フランシス・マクドーマンドの『ノマドランド』観てきました。パチパチ!
彼女がかつて2回アカデミー賞主演女優賞をとった『ファーゴ』のマージも『スリー・ビルボード』のミルドレッドも良かったけど、
今回の役、ファーンもかなり吹っ切れています。
食事中NGなシーンばっかりです、、、(^^;)
以下、ネタバレあり(反転させて読んでください)
ノマドって車あったよなー程度の知識だったんで、いろいろ考えさえられました。
特にエンディングで、んんっ?と思ったんですが、スワンキーもリンダも本物のノマドってこと??パンフを買いたかったんですが、おおたかの森のTOHOシネマズでは「次回入荷未定」でした、、、、
2008年のリーマンショックで多くの高齢者が自宅を手放すことになる。その後彼らは、自家用車を住居とし、アメリカ中を職を求めて旅をする、、、、という現代のアメリカが抱える問題の話だけではなく、みんな悲しみや喪失感を抱える高齢者(若者も)だという映画です。
なんで、いい条件の暮らしや、約束された未来を手放すの?と誰もが思いますが、私はちょっぴりの勇気を持って実際に行動を起こした彼らを羨ましいと感じました。
「病気になったらどうするんだ」
「いつまでもそんな暮らしはできないぞ」
と言った呪いの言葉に縛られて、馬車馬のように働く望まない生活をするより、一回しかない人生を、自由に生きる方がよっぽど充実して価値があるように思えてきます。
癌にかかって余命いくばくもないのに、自力で最後の旅に出るスワンキーが「私が死んだら焚火に石を投げて。そうやって私のことを思い出してくれれば満足だわ」というのですが、実際に大勢の仲間が車座になって、彼女の思い出を語りながら焚火に石を投げ入れます。
家族葬や小さな葬儀がもてはやされる、今の日本より、よっぽどいいお別れじゃないすか。
今の葬儀は、「家族や近所、仲間や友人と暮らし、家族や近所、仲間や友人に見送られる人生」から、家族以外はごっそり抜け落ちていますので(時に家族すらも)。
息子の自死をきっかけの一つとしてノマドを始めた男性がファーンに言います。
「ノマドはみんな、さよならとは言わない。いつかまた会いましょうと言って別れる。そして、実際にまた会えるんだ。だから私も息子といつか必ず会える。
あなたもボー(亡くなった、ファーンの夫)にいつか会えますよ」
“ノマドはさよならの無い世界”、この死生観に救われる人は大勢いると思います。
彼らの旅とは失ったものを見つけるための水平移動なんだなと。
もちろん全部、アメリカだからできるんですけどね(^^;)
日本ではガソリンが高すぎるし、車に車検があるし、何より公園や駐車場で車中泊したら注意されますから。
物語の最後になると、なぜ彼らがノマドを選んだかがおぼろげに分かってきます。
我々は、屋根や壁のある生活に慣れ過ぎて、自らを型にはめているのかなあ、なんて思いました。
ファーンが車で旅に出たように、我々も心の旅に出ないといけないのかもしれません。
彼女は、ボーに会いに行き、そして、また仲間に会うために旅を続けるのでした。
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