友岡雅弥さんは、執筆者プロフィールにも書いてあるように、音楽は、ロック、hip-hop、民族音楽など、J-Pop以外は何でも聴かれるとのこと。
上方落語や沖縄民謡にも詳しいようです。
SALT OF THE EARTH というカテゴリーでは、それらの興味深い蘊蓄が語られています。
いくつかかいつまんで、紹介させていただきます。
カテゴリー: SALT OF THE EARTH
「地の塩」という意味で、マタイによる福音書の第5章13節にでてきます。
(中略)
このタイトルのもとに書くエセーは、歴史のなかで、また社会のなかで、多くの人々の記憶に刻まれずにいる、「片隅」の出来事、エピソー ド、人物を紹介しようという、小さな試みです。
2019年2月4日 投稿
友岡雅弥
民俗学者・宮本常一は、「旅する巨人」と言われていました。生涯に旅した距離は延べ16万キロ。写真だけで10万枚。今みたいに、デジタル・カメラやスマートフォンで、手当たり次第に撮ったら、自動的にパソコンやクラウドなどに保存出来るような時代ではありません。撮ったものはフィルム現像して、選んで、紙に焼き付けねばなりません。
著作集が未來社からでていますが、これもすべての文章ではなく、選んだものだけで400頁ほどの箱入りハードカバー単行本で50冊を超えます。
彼の行動や考え方は、いわゆる「保守」と「リベラル」(もう「保守」の反対語は「革新」ではないのですよね) という区分けの無効性をよく示しています。
彼の著作には、「戦争」の影がほとんどでてきません。「原爆」の影も。
しかし、例えば彼の監修した『日本残酷物語』シリーズを読めば、淡々とした筆致で、社会の片隅に、「最底辺」に、うち捨てられた人たちの姿と、その人たちをうち捨てた「日本」という国の残酷さが、はっきり見てとれます。
彼の著作集のなかで、例えば、第48巻の『林道と山村社会』について、その目次を見てみましょう。シャーっと見てもらったらいいです。
I 林道
はしがき
一 林道の意義
二 国有林道の地元利用
三 伐採林業と林道
四 造林と林道
五 農村救済林道
六 個人 (会社) 林道
七 林道政策
八 林道布設にともなう諸問題
九 林道と森林組合、森林開発公団
II 林道とその効果
はしがき
一 高知県幡多郡十和村昭和地区
一 村の生産の変遷
二 林道改修経緯
(1) 林道開通以前の山地の利用
(2) 山林分割と炭焼き
(3) 林道改修
(4) 林道工事とその費用
三 林道のおよぼす影響
(1) 工事費の地元負担
(2) 林道の効果
(3) 村の経済事情の変化
二 静岡県磐田郡水窪町
一 町の概況
二 林道開通以前の交通と産業
三 材木流送
四 白倉川林道開設と経費
五 林道のおよぼす影響
(1) 林業経営の合理化
(2) 輸送状況の変化と木材、 林地価格
(3) 林道の効用
(4) コミュニティセンターの形成
(5) 奥地山村の変貌
(6) 国有林関連林道
三 和歌山県西牟婁郡中辺路町栗栖川
一 産業の変遷と土地移動
二 人工造林の発展
三 林道の開設
四 林道の経済効果
五 林道に対する要望
四 林道事業に付帯するもの
一 林道の性格
二 林道と経営指導
三 売手市場の確立
四 森林組合の強化
五 戦後林道政策
一 回顧
二 林道対策と林道利用
付表
Ⅲ 林道の投資効果
はしがき
一 林道開設の意義
一 安家川林道
二 白倉川林道
三 大道谷林道
四 五家荘林道
五 多目的林道
二 林道開設地区の経済基盤
一 奥地山村の経済状況
二 安家川林道区域
三 白倉川林道区域
四 大道谷林道区域
五 五家荘林道区域
六 奥地林道開設のおくれた事情
三工事の規模と地元負担
一 幹線林道
二 支線林道
三 僻地林道の不合理性
四 資源
五 経済的効果
一 経済的効果の問題点
二 安家川林道
三 白倉川林道
四 大道谷林道
五 五家荘林道
結び
IV 林道開設と地域開発
一 後進地域の事実認識
一 行きどまりと通りぬけ
二 山地の産物
三 特別地域開発と山村民
四 奥地林道の効果
五 山村の宿命
二 後進地開発のヴィジョン
一 山地における道と産業文化
二 道の利用価値を高める
三 安住の地たらしめよ
すごい細密ですよね。いくつか通ったことのある林道とかもあって、ええ、あんなところまでいったのかとか、感動してしまいます。
そして「後進地開発」というと、現代の目でいうと「経済至上主義」か、と思いますが、それは言葉遣いだけであって、「視点」は、「先進地から後進地を見る」のではなく、「後進地から、未来を見ている」のではないかなと、他の項目を概観しただけで分かります。
「コミュニティセンターの形成」とか、東日本大震災以降のことじゃないかと思いますが、60年前なんですよね。
考えている人は、考えてるんです。
そして、宮本常一の場合は、とても、当事者に近いところに視点がある。「~を見ている」のではなく、「~から見ている」のです。
これって、何らかの支援活動を長くやってたら経験するんです。中途半端な僕でもね。
生半可に分かった顔をしている学生さんとか、行政の人とか、もちろん社会人もですけど、「そんなやり方ではいけない」とか言ってくるのですが、実際、その人たちの考えていることをそのままやったらどうなるか、こちらは、まあ長年の経験で、痛い目にあってるんです。
だから、その人たちの考え方の通り進めれば、どうなるか分かるわけです。
これはええかっこではないですよ。
多くの失敗をしてきたからです。
「御高説はわかりました。では半年でもやってみてください。いや、3ヶ月でもいいですよ」という感じなんですよね。
宮本常一の「庶民の風土記を」という文章があります。これは日本のあちこちの地域の歴史や民俗を紹介した大著『風土記日本』の中に収められた一文であり、宮本は何のために歩いたのかを明確に表した文章です。
「一般大衆は声をたてたがらない。だからいつも見過ごされ、見落とされる。しかし見落としてはいけないのである。古来、庶民に関する記録がないからといって、また事件がないからといって、平穏無事だったのではない。営々と働き、その爪跡は文字に残さなくても、集落に、耕地に、港に、道に、あらゆるものに刻みつけられている。人手の加わらない自然は、雄大であってもさびしいものである。わたしは自然に加えた人間の愛情の中から、庶民の歴史を嗅ぎわけたいと感じている」
さて、こうの史代さん原作の映画『この世界の片隅に』が、異例のロングランとなり、巨大予算のハリウッド映画よりも、人々に観られた(今も観られ続けている)のは、原爆の悲惨さを直接描くのではなく、一人一人の日常の暮らしを淡々と描くことによって、「失われたもの」「奪われたもの」のかけがえのなさを、人のこころに鮮明に刻むことができたからです。
戦争のときだけ、かけがえのない暮らしは奪われるのではありません。病気やリストラやハラスメント、事故、漁師さんだったら、黒潮の蛇行などの自然の変化もそうでしょう。
普通の生活、特に、困難な暮らしを営む人々の、営々とした日常を、宮本常一は記録しようとしました。
福島に通い続けて思うんですが、反原発のデモも大事です(僕も国会前に行きましたから)。しかし、原発事故で、奪われたもの、例えば、戦後開拓で何もないところに入植し、「日本で一番美しい村」に認定され、自分ところにはない原発のせいで、その故郷を奪われた飯舘村の、人々の、「奪われた暮らし」こそが、一番の「反原発」だと思うんですが、どうでしょうか?
【解説】
宮本常一の場合は、とても、当事者に近いところに視点がある。「~を見ている」のではなく、「~から見ている」のです。
これって、何らかの支援活動を長くやってたら経験するんです。
なるほどなと、思いました。
勉強になります。
友岡雅弥さんのエッセイが読める「すたぽ」はお勧めです。
獅子風蓮