PRINCOの今日のパチパチ
Sidosso Princoちゃんの思わず拍手パチパチ記録
 



成田山新勝寺、最終回にお付き合いください。パチパチ!


現本堂である大本堂(昭和43年〈1968〉~)の裏手には、八大童子や三十六童子などの不動明王眷属、役行者などが祀られています。




こちらは釈迦堂。現在、厄除け祈願、お祓い所として使われていますが、実は移築された、前の本堂(安政5年〈1854〉~昭和43年)なのです。




瓦の紋は菊。明治になるまでは、成田山の寺紋は菊だったのだそうです。




光明堂。前の前の本堂(元禄14年〈1701〉~安政5年)を移築したもの。この御堂を曳家するときに使われたものは、当時、自然界で最も丈夫と言われた、、、、、なんと、女性の髪の毛を束ねた綱で、ひっぱったのだそうです。




変わった額も奉納されていました。因みに、流山の近所だと、野田の清水公園、金乗院には算額が奉納されています。




光明堂裏手の奥ノ院。奥行11mの洞窟の奥に、大日如来さまが祀られています。壁に使われているのは、板碑(石で作られた卒塔婆)です。




今年、落慶された醫王殿と、山上にそびえたつ平和大塔(へいわのだいとう)。この大きさのバランスも素晴らしい。





平和大塔の下には英国風の庭園が。




駅へ向かう参道には名物の鰻屋さんが軒を連ねます。串打ち三年裂き八年焼き一生と言いますが、熟練の技についつい見入ってしまいます。
※私は聖職者なのでウナギは食べません。



参道の中ほどにある、薬師堂。1655年に本堂として建立され、江戸の終わりにこの地に移築されました。つまり、前の前の前の本堂(明暦元年~元禄14年)。



成田山の何が凄いって、歴代本堂がきちんと残されていること、そして、作り直すたびに大きくなっていること。町中にあるほとんどの寺院は、境内スペースの関係で、旧本堂は解体処分するしかなく、また、大抵、作り直すたびに小さくなります、、、、。

円東寺はこれ以上、小さくなりようが無いのですが、さて!?



以上、宗吾霊堂と成田山のお参り記録でした~。


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