goo blog サービス終了のお知らせ 

takaさんの今日もsimple

整体師なtakaのごく、何てことない一日の話です。

内海バンガローにて

2008年08月24日 | 奄美時間2008
奄美大島というと

「羽田から直接行ける飛行機はあるんですか?」

と 尋ねられる事が多い。

はい。ありますですよ

ただし 羽田からの直行便は日に一便きり。
朝羽田8:30発で 奄美空港入りが11:00近い。
それ以外は 鹿児島乗り継ぎ便となる。
時間に余裕のある方は、有明からのフェリー便もある。
夕方出向して、翌々日の朝につく感じですけど・・・

昨年は やはり直行便で昼近くに奄美入りして
島北部に位置する奄美空港から 
レンタカーで 南端の古仁屋まで 一気に約3時間かけて南下し
日に3便のフェリーで大島海峡を渡って
やっと その日の夕方に加計呂麻入りをした。

それはそれで 良かったのだけど
結構ハードスケジュール。
今年は ちょっとスローペースで進みたかったので
まずは島の中央付近に位置する住用(すみよう)にて
しばし過ごす計画だった。
それには、昨年も利用した内海バンガローがもってこいかなと。
自炊しなくちゃだけど、一棟一泊7000円はありがたい。
ログハウスな小屋裏形式の二階建て。
1階にリビングダイニングキッチン。
洗面所。トイレ。バスルーム。
で、リビングから階段を上がって二階寝室。
三人で泊まるには 広すぎるくらい。
ここを拠点に三泊四日、
おかげで旅行と言うよりは
奄美に住んでいる疑似体験していた感じ・・・。
良かった。


(2階の様子。二段ベッドとシングルベッドが二つ。
 吹き抜けになっていて、ここから一階のリビングが臨めます)


朝の散歩。

 
夕暮れ。
ご飯の支度が出来るまで、子供は水辺の観察に忙しい・・。

ちいさーーーいカニ発見。石の先っちょに居てます・・わかるかな・・。


日ごろテレビ浸けのtaka父は テレビの無い生活に 少々もてあましたのか
孫の散歩について行っていた(笑)


余談☆
予約の電話の段階で、名前を言うと バンガローの人は
 「ああ!takaさん!昨年も泊まって頂きましたね!」
と、覚えていてくださった。

が、

taka父は 到着するまで
「いやー・・ 一度も泊まった事は無いからなあ・・」
と 言い続けて・・・。

しかし、
チェックインの際、takaが「今年もお世話になります」
と挨拶すると
脇から ささっと出てきたtaka父。
満面の笑顔で バンガローの奥さんとブンブン握手。
「いやあ~!また お会いできてよかった!
 昨年お会いした時から あなたの夢ばかり観てましたよ~~」

と、来たもんだ・・・

あっけにとられて
開いた口が塞がらない私に構わず にっこにこのtaka父・・。
バンガローの奥さんは、笑って流して下さったのが
救いでした・・

ほんと、うちのじーさんときたら・・・


清川(きょんこ)にて

2008年08月23日 | 奄美時間2008
2008奄美初入水。




鶏飯(けいはん)の「みなとや」から 名瀬(奄美の中心地)へ南下して
自炊のための買い物を済ませながら
住用(すみよう)入りをする。
初日から ここ 内海バンガローにて3泊を過ごす。
チェックイン荷物を運び込み
ざっくりと 落ち着いてから、
遊びたくて うずうずしている息子の為に
再び車を走らせて
トンネルを越えて 清川(きょんこ)へ向かった。
内海から 10分足らずで着く。







住用は、父が小学生まで(両親が亡くなるまで)過ごした所。
キョンコ は、その頃も 今も
子供たちの遊び場 である。





とても 美しい水。
すくうと、まったりとしている。
水に足を浸していると
小エビや小魚が足指をつくつくついてきて くすぐったい。

父の母、takaの亡き祖母は
その昔、ここでノロに着任するため
禊みそぎの儀式をしたのだと伝え聞く。
神聖な場所であるが
子供らの遊び場 でもある。
そのあたりが
何だか、南の島の大らかさを感じるところがあって
思わず笑みが出るところ。






奄美に来たら鶏飯 鶏飯と言えば・・

2008年08月22日 | 奄美時間2008


やっぱり、ここでしょう。

みなとや」 

と 多くの方がおっしゃいますが
やはり takaも そう思います

鶏飯は ご飯に 具(蒸し鶏、錦糸卵、ネギ、のり、柑橘系の薬味etc)
をのっけて 熱々のスープをかけてざくざく食べるという
いたって シンプルなもの。
だからこそ そのスープの味で、決まる。

みなとやさんのスープは、濃厚。
なのに、あっさり。
大好きなの takaはそういうのが

また、具に添えられる薬味などは 店によって少しずつ違うのだけど
ここでは たんかん(奄美のオレンジです)の皮を乾燥させて
細かくしたものが添えられている・・・。
これが とても 美味!
(ゆずを使うお店も多い)

そんな訳で 今回 2008奄美も
初日 奄美空港からレンタカーを借りて
まっすぐ向かったのは 
まずは ここ、
みなとやでした・・


この旅の反省 父へ2

2008年08月22日 | 奄美時間2008
昔から

「子供叱るな 来た道じゃ。
 年寄り笑うな 行く道じゃ。」

なんて 言葉がある。

・・・・・・・・。

でも、この旅の反省・・・

父を沢山「叱り」ました ごめんなさい。

ええ・・・
そりゃ、滅多な事では 「叱り」ませんが・・・
まあ。。。
何ていうか、、かなり大雑把に説明すると

同じ事を
一度目、二度目、三度目・・・
と、丁寧に応え・・
(ええ、、年をとると、
 人間、同じ事を何度も聞くものよ・・・。
 そう、、あたし慣れてる・・。
 でも、、、)
 
4度目・・あたりから 私の眉間に亀裂が入り始め・・・
これで もう大丈夫だろう・・
と、思って方向を変えたとたんに
するってーとなにかい?」

みたいな事になる。
で、

だ・か ・るあらあっつ 

と、つい、語気が荒くなってしまうのだった。
父のほうは
娘の語気が荒くなって初めて
ようやく、説明が頭に入るらしく・・。
いや~知らなかった。初めて聞いた。」


夜になると 反省して

「ああ・・・行く道なのに・・・。
 明日こそは 絶対 何があっても 観音像のごとく
 優しく 優しく 温和な娘でいよう・・・

と 心に誓ってから目を閉じる・・

が、

就寝一時間後、、

「ママ!クーラー消してっ!」

! あー・・はいはい・・

また一時間後、

「ママ!クーラーつけてっ!」

! あー・・・へーへー・・・

更に一時間後、

「ママ!クーラー消してっ!

! あー・・・・・

って、、、、

 いい加減にしてくれる~~~~~~っ? 
 眠れないよ~~~っつつつ 

と、怒鳴ってしまう。
ところが
当人は、一時間前に私に頼んだ事は忘れているので
「一体・・娘はナンだって そんなに怒ってるんだろう・・」
と なってしまう。

ああ。。。行く道なのに・・。。。
誓ったそばから また私・・

朝になる。
加計呂麻で泊まったペンションの部屋は
テラス窓から大きく海が望める。

ああ、、、 いいなあ、、、
静かな 波の音で目が覚めて
顔を上げれば そこに海があるなんて・・・
やっぱり
来てよかったなあ・・・。
幸せだなあ・・・
こういう・・

「ママー!帰りの飛行機は何時だったかな。」

波の音しか聞こえないわ・・

「羽田に何時に着くんだったかな・・・。」

ああ・・波の音 波の音。。

「千葉まで どうするのかな・・。」

・・・・・

「榎戸駅に何時に着く?」

・・・・・・・

「おねえちゃんは 迎えに来てくれるかな。
 休みかな。頼んでおいた方がいいんじゃないか?」


・・・・・・・ぴちっ。

ええいっ! やかましいっ!ひとがせっかく・・!



と、再び 朝っぱらから 誓いを破ってしまう私だった・・。


taka父のエピソードは盛りだくさん過ぎて
とても書ききれないと思う。
どこか チビまるこちゃんのじーちゃんを思わせるtaka父。
愉快系ニンチ(?)
私の導火線が何度と無く発火するたび、
そのやりとりをそばで聞いてる息子は
お腹をかかえてひーヒー言って 笑っていた。
ああ・・
親子漫才だよネエ・・。 

でも
今回3度目となる この旅の中で
父の歩み方、体力、
などを観ていて
やはり、一年ごとの衰えを感じずには居られず
今年が限界かなあ・・
来年は無理かなあ。。。
と思うことがしばしだった。
そう思うとせつなくて
また、
なのに ぴちっと叱ってしまったりする事が申し訳なくて

せめて の ように
笑顔の父を よく撮った。


この旅の反省・・・父へ・・・1

2008年08月19日 | 奄美時間2008
3度目と成る奄美帰還2008。
もとはと言えば、
ふと、
孝行したい時に既に親は無し 状態・・・

と、なる前に

taka父、hirohideの生まれ育った地である奄美大島にて
自分の足で歩けるうちに
一人孫である taka息子を「案内」する

って言うのを 
体験させる

って言うのは どうじゃろか・・・

と、思ったのが始まり。

しかし、はっきり言って taka父は手が焼ける。

昭和4年生まれの巳年。
小学生の時に両親を亡くし
兄姉&おばちゃんたち、に育てられた経緯は
さすがに親と言えど 大変だったなー・・・なんて思う。

それにしてもまあ・・・
何ていうか、常日頃、
いまだ、自分の服、下着さえも どこにあるかわからず、
自分が何を食べて大丈夫か、さえもわからず、
「~が欲しい」
と、言う前に
指をかざすまでもなく
あうんの呼吸(?って、言っていいのか激しく疑問・・・)で
taka母の手によって全てが目の前に現れるという
(手品師かよ・・・)
生活を送って長いtaka父。
何をするにしても
まず、母に聞いてから。

まあ、ざくっと話すとこんな所なのだけど
常日頃、母には
「娘と言えど、夫婦の事には 口はさみませんけどね・・。
 それにしても、
 あなた亡き後、あなたと同じ様には出来ないんで
 あのように仕上げてしまった責任から言って、
 絶対 父を置いて逝かないでね・・」

と、言っている 悪娘taka。

子供の頃から
4人兄弟の中で 真正面から父とやりあうのは私だけだった。
よく、明け方まで説教をくらった。
その上に、反省文までかかされたことも数え切れない。
腹立ち紛れに
自分の荷物をまとめ、母に泣いて止められたことも。
兄貴には
お前は 本当に要領が悪いと 苦笑された。
そんな私が
でも、結局
一番父と接する子である今が 何か不思議。

   


何を書くべきか・・・

2008年08月17日 | 奄美時間2008
島から 戻って 2日。
想いが いっぱい過ぎて
何から 文字にして良いのか
ほんと、
ことば(文字)に、詰まる・・・。

実はまだ、
1千枚近く撮った 写真でさえ
大きくして観る事が
出来ずに居る。

正直言って、観ることが ためらわれている。
そうすることで
すでに 想い出となってしまいそうで。

離れがたい島への想いが
なかなか・・・・・・・。

15日の夜中に 自宅に戻り
自室の電気をつけた途端、
見慣れた 我が家の光景が 瞬時に拡がった。
自分なりに
居心地の良いスペースであった。
はずだった。

でも、

次の瞬間、
それら全てに きびすを返して
島に、戻りたい衝動に
激しく、 駆られた。

島に。

奄美に。

加計呂麻に。


徳浜に・・・・・・・・。


でも、
今、少しずつ、気持ちが落ち着いてきている。

いずれ、

必ず、

あの浜に、住み着くだろう自分を確信して。

その気持ちが
今、ここ千葉に居るtakaを
グランディングさせている。

いずれ、

必ず。


無事奄美より帰還しました。

2008年08月16日 | 奄美時間2008
15(金)の21時過ぎに羽田に着陸し
バスでJR千葉駅まで来て
総武本線に乗って
榎戸stにて下車して、
タクシーに乗って
taka実家へ。
じーさんを送り届け、
ゴンと たまの 熱烈大歓迎を早めに辞して、
そして
日付が変わる頃、
無事 自宅に帰着しました。

今は、、、

ひたすら、、、、、


浦島気分。


おそらく これから 予想どおり

“島時差ぼけ” に 陥るのでしょう・・・・・・。


落ち着いたら また

ぽつぽつと 更新しようと思います。

まずは ただいまでした。 

昼休憩

2008年08月14日 | 奄美時間2008
午後から雨という天気予報が 外れ
すこんと 晴れてます。
海から上がって 軽く お昼をとった後
ジジは部屋にて
息子は テラスにて パズル遊び
そしてtakaは このペンション ブルーエンゼルの庭にて
まったり 休憩
ほんとに 何とも 言えない 美しい眺めです。

土盛海岸にて

2008年08月13日 | 奄美時間2008
奄美北部に来ています。
晩げまで夕涼み中。
今日は盆の入りにて島人は海には入りません。
入ってるのは観光客のみ。
我らも、今日は南部からの道すがら
墓参りや神社参り、入院中の叔母の見舞いをしつつ、
ゆっくりペースで笠利入り。
ここは まったり じっとり 暑いです。
ここに二泊 滞在。