今日は少し汗を掻くくらいに暑さが戻った。駅前公園でここ数日常連となった招かざる猫の親子の鳩相手のハンターぶりに微笑んでいると誰か見たことのない長身の若者が10mほど前方からこちらをジッと見ている。珍しく帽子を被っていたので誰か知り合いと勘違いしているのではと違うという意味で手を振ると相手はそれでもこちらを見ながら少しづつ離れて行った。もう少しで110番するところであった。本署が徒歩2分のところにある。しばらくすると今度は防犯協会のミニパトがひったくりが起っている・・と警告して走り回っていた。同じ東京でも山の手や江戸下町の神田日本橋などでは考えられないことだ。私は昨年4月に当地に転居して来たが自宅よりの110番通報は10度近くに及ぶ。治安の悪化をもたらしているのは極限の偏差値教育からはじき出された者たちが大半を占める。当地は東京有数のコーリャンタウンであるがネット右翼の若者たちが騒ぐほど犯罪の発生源とはなっていない。何故なら彼らはいち早く北と南に分かれ、これら【無敵の人】なるおちこぼれ犯罪に備えて組織化しているからだ。彼らは憎たらしいくらいに見事なサバイバリストである。時には私たち日本人から法外な生活保護給付金や帰属意識の欠片もないのに地方参政権を要求したりもする。この1年半ほどの間にした10回ほどの110番通報のうち半分は日本人の落ちこぼれの若者、残る半分が同じく自分たちのコミュニティから落ちこぼれ在日外国人であった。どちらも下町タウン特有の自助努力の欠如したすべて他人に転嫁する主体性のない排除思考が基にある。gooへの引越元のyahooブログでも同じようなことが起きている。俳句という超マイナー世界を牛耳っていると錯覚したある総合誌関係者が自誌の顕彰者(受賞者)や投稿者をブログ内で泳がせて一般ブロガーを序列付け、さらには将来自結社を設立後は一部の上位者を幹部に迎えようというわけで日々画策している。一般の俳句ブロガーを舐め切った所業である。俳句などというものはこのわれわれの日々生きてゆく上での危急存亡の時代には単なる等身大の慰安媒体にすぎない。それは残念なことであるが正真正銘の事実である。そのささやかな慰安さえも俳句の社会性の無さ(極小性)を逆手に取り強者を装った手前勝手な精神の収奪さえ行う。東京下町といい、俳句といい実に危ういサバイバリズムに蝕まれつつあるようだ。 極小の慰安を蝕む「俳句って楽しい」 まほろば
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