獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

ゼロさんとの「対話」 その4

2021-04-27 09:00:00 | ゼロさんのブログ

●獅子風蓮のコメント(日付不明)
>ゼロさん

ゼロさん

>獅子風蓮さんのブログは
>あの記事を書いてからは一切読んでいませんよ

分かりました。
でも、その時のコメント欄の雰囲気などから、てっきり私のことを皮肉る文章だと思ってしまいました。
私の早とちりですかね?

>その管理人さんの責任って何でしょうか?
>人の言葉ではなくて
>ご自分の言葉でご説明頂けますか?

真実を求めてさんへの返事にも書きましたが、私のブログの記事。
「対話ブログにコメントをしてみました」(1)~(13)
をよく読んでみてください。
とくに「冤罪は晴れたのか?」①~⑥
を読めば、なぜ私がシニフィエさんに怒っているのか分かっていただけると思います。

>それに「狩野川物語り」は単なるフィクションではありませんよ
>私が実際に読んだのは「歴史的資料」として扱われている分野です
>私もはっきり事実とは言っていませんが
>実にありあえる・・と言うスタンスです

この辺のことは対話ブログで書いたつもりでした。
その時は、特に反論はなかったので、私の主張が受け入れられたとばかり思っていました。

ポイントは、「戸田城聖-創価学会-」(日隈威徳)と佐野眞一のノンフィクション「化城の人」です。
両者とも、創価学会と戸田氏については厳しい目で批評しているのですが、創価教育学会設立当時の記載を読んでみても、「狩野川物語り」の中身と共通する点はありませんでした。

つづく。


●獅子風蓮のコメント(日付不明)
そもそも
ゼロさんのブログ記事「創価学会はこうしてつくられた 2018-06-19 11:00:00」では、

『邪教教団・創価学会』P152~P160より本文を抜粋しています。

ちなみに『邪教教団・創価学会』という本はアマゾンの古書では該当するものがなく、
『邪教集団・創価学会―これでもあなたは信じるか (1976年) 室生 忠 , 隈部 大蔵 (著)』のことでしょうか。

>昭和十二年、創価学会ができた前後の事情を実証する一つの事実は、東京都杉並区方南町在住の柴田登志子・方位学研究家の証言である。
>もう一つは、ドキュメンタリードラマの『狩野川物語』である。

(中略)

>ちなみに創価学会・公明党の「言論出版妨害事件」が表面化したのは、昭和四十四年末から四十五年にかけてであった。
>そういう私自身
>隅田洋著『創価学会・公明党の破滅』(東北出版社刊)
>福島泰照著『創価学会・公明党の解明』(展望社刊、のちに太陽出版社刊)
>というような、筆名で書いた私の創価学会・公明党についての批判書が、直接、関節に、彼らから大きな妨害をこうむったなまなましい経験をもっている。

つづく。


●獅子風蓮のコメント(日付不明)

つまり、『邪教集団・創価学会』の著者のうちのどちらかは、創価学会・公明党に対する批判書を出すにあたり、大きな妨害を受けており、創価学会・公明党に対する憎しみは相当なものがあったと思われます。
この著者とは、後の「月刊ペン」事件で創価学会より名誉棄損で訴えられた隈部大蔵です。

『「月刊ペン」事件埋もれていた真実』山崎正友(2001年、第三書館)によると、p30に次のような記述が見られます。

>昭和四十三年、隈部大蔵はペンネームで『創価学会・公明党の破滅』および『創価学会・公明党の解明』という批判書を書き、出版しようとしていた。(略)。

隈部大蔵は、元地方紙の論説委員であったが、もう一つの顔は諜報訓練機関である陸軍中野学校の卒業生。ゲリラ戦要員養成を主とする二俣分校の3期生で、煽動・攪乱のスペシャリストでした。
隈部は周囲に隠していたが、大乗教団という日蓮宗系新興宗教の幹部でもありました。
そうした人物を新編集長に迎えた『月刊ペン』は、1976年「四重五重の大罪犯す創価学会」などといったタイトルの特集を組み、大々的な創価学会攻撃を開始したのでした。

ひとことで言って、隈部大蔵なる人物はそうとういかがわしい。
そういう人物が共著者となって書いた『邪教集団・創価学会』の中に、ドキュメンタリードラマ『狩野川物語』
が引用されていたとしても、その信ぴょう性には疑問がつくのです。

>そもそも
>獅子風蓮さんには獅子風蓮さんのスタンスがあります
>様々なブログがあって良いのではないでしょうか?
>私は
>そんな獅子風蓮さんの信仰スタンスを
>ここで紹介したかったんですよ

ありがとうございます。

真実を求めてさんへの返事でも書きましたが、

もともと私は、ゼロさんのブログに共鳴するところが多く、ゼロさんの「アンチはいろいろな考えの人がいていい」という言葉に励まされたものです。
「お婆ちゃんの御本尊」の記事のように、信仰は信仰として尊重する態度にも、共感しました。

ゼロさんには期待するところが大きいだけ、言うべきことは言っておきたいと思ったのです。

ゼロさんのブログのタイトルの下にあの2行があるせいで、ブログの価値が下がってしまうのを恐れたのです。

ゼロさんとは、対話を続けていきたいと思っています。

これからも、よろしくお願いいたします。

獅子風蓮