『華氏911』を観ました。パチパチ!
『ボーリング・フォー・コロンバイン』に比べてドキュメントっぽくは無かったけど、考えさせられました。マイケル・ムーアみたいなフットワークの軽い大人になりたいなあ(ああいう体型にはなりたくないけど)。
この映画を「偏っている」「思い込みが激しすぎる」とか評価する人たちは一体何を基準に“偏っている”というのでしょう?
「俺とは違う」
というのなら分かるけど。みんなそんなに冷静なのかな?
どんな美人だって“んこ”も“しっこ”もするし(僕りんはしないけど)、その一面だけ捉えれば「とんでもない人」ができあがります。
それを見て「あいつはひでえ」と判断するのは確かに早急ですが、「これは偏っている」とすぐさま分かります?やっぱり単に対極にいるだけなのでは?
てきぱきと公務をこなすブッシュもいれば、在任期間の42%を休暇に充てたのもブッシュ。我々はそのときそのときのブッシュを見て判断するしか無いのです。
「公正な立場から見れば、、、」なんて普通の感覚の持ち主ならなかなか言えないんじゃないかな。
【幽霊の正体見たり枯れ尾花】
幽霊だっ!と思ったら実はススキだったってヤツです。でも、“幽霊に見えた”その瞬間、ススキの穂はその人にとって確かに幽霊だったのです。
「今日は暑いね」という人に対し、「何を言ってるんだ平均気温より低いんだよ。」なんて言っても意味ありません。その人は確かに「暑い」のですから。
これと物事を一部分だけで見てはいけない、というのは似ているようで違います。
お釈迦様の例え話に盲目の人たちが象さんをさわって
「象とは丸太のような動物です(足を触った人)」
「いえ、象とはざらざらとして壁のようなものです(お腹を触った人)」
「なんのなんの、象とはヒモのような生き物です(しっぽを掴んだ人)」
というのがあります。これは水平軸上にある物事の、一部分しか見ていないと判断を誤る事の例です。
でも、これを時間という垂直な軸で見たときに真実は刻一刻と変化するのです。
『朝は4本足、昼は2本足、夕方は3本足の生き物はなんだ?』
というスフィンクスのナゾナゾです。(答えは人間ね)
全ての事象は時と共に変化するのです。
変化は必然。ですから問題は、変わるということが「本人に蓄積されているか」どうかです。
単なる二枚舌なのかどうか、、、。
ブッシュが911の前後で言動のすり替えを行ったのは事実でしょう。なんでいつの間に攻撃対象がイラクになったのか当時は訳分かりませんでしたもん(今も分からないし)。
日本の来月『911』はそこら辺をこっそりチェックです。
マニフェストを守らない人は、、、プリンコ・ムーアがお仕置きよっ
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