「愛知県の某市長の自筆謝罪文がひどい」とニュースになっていて「謝っているんだからもういいじゃん。字のうまい下手なんて、いちいち突っ込むなよ、、、、」と思いつつ見てみたら、、、、、、うーん(^^;)
我々僧侶が、よく直面する問題で「坊さんは字がうまいのが当たり前と思われている」というものがあります。パチパチ!
とにかくプレッシャーが凄くて辛いッス。昔は、紙が高級品だったので、それに字を書ける人は限られた人でした。思う存分に字を書くことができた僧侶は、民衆よりうまいのは当然でしたが、今となっては、、、、、ねえ?
直筆謝罪文に戻りますが、この手のことに大切なのは、たぶん、どれだけ時間をかけたかなんでしょう。私なんかは、筆で書かれた草書を見ると「すげえ!達筆!」と感心しますが、昔から、草書より行書、行書より楷書の方が「丁寧」なのです。公文書で草書なんてありえない訳ですし。時間をかけて何かをした、ということは、その人の「人生の一部をそのことに費やした」という証にもなり、相手の心を打つのだろうと思います。
ちょっと違うかも知れませんが、「自分でyoutubeチャンネルを持つと、他人の動画に低評価を点ける気が失せる」と何かで読んだことがあります。その一つの動画をUPするのに、どれだけの苦労があるか知っているのか否か、ということでした。プロ野球選手がバット一振りいくら、なんて皮肉られるのも、その後ろに隠れた膨大な練習を想像することができない人たちの話でしょう。
とりあえず、字は練習すれば、誰だってそこそこ上手になる。だからやっぱり人柄を表すのですねえ(^^;)
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