(1)発音が簡単(2)英仏語のような動詞活用がない(3)動詞が文末に来る(4)形容詞は文である、とこれまで日本語の特徴を並べてきた。今回もさらに2点、加えてみよう。
(5)修飾語が被修飾語に先行する。つまり、形容詞は名詞の前に来るし、副詞は動詞の前に来るのが原則だ。何だ当たり前じゃないか、と思われるかも知れない。ところがモントリオール大学の大半の学生の母語であるフランス語では、これが2つとも逆なのだ。「丸いテーブル」は「une table ronde」だし、「早く食べる」も「(Je) mange rapidement」としか言えない。
ははーん、日本語の修飾語は英語と同じ語順なんだな、と学生がよく勘を働かせるが、実はそれは早合点である。確かに英語でも形容詞は名詞の前に来る。一方、副詞はしばしば動詞の後におかれる。そしてさらに決定的に違うのは、修飾部分が文(学校文法では「節」という)である場合だ。これはフランス語も英語も、関係代名詞を介して、修飾される名詞の後にぞろぞろと付けるしか手段がない。修飾される名詞が「先行詞(antecedent)」と呼ばれるのもそのためだ。
ところが、(5)修飾語が被修飾語に先行する、という日本語の特徴は修飾語が修飾節になっても依然として有効で揺るがない。おまけに関係代名詞も日本語には要らず、単に名詞の前に文をおくだけでいい。かくて英仏語ではそれぞれ「my friend who came yesterday / mon ami qui est venu hier」などとなる所を、日本語なら単に「きのう来た友人」の3語で言いおおせてしまうのだ。
(6)次なる第6点は(5)と若干関連している。上の「修飾語が被修飾語に先行する」の原則から外れているように見える場合があるからだ。それが「数量表現」である。例えば次の文を見て頂きたい。
(あ) 「ここでりんごを5つ食べた」
(い) 「日本人がここに10人いる」
ここの「5つ」や「10人」は数量を表しているが、これらはそれぞれ「りんご」と「日本人」を修飾しているのではないだろうか。それがどうして上記(5)の原則に反して、名詞の後ろにおかれ、しかもそれで自然な文に聞こえるのだろう。この質問に答えてくれるのが第6点なのである。これも、英仏語を母語とする学生が毎年大いにびっくりして目をぱちくりさせる日本語の特徴だ。
(6)日本語では、数量は名詞に係らず動詞に係る。英語や仏語の数量は形容詞的なのに、日本語では副詞だからである。つまり上の日本文の「5つ」や「10人」はむしろ(あ)の「ここで」や(い)の「ここに」などと同じ性格?資格のものなのだ。例えば前の文で「5つ」の位置が「りんごを」の前でも後ろでもいいのはそのせいだ。(あ)の語順を変えて「りんごをここで5つ食べた」としてもいい様に、 「ここで5つりんごを食べた」だって問題なく言えるのである。
日本語の数量はそのまま副詞として機能するから、名詞に付いて動詞との文法関係を示す格助詞(「が、を、に、で」など)を付ける必要がない。英語で 「Give me 500 yen」と言う時、この 「500 yen」とは明らかに動詞「to give」 の直接目的語だが、日本語の「五百円下さい」の「五百円」がもし目的語だとしたら、「五百円を下さい」と「を」が付く筈だ。ところがこうは言わない。
その理由は、この文の目的語は「お金」であり、「五百円」は上の「5つ」や「10人」同様に副詞だからである。「お金を五百円下さい」ならいいのだが、「五百円」で既にお金と分かるから言う必要がない訳だ。いくら茶髪(ちゃぱつ)の現代っ子だって、体重形の上で「ウッソー!また太っちゃった!」と叫んだ後に、「58キロがある!」とは決して言うまい。「ある」のは「体重」であって「58キロ」は「あり方、あり様」なのだから。
さて、「58キロがある」とは言わないが、「58キロはある」や「58キロもある」ならいいのだから、「てにをは」はややこしい。それは「名詞に付いて動詞との文法関係を示す格助詞」と先程書いたことにヒントがある。「は」も「も」も、格助詞ではないのだ。2つとも国文法で言う係助詞で、文法関係は不問に付される。この辺りに関しては第20回と21回をご覧戴きたい。 (2005年11月)
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(5)修飾語が被修飾語に先行する。つまり、形容詞は名詞の前に来るし、副詞は動詞の前に来るのが原則だ。何だ当たり前じゃないか、と思われるかも知れない。ところがモントリオール大学の大半の学生の母語であるフランス語では、これが2つとも逆なのだ。「丸いテーブル」は「une table ronde」だし、「早く食べる」も「(Je) mange rapidement」としか言えない。
ははーん、日本語の修飾語は英語と同じ語順なんだな、と学生がよく勘を働かせるが、実はそれは早合点である。確かに英語でも形容詞は名詞の前に来る。一方、副詞はしばしば動詞の後におかれる。そしてさらに決定的に違うのは、修飾部分が文(学校文法では「節」という)である場合だ。これはフランス語も英語も、関係代名詞を介して、修飾される名詞の後にぞろぞろと付けるしか手段がない。修飾される名詞が「先行詞(antecedent)」と呼ばれるのもそのためだ。
ところが、(5)修飾語が被修飾語に先行する、という日本語の特徴は修飾語が修飾節になっても依然として有効で揺るがない。おまけに関係代名詞も日本語には要らず、単に名詞の前に文をおくだけでいい。かくて英仏語ではそれぞれ「my friend who came yesterday / mon ami qui est venu hier」などとなる所を、日本語なら単に「きのう来た友人」の3語で言いおおせてしまうのだ。
(6)次なる第6点は(5)と若干関連している。上の「修飾語が被修飾語に先行する」の原則から外れているように見える場合があるからだ。それが「数量表現」である。例えば次の文を見て頂きたい。
(あ) 「ここでりんごを5つ食べた」
(い) 「日本人がここに10人いる」
ここの「5つ」や「10人」は数量を表しているが、これらはそれぞれ「りんご」と「日本人」を修飾しているのではないだろうか。それがどうして上記(5)の原則に反して、名詞の後ろにおかれ、しかもそれで自然な文に聞こえるのだろう。この質問に答えてくれるのが第6点なのである。これも、英仏語を母語とする学生が毎年大いにびっくりして目をぱちくりさせる日本語の特徴だ。
(6)日本語では、数量は名詞に係らず動詞に係る。英語や仏語の数量は形容詞的なのに、日本語では副詞だからである。つまり上の日本文の「5つ」や「10人」はむしろ(あ)の「ここで」や(い)の「ここに」などと同じ性格?資格のものなのだ。例えば前の文で「5つ」の位置が「りんごを」の前でも後ろでもいいのはそのせいだ。(あ)の語順を変えて「りんごをここで5つ食べた」としてもいい様に、 「ここで5つりんごを食べた」だって問題なく言えるのである。
日本語の数量はそのまま副詞として機能するから、名詞に付いて動詞との文法関係を示す格助詞(「が、を、に、で」など)を付ける必要がない。英語で 「Give me 500 yen」と言う時、この 「500 yen」とは明らかに動詞「to give」 の直接目的語だが、日本語の「五百円下さい」の「五百円」がもし目的語だとしたら、「五百円を下さい」と「を」が付く筈だ。ところがこうは言わない。
その理由は、この文の目的語は「お金」であり、「五百円」は上の「5つ」や「10人」同様に副詞だからである。「お金を五百円下さい」ならいいのだが、「五百円」で既にお金と分かるから言う必要がない訳だ。いくら茶髪(ちゃぱつ)の現代っ子だって、体重形の上で「ウッソー!また太っちゃった!」と叫んだ後に、「58キロがある!」とは決して言うまい。「ある」のは「体重」であって「58キロ」は「あり方、あり様」なのだから。
さて、「58キロがある」とは言わないが、「58キロはある」や「58キロもある」ならいいのだから、「てにをは」はややこしい。それは「名詞に付いて動詞との文法関係を示す格助詞」と先程書いたことにヒントがある。「は」も「も」も、格助詞ではないのだ。2つとも国文法で言う係助詞で、文法関係は不問に付される。この辺りに関しては第20回と21回をご覧戴きたい。 (2005年11月)
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