畑倉山の忘備録

日々気ままに

インドネシア賠償ビジネス(下)

2018年11月25日 | 鬼塚英昭
児玉誉士夫と瀬島龍三との間で、インドネシア賠償金を一括して奪う計画がなされた。

(1)瀬島龍三が大本営参謀であったときの先輩辻政信を説得し、インドネシアに行かせスカルノと接触させること。
(2)渡邉恒雄記者が、スカルノが訪日するとき、スカルノ暗殺計画があるのを秘かにインドネシアの駐日大使に伝えること。
(3)スカルノをガードするとの目的で羽田空港に児玉誉士夫の友人の暴力団(東声会)のメンバーを動員すること。
(4)暴力団東声会の在日朝鮮人町井久之(鄭建永)の企業舎弟久保正雄が経営する「東日貿易」を通して賠償ビジネスを行なうこと。

スカルノ大統領の訪日を知ると児玉誉土夫は、赤坂の高級ナイトクラブ「コパカバーナ」のママに電話を入れた。スカルノの女の好みを説明した。選ばれたのは定時制高校を中退したばかりの19歳の女性、根本七保子であった。後のデヴィ夫人である。(中略)

インドネシア賠償ビジネスは伊藤忠に莫大な利益をもたらした。児玉誉士夫の名が登場することにより、国会でもこの問題はタブーとなった。児玉と東声会の町井久之の登場がいかに大きな存在であるかを政界も財界のトップたちも知らされたのである。

このインドネシア賠償ビジネスで、当時800億円の事業をなしとげた伊藤忠は一流商社の仲間入りをする。インドネシアの天然資源、特に石油事業に力を入れていく。(中略)

東日貿易ジャカルタ支店長桐島正也は「日本滞在中のスカルノ大統領を護衛してほしいという話が、インドネシアの駐日大使館から久保さんのところへ持ち込まれた。それまで久保さんはインドネシアとは縁がなかったから、だれか知人を通してだったと思う。それで久保さんは知り合いの暴力団幹部に頼んでボディガード役や、羽田空港で歓迎の旗を振る人間の大量動員を引き受けてもらった」と語っている。

インドネシアとは何の縁もなかった男がどうして東日貿易として伊藤忠と賠償ビジネスを立ち上げることができたのか。児玉誉士夫がすべて采配を振るったからである。久保正雄は児玉のところに出入りする右翼の一員だった。その男を町井久之に推したのは児玉だった。いわば、久保は児玉と町井の二人の企業舎弟だった。瀬島龍三は出世の階段を昇り常務となった。しかし、町井との交流を深めていったのである。

(鬼塚英昭『瀬島龍三と宅見勝「てんのうはん」の守り人』成甲書房、2012年)