獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

友岡雅弥さんの「地の塩」その8)前川喜平さんとの出会い (2)

2024-05-14 01:59:00 | 友岡雅弥

友岡雅弥さんは、執筆者プロフィールにも書いてあるように、音楽は、ロック、hip-hop、民族音楽など、J-Pop以外は何でも聴かれるとのこと。
上方落語や沖縄民謡にも詳しいようです。
SALT OF THE EARTH というカテゴリーでは、それらの興味深い蘊蓄が語られています。
いくつかかいつまんで、紹介させていただきます。

 


カテゴリー: SALT OF THE EARTH

「地の塩」という意味で、マタイによる福音書の第5章13節にでてきます。
(中略)
このタイトルのもとに書くエセーは、歴史のなかで、また社会のなかで、多くの人々の記憶に刻まれずにいる、「片隅」の出来事、エピソー ド、人物を紹介しようという、小さな試みです。


Salt15 前川喜平さんとの出会い(その2)

2018年4月11日 投稿
友岡雅弥


前川喜平さんは、ホワイトボードに憲法二十六条を書き、それを最後まで話題の中心にしながら、話をつづけました。

もう一度、憲法二十六条を見てみましょう。

第二十六条
すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。

すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。

前にも言いましたが、22世紀か23世紀に、人々がよりよい憲法を作ろうという気持ちになり、自分たちで憲法をよくしていこうという流れになったとき、「すべて国民は」は、「すべての人は」にしたほうがいいでしょう、また「その能力に応じて」は、「その個性に応じて」「1人1人の多様性」にしたほうがいいでしょう、というのが、前川さんの考えです。

そして、第二項は、がらっと変えるべきであるとも、語られました。

今のままでは、「義務」は、「国民」が負うことになってしまっている。これは「立憲主義」の原則からすると、 少し違和感があるというのです。

「立憲主義」というのは、憲法は主権者である国民(人々)が国に対して、その行き過ぎなどを制限し、その不作為を改めさせるためにあるものなので、「義務」は、別途「法律」で決めればいい、というわけです。

前川さん流の、憲法二十六条第二項です。

国はすべての人に無償の普通教育の機会を保証する義務を負う。

義務を負うのは、国であると、明示されています。

もちろん、今の憲法条文でも、その精神からいえば、すべての人に教育の場を国が提供すべきなわけです。
しかし、国の不作為によって、それが出来ていない。

前川さんは、ここで、日本における夜間中学の歴史を語りだし始めました。

戦争が終わり、戦争孤児や、海外から引揚げてきた家族(に連れられた子ども)が、社会のなかにたくさんいました。また、戦争で、学習の機会を奪われた子どももたくさんいました。

にもかかわらず、労働力の一員として、働かざるを得ない子どもたちがたくさんいたのです。

当時の文部省は、夜間中学を認めました。
とはいっても、校舎に対して、生徒数があまりに多い場合に、二部制にして、授業をする学校もあったので、これを「拡大解釈」して、二部授業として、「夜間中学」を認めたわけです。

1955年(昭和30年)、ピークで、全国90校、5000人ほどが、夜間中学で学んでいました。

ところが、高度経済成長が始まり、学齢期なのに働かねばならない子どもの数が少なくなって行きました。

それで、1966年(昭和41年)、行政管理庁(今の総務省の一部)が、夜間中学廃止の勧告を出したのです。

でも、「少なくなった」とはいえ、まだそういう子どもさんは、いました。実は、今でもいるんです。お一人、知っています。お母さんの病気の看病で、小学校にいけなかった20代のかたです。今、20代です。

また、ちょうど、戦争中、戦後の混乱の最中が学齢期で、その時、学ぶ機会を奪われた若者たちもたくさんいたわけです。

「そこで、1人の青年が立ち上がったのです」と前川さんは、語りました。

高野雅夫さんです。

そして、この時、突然、僕を指さして、「あの方、友岡さん。あの友岡さんが高野さんに会わせてくれたんです」といわはったんです。

どぎまぎしましたね。

もちろん、戦争の影響を特に受けた人々、在日を生きる人たち、被差別部落、引き揚げ者も、学ぶ機会を奪われていました。

それで、高野さんが全国を歩き、「夜間中学校」の灯を消してはならないと、火を灯していったのです。

そして、70年代からは、学齢期の子どもたちもですが、むしろ、学齢期を超えた、戦争の影響で学ぶ機会を奪われた人たちの学ぶ場として、夜間中学校は機能していくわけです。

また、「不登校」の子どもたちも通いだしました。

でも、ここで大きな問題が起こったのです。

学校や家族は、善意で、親心で、「不登校」の子どもたちが、大きくなって差別されないように、と、せめて、卒業証書を出してあげよう、という流れが大きくなったのです。

「形式卒業者」の問題です。

形式卒業者は、実際は、いじめなどで、学ぶ機会を奪われたのに、卒業証書を持っている。

それで、再び、夜間中学校には入学できない(法的には、実際はできるはずなのですが、それが現場で阻まれてしまう)ということが起こり、それが改善されたのは、2015年に、文科省が「形式卒業者」も夜間中学校に通うことができる、と、再び、 通知をだしたわけです。

ちょっと裏話を。

高野さんと前川さんをドッキングさせるとき、若干、「あれこれ」が(「あれこれ」 というと何か複数あったみたいなので、「あれ」だけか)ありました。

高野さんは、あとで、ゆっくり話したかったと、悔やんでたのですが、実は、前川さんと会うのに、若干、抵抗感があったのです。だから、あいさつプラスαぐらい。

それはなぜかというと、形式卒業者が夜間中学に入るのは、高野さんのころから、文部省(当時)OKとなってたのですが、それが現場に伝わらなかった。

なので、夜間中学校に入れずに、無念の思いでその後の人生を送らざるを得なかった人たちがたくさんいたのです。

だから、高野さんは、(前川さんと)ゆっくり話したい、でも、彼ら・彼女ら(夜間中学校に入れなかった人たち)の顔が次々浮かぶのよ。その悔しい顔が浮かぶのよ。だから、素直になれんのよ」と。

たしかに、そうです。

その無念の思いを引き受けながら、今でも、高野さんは、夜間中学校の廃止反対(橋下前大阪市長が廃止を目論んでいました)、また夜間中学校の建設のために、全国を回ってるのです。

それが、高野さんのエネルギーなのです。

そして、前川さんは、その思いを十分、分かって、終始、「夜間中学生」展の会場で、にこやかにされていました。

また、前川さんは、夜間中学校を全国に作る一つの大きなステップとなる「義務教育の段階における普通教育に相当する教育の機会の確保等に関する法律」(2016年12月)の制定に、尽力をされました(名前が長い!通称「教育機会確保法」、超党派の議員立法です)。

この法律は、まさに「学校教育法」の不備を補う画期的な法律で、年齢や国籍などに関わらず、すべての人に、普通教育の機会を提供する理念を宣言する法律です。

具体策までは、残念ながら書かれておらず、その具体的実現のために、前川さんも、全国を回られています。

さらに、障がいを持ったお子さんたちを包摂するインクルーシブ教育(これについては、前川さんは、大阪が圧倒的な歴史があると高く評価しています)や、LGBTも包摂する教育の場の提供まで視野に入れています。

このお二人の出会い損ないみたいな出会いは、実は、本物同士の本物の出会いだったかもしれません。


解説
前川さんは、夜間中学校を全国に作る一つの大きなステップとなる「義務教育の段階における普通教育に相当する教育の機会の確保等に関する法律」(2016年12月)の制定に、尽力をされました(名前が長い!通称「教育機会確保法」、超党派の議員立法です)。この法律は、まさに「学校教育法」の不備を補う画期的な法律で、年齢や国籍などに関わらず、すべての人に、普通教育の機会を提供する理念を宣言する法律です。

こんな偉い人と交流があるとは、友岡さんの人脈は幅広いですね。

 

友岡雅弥さんのエッセイが読める「すたぽ」はお勧めです。


獅子風蓮



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