30キロ圏内でパスポート審査を受けて、いよいよチェルノブイリの中に入った。
少し緊張が走る。
まず最初に案内されたある建物の前でバスから降りた。
草木はぼうぼうだが、建物は頑丈そうにみえる。
1959年に建造された村のカルチャーセンターだとガイドから教えられた。
中に入ってみてびっくり!
講堂らしい室内の床は抜け落ちている。
踏み外さないように気をつけながら写真を撮る。
いくつかある小さな別室はご覧のとおりの状態。
あの事故から30年、ツアー客以外はだれも足を踏み入れることができない。
荒れ放題のままである。
衝撃を抱えながらバスに乗る。次の目的地に向かうまでのバスの中から見える景色にも驚く。
次々と目に飛び込んでくる民家。もちろんだれも住んでいない。
人が生活していない家は荒れると、昔から言われている。
そのとおりの光景がここにある。
だがよく考えてみよう。これは村人たちが選んだ結果ではない。
あの原発事故さえなかったら、多少は民家や建物は古くなっても、それなりに手入れもするだろう。
草木だって30年だから大きくなるのは当たり前としても、のび放題ということはなかったであろう。
どんなにか手入れしたかっただろう。したくてもできなかったのである。
村人たちの辛い気持ちに想いを寄せると、悲しいやら腹立たしいやら。
この光景は写真に収めて、いろんな人に見てもらいたい。
いや、福島原発事故があった日本だからこそ、見なければいけない。
そして考えなければいけない。
ささやかだけども、日本に帰って知らせることが私の役割なんだと。
そんなことを考えながら、バスは次の目的地に向かう。
つづく
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