戦後、われわれは「天皇は象徴で政治に関与しない」と思ってきました。しかし昭和天皇は戦後の日米関係の核心に深く関与しています。
先に憲法の話をしました。ここで第二次大戦後の日米関係を構築するうえで、昭和天皇がどのように関与したか、ふれておく必要があると思います。
日本国憲法では、第一条で「天皇は日本国の象徴である」、第四条で「天皇はこの憲法の定める国事に関する行為のみを行ない、国政に関する権能を有しない」としています。
私も大学で憲法を学びました。天皇は政治に直接関与しないと教わりました。しかし、歴史を見るとちがうのです。戦後の歴史、とくに日米関係では私たちが思っている以上に天皇が政治に関与しているのです。
一九七九年、進藤栄一・筑波大学助教授(当時)が、米国の公文書館から驚くべき文書を発掘し、雑誌『世界』に「分割された領土」という論文を発表しました。米国側に保管されていたその文書とは、終戦後、昭和天皇の側近となった元外交官の寺崎英成が、GHQ側に接触して伝えた沖縄に関する極秘メッセージです。まず読んでみてください。
「マッカーサー元帥のための覚書(一九四七年九月二〇日)(マッカーサー司令部政治顧問シーボルト)
天皇の顧問、寺崎英成氏が、沖縄の将来に関する天皇の考えを私に伝える目的で、時日をあらかじめ約束したうえで訪ねてきた。寺崎氏は、米国が沖縄その他の琉球諸島の軍事占領を継続するよう天皇が希望していると、言明した。(略)
さらに天皇は、沖縄(および必要とされる他の諸島)に対する米国の軍事占領は、日本に主権を残したままでの長期租借——二五年ないし五〇年、あるいはそれ以上——の擬制(フィクション)にもとづいてなされるべきだと考えている」
「えーっ」と驚かれたかもしれません。私もはじめてこの文書を読んだときは本当に驚きました。ここで昭和天皇はGHQ側に対して、「沖縄を半永久的に軍事占領していてほしい」と伝えているのです。そしてさらに驚くべきことに、実は沖縄の現実はいまでも基本的にこの昭和天皇の要望通りになっているのです。昭和天皇は戦後の日米関係を構築するうえで、ここまで深く直接かかわっていました。
進藤教授はこの「天皇メッセージ」という、戦後史そのものをくつがえすような歴史的事実を発掘・発表したのですから、本来、大変な反応があってよいはずです。憲法学者や政治学者、さらに新聞、雑誌は、この論文について大論争をくりひろげなければおかしい。(略)
「ところが日本の新聞や学界は、全くの黙殺でした」
「不都合な事実には反論しない。あたかもそれがなんの意味も持たないように黙殺する」
それが戦後の日本のメディアや学会の典型的な対応なのです。
(孫崎享『戦後史の正体』創元社、2012年)
先に憲法の話をしました。ここで第二次大戦後の日米関係を構築するうえで、昭和天皇がどのように関与したか、ふれておく必要があると思います。
日本国憲法では、第一条で「天皇は日本国の象徴である」、第四条で「天皇はこの憲法の定める国事に関する行為のみを行ない、国政に関する権能を有しない」としています。
私も大学で憲法を学びました。天皇は政治に直接関与しないと教わりました。しかし、歴史を見るとちがうのです。戦後の歴史、とくに日米関係では私たちが思っている以上に天皇が政治に関与しているのです。
一九七九年、進藤栄一・筑波大学助教授(当時)が、米国の公文書館から驚くべき文書を発掘し、雑誌『世界』に「分割された領土」という論文を発表しました。米国側に保管されていたその文書とは、終戦後、昭和天皇の側近となった元外交官の寺崎英成が、GHQ側に接触して伝えた沖縄に関する極秘メッセージです。まず読んでみてください。
「マッカーサー元帥のための覚書(一九四七年九月二〇日)(マッカーサー司令部政治顧問シーボルト)
天皇の顧問、寺崎英成氏が、沖縄の将来に関する天皇の考えを私に伝える目的で、時日をあらかじめ約束したうえで訪ねてきた。寺崎氏は、米国が沖縄その他の琉球諸島の軍事占領を継続するよう天皇が希望していると、言明した。(略)
さらに天皇は、沖縄(および必要とされる他の諸島)に対する米国の軍事占領は、日本に主権を残したままでの長期租借——二五年ないし五〇年、あるいはそれ以上——の擬制(フィクション)にもとづいてなされるべきだと考えている」
「えーっ」と驚かれたかもしれません。私もはじめてこの文書を読んだときは本当に驚きました。ここで昭和天皇はGHQ側に対して、「沖縄を半永久的に軍事占領していてほしい」と伝えているのです。そしてさらに驚くべきことに、実は沖縄の現実はいまでも基本的にこの昭和天皇の要望通りになっているのです。昭和天皇は戦後の日米関係を構築するうえで、ここまで深く直接かかわっていました。
進藤教授はこの「天皇メッセージ」という、戦後史そのものをくつがえすような歴史的事実を発掘・発表したのですから、本来、大変な反応があってよいはずです。憲法学者や政治学者、さらに新聞、雑誌は、この論文について大論争をくりひろげなければおかしい。(略)
「ところが日本の新聞や学界は、全くの黙殺でした」
「不都合な事実には反論しない。あたかもそれがなんの意味も持たないように黙殺する」
それが戦後の日本のメディアや学会の典型的な対応なのです。
(孫崎享『戦後史の正体』創元社、2012年)