sibasenn気ままな旅日記&日常のつぶやき

東海道53次ウォークや気ままなバックパッカーの旅日記を写真もまじえて報告&日常のつぶやき

東欧旅行ポーランド編(2016年12月5日)

2018-11-18 19:58:30 | 2016年ロシア・東欧・ギリシャ
2016年12月5日

昨夜は8時ごろに寝たので、
今朝は6時過ぎに気持ちよく目覚める。
8時ごろにホテルでの朝食。種類も豊富で、味も満足できるものであった。
ここで二人の日本人旅行者(女性)とも出会う。
10時ごろに荷物を預けてホテルをチェックアウト。

ワルシャワ市内のど真ん中に高くそびえる30数階建ての文化科学宮殿にのぼる。
1955年完成。スターリンからポーランド人民への贈り物。
当初はスターリンの名が冠せられていたが、死後削除。

30階まであがって、四方に広がる街並みを展望。
なかなか壮観!

続いて地下鉄に乗ってワルシャワ蜂起博物館に向かう。

ここでワルシャワの地下鉄についてちょこっとガイド。
乗ってる時間によって料金が違う。
今回は目的地に向かうためだけの乗車券だったので、
一番短い20分間有効を買う。

さて地下鉄を降りてしばらく歩く。
館内に入ると大きなスクリーンがあり、
その時のようすが映像で流されていた。
1944年8月1日午後5時、ナチスドイツ占領下で、ワルシャワ市民が一斉蜂起

印刷所;検閲を免れてビラ配布

ワルシャワ蜂起で命を落とした人のお墓

館内には、中高生がいっぱい!
日本で原爆資料館などに修学旅行で訪れるのと同じことか。
蜂起の事実、ナチスドイツと戦う勇敢な市民たちの姿を伝える。
ヒロシマ、ナガサキ、オキナワを抱える日本はどうだろうか。
原爆や地上戦など、大きな被害の実相を伝えるのは当然だ。
でも同時にあの戦争の時代にあっても、
反戦を叫んだ人たちがいたことを、どれだけ伝えているだろうか。
こんなことを考えながら展示や映像を見る。

館内の外の長い壁には20万人もの亡くなった人々の名前が記されている。

博物館を出て歩くと、またゲットーに

2時過ぎにイタリアンレストランでスパとピザを食べる。
お腹もいっぱいになり、残りのピザはお持ち帰りに。
だんだん時間もなくなってきたのでトラムに乗り、
どうしても行きたかった“集荷場”に行く。

再びトラムに乗りホテルに行き、荷物を受け取る。

これからザモシチに向かう。
ポーランド南東部にある世界遺産の街。
電車で4時間以上はかかる。
夕方5時50分発のルブリン行きに乗り、8時過ぎに着く。
次は8時35分発のザモシチ行きだ。
電車が発車すると、すぐに車掌が検札にきた。
チケットを見て車掌が盛んに何かを話すのだが通じない。
ラチがあかないと思ったのか、車掌は他の乗客に何かを尋ねている。
するとそばにいた若い女性が車掌に「チェンジ」と言ったのが聞こえた。
また車掌がやってきて説明してくれるが私たちには通じない。
車掌はあきらめたのか、それっきりも何も言ってこなくなった。
電車はドンドン進んで行く。
若い女性が「ノープロブレム」と言って、笑いかけてくれる。
それだけが唯一の支えだ。
iPadのGPS機能で現在地を確認しながら、
内心はドキドキヒヤヒヤ。
どれくらい経っただろうか。
ある町で電車を降りるように指示された。
車掌も、あの女性も一緒だった。
すぐにバスが迎えにきた。
女性が笑いかけながらバスに乗るようにサイン。
そうだったんだ、「チェンジ」と言うのはこのことだったんだ。
バスの中は暗くて寒かったが、
その女性の笑顔で温かい気持ちになった。
バスを降りて再び電車に乗り、10時過ぎにザモシチに着いた。

ところがである。
降りた鉄道駅は街はずれ。
市街地にはタクシーでないといけないようだ。
ここでまたまた大事件発生!
タクシーは1台あったが、それは別の乗客が乗って行ってしまった。
ところがその乗客が、困っているわたしたちを見かねたようで、
戻ってきて告げた。
自分が降りたら、このタクシーをまわすから、ここで待つようにと。

真っ暗でむちゃくちゃ寒かったけど、人の優しさ、親切にふれて
本当にあったかい気持ちになった。

しばらくしてタクシーが戻ってきて
市街地にあるホテルに無事チェックイン。
お昼の残りのピザを食べて眠る。

今回は長文になったかも。
でもみなさんにも、異国の地で私たちが受けた
人の優しさを少しでも感じてもらえたらと願いつつ。

つづく







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