責任。


9 恋愛は、自己中心的な幼い精神が、大人になる儀式
瞑想と恋愛は正反対の方向、矛盾するという意見が多い。

ヴィパッサナー瞑想は、心をトータルに成長させる総合的システム。

「高い心境」とは
人格が立派なこと。
欲望、嫌悪、悲しみ、高慢、劣等感、エゴもなくなり、世のため、人のためを第一に考え、
自己中心的な生き方をほぼ卒業している方。

一方的な「片思い」は、実際のコミュニケーションがなく、本当の恋愛とはいえない。
同じく、いくら肉体関係をもっても、本当の心の交流がなければ、ただの情事。

恋愛のもっとも大事なポイントは、自分とは異なる他者の世界を受け入れること
人が他者ともっとも深い関係を結ぶのが恋愛。

快楽を貪る関係、傷つけ合う関係、共依存、テクニックに終始する恋愛ゲームなどは、人の心を成長させない。
また、思い込み、先入観、夢、憧れ、期待、欲望などを一方的に相手に投影していないでしょうか?


10 失恋は、深く傷つくほうが、はるかに価値が高い
エゴを守りたい、「自己同一性」を保ちたい、という自我防衛本能は誰の心にもある。

「母子一体感」が濃い乳幼児期に、いくら泣いても、母親が忙しくて、ケアしてもらえないと、
赤ちゃんは、初めて、母親と自分は別個だと学習し、最初の自我感をもつ。
そして、自我を大切にする「自己愛」が育まれる。

恋愛は、自己愛から、「自己超越」する儀式ともいえる。

失恋して、何がいけなかったのか、自分にどんな落ち度があったのか、
自分は本当に愛していたのか、打算はなかったか、相手をありのまま受け入れていたか、
もろもろの反省が人を成長させる。

いつもモテてばかりいた人は、人の痛みに共感するセンスが乏しかったり、強者は驕るのが人の世の常。
共通の敗因は、自己中心的ではなかったかということ。

頼りたい、守られたい、理解されたい、愛されたいと、相手への要求が強すぎなかったか。
ただ好きだ、と自分の激情を押しつけていなかったか。
嫉妬深く、束縛しすぎてはいなかったか。などなど。

うまくいかなかった原因があり、それは、恋愛以前の人生に原因が潜んでいることも多い。


11 心から納得し、理解したことは手放せる
優しくなれないのはなぜ?と苦しむ人は多い。
共通しているのは「自己評価が低い」こと。
自分を受け入れられない人が、優しく人を受け入れるのは難しい。

「自己否定」は、ありのままの自分と、理想の自分のイメージのギャップから生じる。

対応策は2つ。
1.ありのままの自分を認め、受け入れる訓練
2.理想の自分のイメージは、何を根拠に作られたのかを理解すること。

否定のエネルギーからは何も生み出されない。


12
年間100万件も児童虐待事件が起こるアメリカでは、虐待が分かると、
子どもは隔離され、親は「ペアレンティング」という更生プログラムを受けなければならない。

児童虐待をする親は、愛し方が分からない。虐待の暴力も、愛情からのしつけと思っている。
怒りをためこむタイプが多く、いったんキレると、ワケが分からなくなるという

愛するのがヘタな人たちに共通する有効なプログラムは3つ。

1.誉める
親は、子どものマイナス面を矯正しなければと思っている。
マイナス面からプラス面へ注意の転換をすることが第一のレッスン。

2.謝る
すべてのものを公平に観るサティの瞑想と同じメカニズム

3.自分を愛する
児童虐待をする親は、子ども時代に、自分の親から虐待されていたケースが多い。
自分を客観視するレッスンで、「無自覚」→「意識化」することが重要。


13 共感~笑い、涙は伝染する「ミラーニューロン」という脳細胞
これは、脳科学分野の20世紀最大の発見とも言われる。
「ミラーニューロン」こそ、共感能力、コミュニケーション能力を司る神経細胞と考えられるため。

真似る、共感、理解、相手と自分を同一視するのは、「ミラーニューロン」の働き。
自分の行為をありのまま自覚する「自己認識」は、他者への共感、愛への最初の一歩。

共感能力が慈悲の心の源泉。


14 抑圧された心
なぜか家族に対して意地悪な気持ちになると悩む人は多い
原因は、幼少期の身近な人との関係に問題があり、ネガティヴな環境を引きずり、
自覚するのは辛いため、打ち消したり、抑圧する。

抑圧しても、問題は解決されず、なぜそうなるのか分からず反応したり、強い感情にとらわれる。

「怒り」「意地悪」とサティを入れれば、悪い感情はそこで止まる。
どんな感情も、妄想を燃料にしている。

自覚できているなら、仕事は半分成功している。

「優勢の法則」
意識に強く触れたほうにサティを入れるという原則。

抑圧していることは、強烈な力でエゴが床下収納のフタを押さえつけている状態なので、優勢な現象として必ず浮上してくる。
サティを続けると、「真の原因が洞察」されてくる。

感情の因果関係を理解し、受け止め方を変え、納得すれば、心は解放され、
繰り返していた行動、反応を終わりにできる。


仕事に活かせるヴィパッサナー瞑想

15 人生は選択の連続~何を選び、何を捨ててきたかの歴史

1.まずは明確な判断基準をもつこと
譲れるもの、譲れないものはなにか、これだけは絶対にやりたくないことはなにか、などが明確でないと、場当たり的な判断になる。
価値観が定まらないと、何も決められない。

2.目の前の選択肢をよく調べて、大事なポイントに仕分けて、理解を徹底させておくこと。

3.最終的には、「直感」「好き嫌い」で決める。



16 直感、カンが冴える人と冴えない人の差は?
カンの悪い人の共通した特徴は、「先入観」「固定観念」で頭がいっぱいなこと。

「直感」
動物的なカン。生存のための利己的な「知恵」がメイン。
右脳には、過去すべての記憶が平等、並列に配置、保存されている。
「思い込み」「先入観」があると、影響されてカンが狂う。「思考の干渉」

「直観」
智慧のともなう洞察。


17 失敗
長年の苦労が報われ、頂点を極めた瞬間は、私たちの目に焼きつく。
いざ、自分に戻ると失敗ばかり。でも、大丈夫、「これで正しい王道を歩んでいる」と自分に言い聞かせる。

偉大な成功の陰には、その何万倍もの失敗がある。
スポーツや芸術の華麗なパフォーマンスを支えているのは、日々繰り返す膨大な練習。
しかも、その内容のほとんどはミスばかり。出来ないから繰り返し練習し、練習するからだんだん上手くなる。

すべてうまくいかないのが大前提。居眠りと闘っている時間が立派な修行だと心得る。


18 カルマをつくるのは、身体的行為ではなく、心のエネルギー
「好き」「嫌い」「こうしたい」「これはやりたくない」、いろんな「意志」がカルマをつくると原始仏教では考えられている。
苦しい人生と、楽しい人生になる違いはこうして生まれる。
この意志をパーリ語で「チェータナー」とい、それがつくるカルマを「意業」と呼ぶ。

私たちは「無知」ゆえに、知らないうちに悪い思考をする。
実際にやらなくても、悪い考えはカルマを悪くする。
悪いことをすれば、自分でその結果を刈り取ることになる。


19 現在の自分は、自分が過去につくったカルマの結果
だから、人生を好転させるには、自分の心を変えるしかない。

ただし、その変化はゆるやか。
これまでのカルマが消えるわけではなく、引き続き結果を出していくから。

「清浄道」を歩めば、人生の流れが好転する手応えを感じるようになる。
まず、心の苦しみが減ったことに気づき、周囲の人たちの対応がよくなったり、ツイてると感じることが増える

善行に努めることは、ブッダのダンマ(法)に基づいた素晴らしい人生が歩める。


20 嫌な仕事の取り組み方~「やりたくない」と嫌がっているのは、自分のエゴと自覚する
どんな職業でも、やりたくないと思う仕事がなくなることはない。
エゴがあると「対象を嫌う心」が反応する。

すぐ頭を切り換え、嫌でなくなるよう「発想の転換」ができるかどうか。
エゴの立場をちょっと離れること。

みんなやりたがらないことを私がやることで、助かる人、喜ぶ人が大勢いるという発想。
(ブラック企業に利用されないかねぇ・・・

自分が目立つことばかり考えるのは「小児的エゴ」。
チーム、組織の動向を見据えながら、自分の役割を果たすのが大人。

どこがつまらないのか分析し、どうすれば面白くなるか考える。
なぜ嫌なのか究明すると、自分の心の反応パターン、価値観の序列、何を拠り所に生きているかが見えてくる。

ネガティブな反応は、自己理解を深める大きなチャンス。



21 嫌な人との付き合い方
いちばん大切なポイントは、自分の心を汚さないよう心がけること。

欲望、高慢、嫉妬、物惜しみ、貪り、怒り、無知、不善心などは悪いカルマをつくる。

選択肢は、仲良くやるか、いったん身を退けるしかない。
家を出て、険悪な家族と距離を置く、転勤、引越し、今までの所から遠ざかり、新しい場を求めればいい。

憎みあっていた家族が亡くなると、急にすべて赦せる気持ちになれる人も大勢いる。

力をつけて、ひと回り大きな心になってから、改めて因縁を解く覚悟。


22
誰かに強い嫌悪感が生じたら、相手の嫌な部分に反応する心が自分にあるのではないかと考える。
図々しい人は控えめな人が好きだが、ふてぶてしい人を嫌う。

自分のネガティヴな部分を他人の中に見ると人は嫌悪する。これは「自己嫌悪」の裏返し。
自分のネガティヴな部分が他人に投影されることを心理学では「影(シャドー)」という。

自分のエゴのせいで、相手のせいではない。
嫌な人は、自分を向上させてくれる「先生」だと受け止めよう。


23
どこにも嫌な人がいないとしたら、悟りを開いている状態。
本当は「嫌な人が現れた」のではなく、自分の中の怒り、嫌悪の心がキライな人を作り出している。

問題は、「嫌う心」「腹立たしく思う心」。
怒りの煩悩がなくなると、キライな人は現れようがない。

「怒り減少作戦」
怒り、嫌悪の分量を減らすと、嫌な人と出会わなくなるという法則。


24 しつけなど善意の怒りは必要?
問題は、そこで「怒りの心」を使うか、使わないか。
大声を出す、「~べきではない」と厳しい態度をとる、耳に痛い言葉をいう。
これらを「怒りの心」を使わずに、相手に伝えることはできる。

それを聞いた側は、「これは自分のために思って言ってくれている」
「私を頭ごなし否定しているのではない」と分かる。

人も動物も、怒りの波動を感じると、反射的に同じ怒りの波動に巻き込まれる。

怒りの本質は破壊。相手を嫌い、否定し、壊そうとする心。


25 怒らないために~怒りは猛毒
まず1日にどのくらい「怒り」が出ているか数えてみる。
「嫌だな」という嫌悪感程度から、激怒まで、おおざっぱな概算でよい。
多くがその回数の多さに圧倒される。

「怒りはよくない」と知っているゆえに、反射的に目を背けたり、言い訳したくなるのをガマンして
ありのままに怒り、嫌悪を認める。

認識できたら、次は、何に対して怒っているのか観察する。
あまり気にしていないことに怒ることはない。なにかしら傾向がある。
怒りの対象と同じものが自分の中にないか、疑ってみる。

怒りの原因が特定できれば、取り除く治療にとりかかる。
自分がケチだから、ケチな人にムカつていたことが分かったのなら、物惜しみの煩悩を減らす。

「傲慢」が問題なら、人に頭を下げる練習、ゴミを拾う、トイレの掃除もとても効果的。

決意すれば、必ずそうなると肝に銘じる。


26
カッと怒っている最中にハッと我に帰り、怒りをやりすごせれば、よりよい人生となる。
怒りが出た瞬間「怒り」とラベリングし、対象化する。

サティを入れても、怒りが消えない時は、「身体的・生理的側面」と、「心理的側面」に仕分けるとよい。

「身体的・生理的側面」
鼻息が荒い、顔が熱いなどラベリングする。

「心理的側面」
自分の大事なものが踏みにじられたことの赦せなさ、抑圧する気持ちなど心の状態を見て、要素や特徴に分けてみる。
対象化し、客観しすると、怒りの原因を洞察する可能性も出てくる。

いちばんのポイントは、今の瞬間に気づこうとする基本と、怒らないぞ、という決意。
怒りを容認すると、必ず怒りに巻き込まれる。怒りの根は恐ろしく深い。


27
嫌なものを見たりすると、苦受→不快感→嫌悪感→怒りと一瞬に立ち上がりエスカレートする
この一連の流れを早い段階で止めると鎮めやすい。

怒りを感じたら、とりあえず6つ数をかぞえる人がいる。
それでもダメなら、花の名前を6つ言うなど。

怒りの思考の流れ、妄想が絶たれると、怒りは鎮まるのが原則。

「あ、今、自分は怒っている」と気づくことで、怒りは対象化されて止まる。
サティの訓練で、怒りの前段階で消すこともできる。


28 怒りの消え方には2つある
心を「随観(サティを入れながら観察すること)」してみると、いったん消した怒りが再浮上してイライラしていることに気づくこともある。

怒りの消え方には2つある。「一時停止」と「根絶」。
その場の出来事に納得がいかなければ、後から思い出して蒸し返される

そこには、何か必ずきっかけ、原因があるはず。
その場面をヒントに、原因を正確に理解、納得し、二度とその怒りが起きないよう根本治療する。

本当に強い人は傲慢にはならない。
相手の傲慢さに「弱さ」が隠されているのが見えれば、理解、同情心が沸き起こる。




『心をピュアにするヴィパッサナー瞑想入門』(春秋社) その2

2016-06-11 14:44:21 | 
『人生の流れを変える瞑想クイック・マニュアル 心をピュアにするヴィパッサナー瞑想入門』(春秋社)
地橋秀雄/著

サティの瞑想 チェックポイント

29 毎日、最低10分間瞑想すればOK
今の瞬間の状態に気づく心を養うのが最大のポイント。
妄想に巻き込まれても、脳細胞にサティという心が安定して現れるための回路が形成される。

時間帯は、食べ過ぎている時、疲労、混乱している時は×
腹7~8分目のバランスのよい食事の3時間後など、体調が良く、頭が冴えている時やれば雲泥の差。

内容の良い瞑想ができている時は、できるだけ長い時間やる。
瞑想が深くなると、自然に短眠型になる傾向にある。

ラフなサティでもよい。頻度と密度、どちらからでも瞑想は進む。


30 時間より内容が大事
一般的な「サマタ瞑想」の場合は、集中が途切れず、長時間座る瞑想ができれば進歩。
また、集中力が高まると「ニミッタ(相)」と呼ばれる「ヴィジョン(視覚映像)」が現れ、
時間が長く、大きさ、形をコントロールできれば上達(なんだろ、それ驚×5000

どんな自分の心の状態も、ありのままに認めて、客観視できているかどうか。
「最近、爽やかで、スッキリしてる」「バタバタしなくなったね」など、
自己評価より、親しい人から評価されれば本物。
物事の流れがよくなり、環境全体が整ってくるなど。


31 「優勢の法則」「50-50(フィフティ・フィフティ)の法則」
お腹、足裏の中心対象に集中するのが原則。
迷ったら印象の強いほうにサティを入れる。
雑念が浮かんでも微弱なら無視して、雑念の印象が中心対象を上回れば「妄想」「雑念」「思考」とラベリングする。


32 日常生活でのサティ「自覚のサティ」
日常生活で完璧にサティを入れるのはとても難しいので、できなくて当然と考える。
ある一定の事柄、時間帯だけと課題にすればできる可能性もある。
流れ作業、包装、調理の下ごしらえなど「ルーティンワーク」にはサティを入れやすい。

日常生活では、ラベリングを「過去形」→「現在形」に変え、身体動作のセンセーションを感じなくてよいのがポイント。

「法の確認のサティ」
心に作られる概念の世界と、客観的事実のみのダンマ(法)の世界とを識別するのが主な目的。
例えば、「痛み」と「不安」がゴッチャになると、痛みが増幅されがち。「妄想」が心理的苦しみを作り出す(パニ障にも通じるかも

今、自分が何をしているのか自覚できれば、目的は達せられている。

テーマを絞ってやるとやりやすい。
怒りを感じた時だけサティを入れる、など。

生きていくことは、汚れることです。
悪い心、汚い心をピュアにしていくことこそ、サティのもっとも大事な目的。


33
サティの瞑想の最中に咳をした人に「慈悲の瞑想」をすれば、サティは脱線する。
快・不快、好き嫌い、善悪に執われるのが人の心。
しかし、すべて「公平」「等価」「客観的」に観る「捨(ウペッカー)」の心を育てること。


エゴは私たちの心に深く根ざしているので、「主観的な反応」を許せば、エゴモードに墜ちてしまう。
「私は人を思いやる気持ちがある」「心が成長したようだ」などの思考も対象化する。

「現象を経験する心」と「それを確認する心」の2つしか存在しないということを徹底して検証することが、
エゴの超克を目指すヴィパッサナー瞑想。


34 「歩く瞑想」のラベリング(インストラクターさんはこれをカルチャーセンターで学んだ
足裏全体が着地した時点で、1回だけ「着いた」とラベリングする。

「感覚を実感する」ことと「ラベリング」に使う心の比率は、9対1に配分する。
足を上げた後、1、2秒待ってからサティを入れるくらいがよい。足を上げた後の余韻をジワーンと感じる。

身体にせよ、心にせよ、生じたものは必ず壊れ変滅していくという「無常性」を1足ごとに確認する。


35 眠気の対策法1
眠気は、瞑想の最大の敵。対策法は4つある。

①体をスッキリ整える
栄養バランスのよい食事を少なめに摂る。目安は腹6~7分目。
力仕事なら9分目だが、瞑想・頭脳労働には、運動エネルギーはあまり必要ないので、抑えたほうがよい。

眠気は、心理的要因からも発生する
仏教では、生物に必要な「生理的睡眠」と「煩悩としての睡眠」の2つに分ける。
ボーっと眠い時の心は、物事の本質がよく見えない「無明」に似ている。

眠気は「思考」から始まる。
イライラ、嫌悪、怒り、批判、自慢、欲、貪り、嫉妬、物惜しみ・・・などの「煩悩」に変わり、
別の煩悩に連鎖し、最後は眠気にたどり着くのが典型的なパターン。


36 眠気の対策法2
①眠気にサティを入れて見送ると、妄想の流れが断ち切られ、我に返る「切断作用」

②体の感覚と、心の状態に仕分けてサティを入れる。仕事が具体化すると、注意が向けやすい。
 眠気を嫌っていないか、まどろみを楽しんでいないか?
 「分析論」は、原始仏教の方法論の特徴。


37 眠気の対策法3 受け入れれば終わる
私たちは、どんなことも知覚された瞬間、好きか、嫌いかを反射的に決めてしまう。
「ありのままに観る」訓練のメリットは、エゴを離れた「ニュートラル」な立場からとらえられること。
眠気も、現象として受け入れる。来るものは来る、消えるものは消える。それをただ眺める。


38 病の時も瞑想できる?
具合が悪いと、心配、不安など暗い妄想が浮かび、エスカレートしていく。
身体的な苦の感覚は、心が落ち着いていれば、けっして耐えられないものではない。

具合が悪い時は、中心対象を定めず、「熱感」「妄想」など、「六門」(眼、耳、鼻、舌、身、意)に触れた情報に淡々とサティを入れて流す。
柳に風、受動的に徹すると疲れない。


39 痛みなど苦受が現れたほうが都合がよい
よい現象が起きた時のきれいな心を確認しても、心を清らかにする清浄道ではプラスにならない。
条件の良し悪しにこだわらず取り組む姿勢が、等価にみて反応しないようにする「捨」の心を鍛える。
どんな不快な情況でも、やるだけのことはやって、それでも変えようがなければ、有り難く受け入れればよい。

自分の運命を呪うのは愚かなこと。不遇な情況から多くの学びを得るのが心の成長。


慈悲の瞑想・チェックポイント

40 戦争は、集団的エゴとエゴの激突 
ヒトはなぜ争い、戦争をするのか?
快を求め、不快を避け、幸福を求めるエゴの集団同士が争ってきたのがヒトの歴史

仏教は、「無我論」(エゴを超えた「慈悲」)の確立を目指している。
愛のエネルギーは一転すると、復讐、憎悪に変わるかもしれない。例:ウチの子だけがカワイイ。

「慈悲」の最大の特徴は、「無差別平等性」


41
私たちのいる「現象の世界」は、お互いの心の波動が対応しあう構造になっている。「類は友を呼ぶ」
怒り、敵意、警戒心のないオープンな心で、優しい波動を発信すれば、相手にも優しい気持ちがすぐに現れる。

サティが、自我感、エゴ妄想を滅ぼす2つの理由。

①一瞬ごとを、経験することすべてを、無差別平等に気づく訓練だから

②エゴがどこから生まれるのか現場検証する営みだから

「この私」と執着しているエゴは、偽の印象にすぎない。「無我論」

「見えた」「聞こえた」瞬間、何か連想されたら「連想」「思考」とサティを入れると、
エゴは「思考」から生まれると検証され、瞑想が深まるほど、エゴには実体がないと分かる。

「慈悲の瞑想」は、簡単に、いつでも、どこでも、誰にでも、すぐにできる。
たとえ集中できなくても、慈悲の言葉を繰り返すと、反応系の心に慈悲の精神がインストールされる。

慈悲の波動を発信しつづけると、自分の心体が調和するだけでなく、外界と和合し、優しい世界が現れる


42
他人の相談にのる時、共感しすぎて、同じように苦しくなることがある。
「私が・・・」というエゴ感覚でする仕事は疲れる。
心理療法、看護婦、ヒトに接する仕事の方には重大な問題。

①慈悲の瞑想を念入りにして、心を慈悲モードにする。「一生懸命、淡々と」の意識で接する。
 母のような優しさ+聖なる無関心が両立するのが理想的。

②ブッダが説いたダンマ(理法)+それを伝えたサンガ(僧団)にゆだねる。「全託」
原始仏教では、ブッダ、ダンマ、サンガの三宝が至高の存在。


43
「慈悲の瞑想」は、私→親しい人々→生きとし生けるもの、の順番で心を集中させる。

「四無量心」(慈・悲・喜・捨)の4つの心
慈:存在同士を和合させる慈しみの心
悲(カルナー):苦しんでいる命に同情し、苦しみを取り除いてあげたいという憐れみの心
喜:幸せな状態の命とともに喜び、共感する心
捨(ウペッカー):すべてを公平に見る心。これが成長すると、対象に巻き込まれ、振り回されることが減る。
これがないと、自分の愛情、行為に対して見返りを期待するようになりがち。愛が憎しみに変わってしまう。

すべてを平等に眺める視座と、自己中心的なエゴは、正反対。
相手を選ぶことなく、清潔な距離を保ち、静かに、優しく、慈しみ、共感する。
「捨」の心が揺るぎなく完成すれば悟りに達する。


人生をリセットする瞑想

44 「懺悔の瞑想」
私たちは、皆、過去になんらかの過ちを犯し、悔いを残している。
心が握り締めていたものを手放すためには、きちんと納得し、了解感を与えること。
「同じ過ちを繰り返しません」と「懺悔の瞑想」をして、過去に執われる心に終止符を打つ。

ポイント:
自責の念、罪業感、自虐的な状態から自分を解き放つ。
悪かったのは「私」ではなく「無知」だったこと。
傷つけた人を思い浮かべ、心の中で深く懺悔すれば、ラクになる。

「五戒」(後述)を守って、正しく生きていくので、赦してください”と誓うことで、過去はリセットされる。「無常の法則」


45 「後悔」しても、起きた事実は変わらない
2つの後悔:
「なぜあんなことをやってしまったのだろう」「なぜもっとやらなかったのだろう」

最初の過ちで悪いカルマを作ったことで、充分。それを蒸し返す後悔はカルマを増産する愚かな行為。
「後悔」は悪いカルマを作る「煩悩」と認識する。

後悔の原因:
①プライド:理想の自己イメージが、ありのままの自分を裁いている。「自惚れ」
完全主義で、現実を受け入れられない。

理想の追求は向上心を高めるが、問題は理想イメージに執着すること。
失敗からは学ぶべきものを学び向上すればよい。


46 「償いの善行」
他人に犯した過ちは、大きいほど、なかなか忘れられない。
乗り越える1つの方法は「懺悔の瞑想」。

それでも解放されなければ「償いの善行」。過ちと正反対の善行を他人にしてあげること。
相手は、傷つけた相手でなくても構わない。縁のある誰か。

ヒトの心には、自分を責めるプログラムと、自分に赦しを与えるプログラムも組み込まれている。


47
仏教の戒律は、自分のやりたいことを邪魔する「禁止事項」ではない。
自分のやるべきことに対する明確な「判断基軸」「行動規範」がないと迷いが多くなる。

仏教では「嘘をつかない」のほかにも、悪口・陰口を囁かず、乱暴な言葉を使わず、無駄話をしないと教えている。
それを意識することで、自分の中の「被害者意識」に気づく。
カルマ論では、他人の悪口、批判をすれば、いつか自分に返ってくる。


48 「なぜ私がこんな目に・・・」と嘆いたり、周囲を同じ境遇に巻き込んだり
人生の悪い流れを変えるには、まず、心を大きく変えること。
「私は、この苦しみを、他人には与えない」と決意してみる。
「嘆かない」「仕返しをしない」「ふてくされない」と決める。

本気で嫌なことを肯定するのは難しいので、嫌なことが起きたら有り難いと発想を変える。
人生の苦に直面しなければ瞑想に興味をもつことはなかった。
痛み、苦(ドゥッカ)を経験したことがない人には、他人の痛みは分からない。

深い「共感能力」を養っていると考える。
人生は、いつでも、どこからでも、やり直せる。
法(真実の状態)には、勝ち負け、貧富、美醜、賢愚、優劣など「二元対立」する概念はない。



49 五戒のネックは「不飲酒戒」
原始仏教の特徴は、よく分からないもの、納得いかないことを、強引に信じさせる要素はない。
疑問はきちんと検証し、迷いのない状態で「信」を定めるのが良い。

どうすれば、「不飲酒戒」を守れるか?:

①ヤケ酒の要素がないか観察する。問題を直視して、自棄を起こさせる真の原因を明確にしないと繰り返す。

②日常に慢性的な不満があり、その代償として飲んでいないか。

③お酒はほんとうに、苦しいこと、嫌なことを忘れさせる快楽か検証する

「無明」心に闇があり、真実が分からない状態
本当は苦なのに、楽と錯覚し、無常を永遠に続くと錯覚してしまう。

飲酒によるデメリットを列挙してみる:
①アルコールは、脳細胞を破壊し、脳萎縮の原因になる。
②内臓にダメージを与え、早く老ける。
③莫大なお金がかかる。時間を浪費する
④人に迷惑をかける。ひんしゅくを買う

瞑想の「サマーディ状態」は、飲酒の酩酊感、陶酔感とは比べものにならない素晴らしいもの。


もっと幸せになれるブッダの教え

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ブッダの侍者アーナンダは、釈迦族の王家の出身で、温和な性格、美男子だったため、
比丘尼からも、在俗の女性信者からも慕われ、女難を被ることも多かった(『聖☆おにいさん』にも出てくるね

『大パリニッバーナ経』

愛欲、物欲、食欲、名誉欲も同じメカニズムで発生する。
ポイントは「刺激(情報)」が取り込まれると、自動的に反応するパターンが、どの生物にも組み込まれている。
見た、聞いた、匂った、触った瞬間、「好き」「嫌い」「無視」などの反応が自動的に必ず起きる。

欲望から身を守るには、刺激的な情報を受け取らないこと。
どうしても欲しくなったら、「これは本当に必要なのか?」と自分に問いかける→なければよいものばかりなことに驚く。

「たとえ貨幣の雨を降らすとも、欲望の満足されることはない」(ダンマパダ)


51 善行(クサラ)日記
ヴィパッサナー瞑想の構成要素:
サティの瞑想、サマタ瞑想(感覚を研ぎ澄まして、心を集中させる)、慈悲の瞑想、懺悔の瞑想、五戒、善行。

善行(クサラ)を積み重ねると、善いカルマが集積され、ツイてることが増え、人生が好転する。

ヒトは、自分のためだけに生きていると、「自己防衛的」「自閉的」になる。
「不善心所」から抜け出せない時は、「トイレ掃除」「風呂場掃除」などの「作務」をすると、切り換えられる。
体を使う善行は、気分を一新させる。

「善行(クサラ)日記」
毎日、なにかの善行(クサラ)をすると決めて、それを具体的に日記に書く。
例:自販機にお釣りを忘れた人を追いかけて渡した。など

「貧(欲)」「瞋(じん・怒)」「痴(無知)」の煩悩は努力なしにできる。
悪はなしやすく、善はなしがたい。

「波羅蜜(はらみつ)」「徳」:善行の集積されたエネルギー
波羅蜜が臨界量に達すると必然に悟りが起きる。

長い人生では、自分が嫌になり、落ち込むこともある。慰めもしらじらしく聞こえる時、
「善行(クサラ)日記」を開くと、勇気、感動、自信が取り戻せる。

仏教の3つのエッセンス:
①「諸悪莫作」悪を避ける
②「衆善奉行」善を行う
③「自浄其意」心を浄らかにする


52 死にゆく人の看取り方
仏教では、命は「輪廻転生」し、「解脱」しないかぎり、必ず死後に生まれ変わると考える。
再生に関係するのが「カルマを作る心」。

私たちの心は2種類に分けると
「受容系」(眼、耳、鼻、舌、身、意)からの情報を受け止め、認識する心
「反応系(チェータナー)」意志がともなってカルマを作る心。

最期の心の内容が、次に再生する世界を決定すると考える。
悪い死近心で死ねば悪い世界に再生し、善い死近心で死ねば善い世界に再生する。死ぬ直前の心の内容が重要。

看取る人は、できるだけキレイな心で最期の瞬間を迎えられるよう最善を尽くすこと。
「不善心所」が立ち上がらないよう、できるだけ快適な環境を整える。

身近な人が亡くなる時、泣き叫んで悲しい波動を発するのが普通ですが、
安らかな死と、よき再生を祈ってあげるのはどうでしょう。


53
ヴィパッサナー瞑想の目的は、煩悩まみれの心を「無意識・潜在意識」の世界までキレイにすること。「心髄感」

「五戒」とは
「不殺生戒」命を傷つけない
「不偸盗戒」与えられていないものを取らない
「不邪婬戒」不倫をしない
「不妄語戒」嘘をつかない
「不飲酒戒」お酒・麻薬など酩酊させるものを摂らない

瞑想の楽しさが分かると、妨げるものから自然に離れたくなる。
一度、五戒を受け入れると、意思決定がしやすく、判断に迷うことが激減し、生きることがとても楽になる。
心のやましさが消え、堂々と生きることができる。


54 仏教以外でもかまわない
『削減経』欲、怒り、高慢、嫉妬、我などを1つずつ刈り取ることを教える。
これに比べたら、いい気持ちになるだけの瞑想は、この世を楽しむだけの「現世の楽住」に過ぎないとも言われる。

ブッダの瞑想とは
戒:言動をきれいにする
定:思考とイメージをきれいにする
慧:潜在意識をきれいにする の流れで進む。

反応系の修行は、「戒」を完成させるもの。「人格完成の修行」

『大般涅槃経』では、どんな教えや宗教でも構わないと明言している。
「いかなる教えや戒律においても、八正道がありさえすれば、悟る人が現れるだろう」

著者自身、ヴィパッサナー瞑想に定まるまで、大乗仏教、キリスト教、ヨーガ、神道系などからかけがえのないものを学んだ。
どれも、ヒトが幸せになるために提示されたものなのに、宗教同士が争い、内部対立するのはおかしなこと(フシギだよねえ・・・


55 ヒトの心も、トイレ同様、使うほど汚れていく
「貧(欲)」「瞋(じん・怒)」「痴(無知)」は、脳の深い、旧い皮質に組み込まれているので、死ぬまで強力に働きつづける。
しかも、この世は、食欲、性欲、購買欲などを刺激する情報に満ちている。

老化とともに真っ先にダメージを受けるのは、煩悩をコントロールする「理性の座(前頭葉)」。
仏教に縁があるかどうかは、どんな老後、晩年を迎えるかを決める「分水嶺」となる。


************(ここでようやく)ヴィパッサナー瞑想のやり方(実践編)

サティのポイントは、現在の瞬間に気づき、思考を止め、心をキレイにする(煩悩をなくす)こと。
煩悩に一瞬一瞬「気づき」を入れて、妄想を止める。サティ=気づき


【歩く瞑想】(イラストで紹介されているが省略
体が動くとセンセーション(身体的実感)が生じるので、感覚に気づいた証として、言葉で確認する。
体の実感は「事実」の世界。「妄想」と識別するために「ラベリング」する。
「ラベリング」のタイミングは「現象が先、確認が後」。
壁際まで来たら、立ち止まり、「立っている」と「ラベリング」する。
これを一定時間行う。

ポイント:
バタンという音→「音」→「不安な感覚」→「(怒っているのかな)と思った」・・・
()内の言葉をオウム返しに言う必要はない。


【座る瞑想】(イラストで紹介されているが省略、これはヨガでやるな
座禅のスタイルで座り、中心対象は呼吸と連動するお腹の起伏感覚。
お腹の感覚が分からなくなったら、「(拳を当てて確かめよう)と思った」・・・と「ラベリング」する。
30秒~1分ほど確認したら、それ以上は手を当てないほうがよい。

煩悩が生まれる思考の世界を離れ、今の瞬間の本質を直感する智慧が閃くようになる。


【慈悲の言葉】(省略


【著者あとがき 内容抜粋メモ】

地橋秀雄(ウィキ参照
1948年生まれ。1978年より解脱涅槃を求めて修行生活に入る。
滝行、断食、ヨーガ、心霊科学、工学禅、他力全託、内観、クリシュナムルティなどの遍歴の末、
原始仏典に基づくブッダのヴィパッサナー瞑想が解脱を完成する道だと理解する。

以来、タイ、ミャンマー、スリランカ等で修行する。
1995年から朝日カルチャーセンターなどで指導を始める。

現在、グリーンヒル瞑想研究所所長。



私は1978年から瞑想修行を始め、現在まで瞑想以外のことは何もしない人生を歩んできた。

1995年からヴィパッサナー瞑想のインストラクターの仕事を始めて、
多くの方の「瞑想レポート」を伺い、現場で詳細に語られる体験レポートは、
強力なデータとして膨大に集積され、右脳のデータバンクに保存してきた。

どんな経典、説法より、生身の人間の体験した実例ほど、瞑想システムと人間の心の世界を解明するのに貴重なものはない。
多くの瞑想者に接するうち、瞑想に対する理解は大きく修正された。

最大のポイントは、サマーディの完成、サティの技術的進歩より、「戒の修行」が決定的に大事だと痛感したこと。

サマーディがいくら上達しても、一点に集中する強力な力ゆえ、いとも簡単に“見たくないものから眼を背けることができる”

サマーディの能力がとても優秀なのに、日常の意識モードでは、人格はまだまだ、情緒不安定、という方が少なくない。
サマーディが悪いのではなく、瞑想修行の順番が違う。

瞑想で明らかにされた問題、心の汚染は、1つひとつ解決して乗り越えていかなければ卒業できないものが多い地道な仕事。

この世を離れた出家者の修行と、私たち在家の修行は、本質的に異なる。
能力、環境、カルマも千差万別。
つまり、与えられた自分の環境こそ、自分の心をキレイにする最高の修行現場なのです。


「グリーンヒルWeb会」