まほろば俳句日記

毎日見たこと聞いたこと感じたことを俳句にします。JーPOP論にチャレンジ。その他評論・エッセー、学習ノート。競馬も。

【俳句の此岸】中央線文化の消滅と《俳句形式》の浮遊/私とは誰か~プレおたく世代の現在(27)

2017-07-27 03:23:22 | エッセー・評論

1980年代とは、言うまでもなくそれに先立つ70年代の延長上にある。私は1979年限りで音楽業界への参入を断念し、1980年に中央線文化の中心地【吉祥寺】に舞い戻った。2017年の現在も、少なくとも東京では人気ナンバーワンの郊外エリアである。私にとっても、この時代にとっても【吉祥寺】とはそのような存在ではなかった。正確に言うと、そのような最も上質な【1億総中流タウン】などではあり得なかった。しかし、駅前のドブ板を抜けた所にパルコが出来てしまうと、もう私の居場所は何処にも無かった。ほんの1~2年前には、そのドブ板の一角にかのJAZZ喫茶【ファンキー】が威を奮っていたし、夜な夜な閉店の午前2時まで身を潜めていた。関西の摂津幸彦さんも70年代の早い時期に首都圏に転居しており、間違いなくこのSPOTに足を運んだと断言出来る。そのファンキーも、1980年代の初頭にパルコを中心とする駅前の再開発の波に呑み込まれ、何とパルコの並びのオシャレなパスタ店の2階の窮屈なスペースに移転していた。そこにはカウンターだけしかなく、ジャズも単なるBGMに成り果てていた。以前のように、現代詩文庫や吉本隆明全集を持ち込み、コーヒー1杯で何時間も居座る余地は根本から失われていた。・・・《続く》


【ミヨチャン】昭和の巨星がまたひとり・・平尾昌章さん逝く!/J-POP論・POP詩の宇宙

2017-07-27 03:17:20 | J-POP論/POP詩の宇宙

ぼくのかわいいミヨちゃんは/色が白くて ちっちゃくて・・ ミヨチャン』(詞・曲 平尾昌章)*昭和歌謡の巨星の出発点にして到達点!その透明感溢れる歌声は魂にいまも突き刺さったまま。

7月21日、歌手で作曲家の平尾昌章さんが逝った。79歳だった。2年前に肺ガンが見つかり、入退院を繰り返したが、この日帰らぬ人となった。平尾さんは、1950年代末に全世界に吹き荒れたロックンロール・ブームの日本での火付け役となり、山下敬二郎、ミッキー・カーチスと共にロカビリー三羽烏と呼ばれた。当時の国民的人気は相当なものだったが、何より1960年代から70年代以降の作曲家としての活躍である。布施明『霧の摩周湖』や五木ひろし『よこはまたそがれ』・・など多くの大物歌手やアイドルのヒット曲を生んだ。自身の歌唱も『カナダからの手紙』(畑中葉子とのデュエット)などがある。最近は、芸能界の重鎮として(社)日本作曲家協会常務理事、日本音楽著作権協会理事なども務めた。また昭和の巨星がひとつ逝った。・・・《続く》
 
平尾昌章 『ミヨチャン』 1960
 
ぼくのかわいい ミヨチャンは
色が白くて ちっちゃくて
前髪たらした かわいい娘
あの娘は 高校二年生
 
ちっとも美人じゃないけれど
なぜか 僕をひきつける
つぶらなひとみに 出会う時
なんにもいえない 僕なのさ
 ・・・・・
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