時雨忌や老いさらばえて死ぬるだけ まほろば
新宿からほど近いフリージャズ専門のライブ・スポット【騒(がや)】への出入りは1年ほどで終ったように記憶している。その理由はここでは書かないが、最大のプラスのエポックはアルトサックス奏者の阿部薫さんとの邂逅である。彼の音楽表現はもはやジャズにまつわる固定観念をはるかに超えていた。同時に、聴衆の一人としての私自身もまたジャズの流れる空間という認識は瞬時に消滅していた。フリージャズにおける《フリー》とは、何らかの手段で《自己》を表現するためのテリトリーを最初から逸脱していた。1970年代のあっけない何処までもシラケた空間を極彩色に染めて、遺恨を晴らそうということに他ならなかった。決して70年安保やカウンターカルチャーの延長戦をやろうというような建設的なものではなかった。八王子アローンのメインイベント(ミルフォード・グレイブス)は頓挫したが、前座役の【集団疎開】という日本人グループは見事にその憂さを晴らした。・・・《続く》