goo blog サービス終了のお知らせ 

獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

対話ブログ・ラストステージ:ふたたび前のスレッドに戻って その1

2021-08-01 01:58:09 | 対話ブログ

私なりに、事態の鎮静化を図るべく、場所を「獅子風蓮さんとの対話」に移して、シニフィエさんに呼びかけました。


●獅子風蓮(2021年2月4日 17:46)
獅子風蓮です。
法華講みかつのアラカン男性です。
コメントの承認、ありがとうございます。

最新スレッドでは、ロム専になったはずの部外者が怒りにまかせて、シニフィエさんの批判までしてしまい、お気を悪くしたことでしょう。その点はお詫びいたします。
なお、私のコメントを、一字一句修正せずに載せてくれたことに感謝します。

しかし、シニフィエさん、ここは考えどころですよ。
私の批判の中で、とくにハルキさんのコメント(2021年2月3日 16:22)を何の配慮もなく載せたことは、SGKMKパクリ事件の当事者である花子さんと、勇気をもって告発した砂糖さんの心をものすごく傷つけたことであると気が付きませんでしたか。
もし気が付かなかったというのなら、おそろしい鈍感さです。
よく考えて、花子さんと砂糖さんに謝罪した上で、ハルキさんにも警告を与え、その上で、ハルキさんのコメントを削除するべきです。
どうして、誰も、そのことを指摘しないのでしょうか。
やはり、シニフィエさんとその取り巻き連中の意見に沿わない内容のコメントをするのは怖いんですよね。
勇気をもってSGKMKさんのパクリの件を告発した砂糖さんは、本当にすごいと思います。

確かに、この対話ブログによって救われた人がたくさんいるわけで、このブログを長年運営してきたシニフィエさんには感謝している人がほとんどだと思います。私も、その点は十分に敬意を払ってきたつもりです。
でも、ひとたびシニフィエさんの意見に沿わないようなことを発言する人間がいると、まるで「仏敵認定」されたかのように取り巻き連中が、集中攻撃をするのは、どこかの団体みたいで、こわいです。

シニフィエさんには、客観的にご自分の振る舞いがどのように見られているか、信頼できる方に相談してみることをお勧めします。
本当は、私のようにシニフィエさんに苦言を呈することのできる人物は排除せず、そばにおくといいと思うのですが…
余計なお世話でしたね。
対話ブログが再開されるときは、私のような新参者や、ブログ主の意見に反することを勇気をもってコメントされる方を排除しない、一歩レベルの高いブログになることを期待しています。

さて、シニフィエさんは、

>鎌倉時代の日蓮本人をディスっているのではなく「日蓮本仏論こそ正しい仏教の教えであって、そのほかの宗教はみんな間違いだ」と言っているのがおかしいし、他人の信仰の対象をわざわざ否定するのはおかしい思っていると述べたのです。

と言われてますが、他の個所では、けっこう日蓮本人をディスってますよ。
たとえば、新スレッド(このスレッド)では削除されたシニフィエさんのコメント(2021年1月24日 03:21)の中でも、シニフィエさんは、次のように述べています。

>日蓮正宗や創価学会が言うところの日蓮に敬意を払うことはできません。話し相手が池田を人生の師匠と信じている学会員だとしてもその人には敬意を払いますが、だからと言って池田大作に敬意を払う気になどなれない私は人としておかしいのでしょうか。日蓮は悩乱坊主だし池田大作は極悪人だと思っていても言わないのが相手に対する思いやりなのでしょうか。わたしはそこまで人間ができていませんから、必要であるなら思ったことを正直にいうのはちっともおかしくないと思います。

他にも探せば、日蓮自身をディスっている個所は、普通にあると思います。

次に、シニフィエさんのこだわる「獅子風蓮さんは創価学会を宗教だと思いますか?」という質問ですが、私にはどうしてこうも白黒つけなければいけないのかよく分かりません。
創価学会中枢のやっていることは、会員を騙して金と票と時間を奪っていることですから、詐欺と言われてもしょうがありません。
その意味では「創価学会は宗教ではない」と私は思います。
でも、ゼロさんが最近のブログで書いていた「お婆ちゃんのご本尊様」という記事がありますが、この記事の中のお婆ちゃんのように、「創価信仰の中でも組織活動とは距離を置いて、純粋に信仰をされている方も」いるのです。
私の母のことは私のブログで書きましたが、戸田城聖時代に入信した狂信的な人でしたが、それでも創価信仰の中で死んでいったことは、母にとって幸せだったと思うのです。
そういう創価学会の中にあって、組織とは別に信仰レベルで救われている人は、一定数いるわけで、その意味では「創価学会は宗教ではない」とは、私には言い切れません。

同じくゼロさんのブログで、「創価学会は宗教ではない?【速報追記】」というのがあります。
これは、シニフィエさんのブログで、「創価学会は宗教ではない?」という議論が私との間で起きていることを踏まえての記事です。
一部引用します。

____________________________________
(前略)
公明党を批判などしたら
組織から疎まれて
場合によっては除名されるんですよね

これって

不思議ですよね?
おかしいと思いませんか?

個人の幸福のために
その根本的な宿命転換のために
仏法対話では無くて
選挙を応援するような組織
皆さんは
何の疑問も持たなくなっているんです

その視点から見ても
創価学会の本質は宗教ではありません
宗教は利用するための手段です

このことは
ブログでも書いてきたように
それは初めからです

ですが

創価学会本部の本質では無く
創価信仰を信じている会員にとっては
唯一正しいと信ずる信仰であって
宗教以外の何物でもありません

これは誰にでもわかる現実です

ここの前提を無視して
信仰を持っている人に対して
そのようなことを言ったところで

対話など1mmも進まないと
私は思います

その意味で
創価は宗教ではないと言う視点は
あくまでも覚醒して
創価学会の本質が見えた人たちの
最終的な視点ではないでしょうか?

ここ数日の
対話を求めてを読んでいて
元参加者として
個人的な意見を書きましたが

対話を求めてと言うブログを
応援する気持ちは変わりませんので
そこはご理解ください
_______________________________
引用終わり。

私の中でもやもやしていたことを上手くまとめてくれています。
ゼロさんありがとうございました。

最後に、旧スレッドからこのスレッドにコメントを移したことについて前後関係が分かるように時系列で再アップしてほしいとお願いした件。
無視されていたわけではなかったのですね。
てっきりスルーされたと思っていました。
ブログ管理でお忙しい中、せかしてしまって申し訳ありません。

私でよかったら、協力します。
引用始まり。
______________________________
●2021年1月24日 02:45のsignifieさんのコメント              
獅子風蓮さん、たくさんコメントしていただいてありがとうございます。
大変な量だったので驚きました。
うわっ長い!と思ったら「白バラ通信 パンドラの箱」の高倉さんのブログをコピペされていたんですね。高倉さんは9年前に私がこのブログを始めるきっかけを作っていただいた方で、とてもお世話になっています。2年半前にこのブログが突然閉鎖されるというアクシデントにあったときも、しっかりとフォローしていただいた方で、このブログはいつもご覧になっていただいていますし、コメントもしていただいています。「東村山女性市議転落死事件」も「白バラ通信 パンドラの箱」もこのブログの読者は大抵読まれておられるので、よそ様のブログを無断で引用せずとも、それを前提に話されて結構です。
獅子風蓮さんのコメントを読ませていただいて感じるのは、獅子風蓮さんは良し悪しは別にして創価学会を宗教だと考えているのではないかと思いました。確かに獅子風蓮さんは創価学会を言葉では否定しているようですが、戸田や池田をどこか肯定しているというか、そこになると突然トーンが落ちてしまうようですね。だから獅子風蓮さんが創価学会をまだ宗教だと思っているのではないかと思って「獅子風蓮さんは創価学会を宗教だと思っているのですか」とお尋ねしたんです。もしかしたら「創価学会の活動をしてプラスになる人がいれば、それはそれでいいんじゃないか」と考えていらっしゃるのかなと思った次第です。もっと言うなら「創価学会はひどい宗教なので、教義が同じ日蓮正宗に移ったけれども、そこも熱心に信じるほどの魅力がないと感じている」といった感じでしょうか。つまり創価学会も日蓮正宗も良し悪しは別にしても宗教であることには変わりがなく、今後の動き次第では良い宗教に変わることができるのではないかと思っているのかなと思ったのです。もしそうであれば、私やここにいらっしゃる多くの創価経験者で「創価は宗教ではない」と気づいて脱会した方や、事情があって脱会できないで苦しんでいらっしゃる方とは、決定的に創価に対する考え方が違っていると思いました。
ただ獅子風蓮さんの話が多岐にわたり、一貫性がないので判断に苦しみます。
曽根俊矢さんやSGKMKさんに対しても「理解できます」「同感です」と言われていますが、獅子風蓮さんのコメントを読むと、本当にそうなのかな?とクエスチョンマークが出てきてしまうんです。
私の文章は長くてまどろっこしくて読みずらいとは思いますが、獅子風蓮さんの文章は私以上に理解しがたいです。正直申しまして、獅子風蓮さんのブログも、全部読んだわけではありませんが、結局何が言いたいのか、何をどう思っているのかがわかりませんでした。だからこそ「獅子風蓮さんは創価学会を宗教だと思っているのですか」とお尋ねしたんです。そしてたくさんコメントしていただきましたけれども、それでもわかりません。
レヴィ=ストロースや森鴎外やヴィトゲンシュタインの話は、私も知らないわけではありませんが、ここでそれらの話をされると返って話の内容をぼかしてしまうように思います。
おそらくそう感じているのは私だけではないだろうと思いますので、互いが理解をするためにも、単刀直入にお話をしていただけると嬉しいです。
大変失礼な言い方になってしまって恐縮ですが、もう少し言いたいことを整理してコメントしていただけるとありがたいです。
例えば最後にヴィトゲンシュタインの言語ゲームの話になぞらえて、
『私の場合で言えば、日蓮正宗・法華講という集団の中で、「日蓮大聖人も日寛教学も大御本尊も日蓮正宗も正しい」というルールに従って、信仰をする限り、心の安心が得られるということです。もし、そのルールが社会的にまずいと思ったら、ルールの変更を提案します。それが受け入れられなければ、レッドカードをもらうだけです。』
と書かれていますが、獅子風蓮さんはそのことについてどう思っているのかが読んでいてわからないのです。「ルールに従って信仰をする中で、そのルールがまずくなったら変更すればいい」ということに対して獅子風蓮さんは賛同するという意味でヴィトゲンシュタインの理論を引用されたのでしょうか?もしそうであれば「創価学会も日蓮正宗も時代に即したルールの変更をすればいい宗教になる」と考えているのかなと思ってしまいます。そうなると獅子風蓮さんは創価学会を良し悪しは別にしてもいい宗教に変化する可能性のある宗教であると考えていることになるからです。
何度も同じ質問をして申し訳ありませんが、単純に「獅子風蓮さんは創価学会を宗教だと考えているのでしょうか?」この質問に単刀直入に答えていただかないと、話が先に進まないんです。このブログの皆さんとの相互理解のためにもよろしくお願いします。

●2021年1月24日 03:21のsignifieさんのコメント
創価学会では日蓮正宗と同じく日蓮を末法の御本仏だということを前提にしている点で、世界中の宗教とは決定的に孤立した教義であるところが特徴だと思います。そして日蓮正宗は極端に特殊な教義をもつ宗教であり、その特殊性を道具にして会員からお金を巻き上げるためにできたのが創価学会だと私は思っています。私の考えとしては良い悪いは別にして日蓮正宗はかろうじて宗教ではありますが、創価学会は戦後に戸田が一から始めたときから完全に詐欺集団であり、日蓮正宗の教義は単なる詐欺の道具に過ぎなかった。だから創価が日蓮正宗から破門されても解散することなく、教義をガラリと変えてしまってでも会員からお金を巻き上げることをやめずに今に至っているのは、創価学会が宗教ではなく詐欺だという証拠でもあります。しかし破門されてからの創価に疑問を抱く会員が続出して会員は減る一方で、もはや再生不可能な状況にまで追いやられているというのが現実です。だから「もし創価学会が心を入れ替えて、会員のための組織になることができれば」などという仮定はありえません。それは例えるなら暴力団が心を入れ替えて一般の人たちのために尽くすような慈善団体になったらいいじゃないかぐらいの途方もない仮定に過ぎないということです。意味のない仮定です。創価は初めから宗教などではない。最初は日蓮正宗にパラサイトして、それが限界にきたら日蓮正宗を徹底的に悪者にして、教義を変更して会員を騙し続けてきました。

●2021年1月24日 05:40のsignifieさんのコメント
どなたかがおっしゃっておられましたが、創価学会が教義を変更し、邪宗を他宗と言い換えて他の宗教を否定しなくなったり、強引な折伏をしなくなったのは、創価が過去に会員にさせてきた人権無視の行いを反省して改めたのではなく、そんなことが通用しなくなっただけの話です。改善策ではなく、それでは会員を騙せなくなったから止むを得ずソフト路線に切り替えて会員がずっと騙されてくれるようにしたまでのことです。
そもそも日蓮の教義の特徴は、人間の不幸の原因は間違った宗教にあるとするところです。同時に自分(日蓮)の考えだけが正しいというとんでもなく独善的な考えが特徴で、中でも日蓮正宗では仏教なのに教祖である釈迦をさしおいて自分(日蓮)こそが世界を救う力のある末法の御本仏だと言ったことになっています。それが本当だとしたら、私に言わせれば日蓮はただの悩乱坊主です。
こう言うと獅子風蓮さんから「相手が信じている対象について、もう少し敬意を払った表現を」と言われそうですが(笑)、私はそれはちょっとおかしいんじゃないかと思います。話をしている相手に敬意を払うのは人として当然だとは思いますが、その人ではなくてその人が信じている対象、つまり創価や日蓮正宗で言えば御本尊だったり日蓮だったり池田大作だったりするわけです。幸福の科学の信者にしてみれば、全知全能の神の化身であるところのエル・カンターレ大川隆法その人になります。オウム真理教の信者にとってはグルである麻原彰晃になります。私は少なくとも大川隆法や麻原彰晃に敬意を払うことなどできません。同様に、日蓮正宗や創価学会が言うところの日蓮に敬意を払うことはできません。話し相手が池田を人生の師匠と信じている学会員だとしてもその人には敬意を払いますが、だからと言って池田大作に敬意を払う気になどなれない私は人としておかしいのでしょうか。日蓮は悩乱坊主だし池田大作は極悪人だと思っていても言わないのが相手に対する思いやりなのでしょうか。わたしはそこまで人間ができていませんから、必要であるなら思ったことを正直にいうのはちっともおかしくないと思います。
いつも言うことですが、学会員さんが創価を信じていることに対してあれこれいうつもりはありません。創価に少しでも疑問を持っていて悩んでいる学会員さんに対しては「自分でよく考えた方がいいんじゃないですか」と言いたいのです。自分で考えたら、創価は信じるべきものではなかったと自分でわかったからです。自分で考えない人にいくら言ってもわかりっこないということがこのブログを通じてもわかったし、かつての自分も自分で考えることを避けていたから50過ぎまで創価が詐欺だと気づかなかったとわかりました。

●2021年1月24日 09:07の曽根俊矢さんのコメント
曽根俊矢です。

シニフィエさん。いつもありがとうございます。

獅子風蓮さん。
ご丁寧に私に対するコメントにお応えしていただき感謝と、獅子風蓮さんの誠実なお人柄に敬意を持っています。
コメントを拝見して率直に感じた事は、創価の中枢に同窓の方がいらっしゃって、その方の身を案じて創価に未来があって欲しいと考えていられるのかなぁと。
大変恐縮ながら、獅子風蓮さんの優柔不断な部分がそんな所に出ていて、スタンスがよくわからない、獅子風蓮さんの考えている事を理解できかねるので誤解が生じてくると考えます。
私のコメントに対し獅子風蓮さんは
〉少し誤解があるようです。
私は、現在の創価学会の組織は、学会員の貴重な時間とカネの搾取のシステムの上に成り立っており、公明党という政治勢力を支配することで、日本の政治をもゆがめ、社会に害毒を与える存在でしかないと思っています。
ですから、シニフィエさんから創価学会に未来はあるかと問われて、
「結論、今のままでは、創価学会に未来はありません。」
と、答えたのです。

との事ですが、この今のままでは、という一言に獅子風蓮さんの創価に対する考え方が現れていると見ています。
煮え切らない、どのように考えていらっしゃるのか、どっちとも取れるような発言に誤解がついてくると私は感じています。
そして、宗教として創価は生まれ変わっていい組織運営をするべきだとの考えも読み取れてしまうので、創価は癌のような組織だから取り除かないと社会に悪を撒き散らし続け、それにより苦悩する人々が増えるだけではないかと私は言いました。
日蓮信仰で心が救われる人が居るからいいという考えは、非常に危険だと考えています。
日蓮正宗も創価と手を組み発展した経緯から、社会に非を認め謝罪することから、再スタートしなければならない事があるはずだと考えますが、そこはスルーしている姿勢が信仰者としてあるまじき事だと思います。
私の考えを書こうと思いましたが、シニフィエさんのコメントと同じ事の繰り返しになるのでやめておきますね。
シニフィエさんが私の言いたい事を言ってくださっています。

獅子風蓮さんを悪く思うわけでは無いとご理解ください。

●2021年1月25日 19:20の獅子風蓮のコメント
曽根俊矢さん、コメントありがとうございました。

獅子風蓮です。
連投をお許しください。
曽根俊矢さん、コメントありがとうございました。

〉コメントを拝見して率直に感じた事は、創価の中枢に同窓の方がいらっしゃって、その方の身を案じて創価に未来があって欲しいと考えていられるのかなぁと。
大変恐縮ながら、獅子風蓮さんの優柔不断な部分がそんな所に出ていて、スタンスがよくわからない、獅子風蓮さんの考えている事を理解できかねるので誤解が生じてくると考えます。

前にコメントした内容ですが、繰り返します。
私は、現在の創価学会の組織は、学会員の貴重な時間とカネの搾取のシステムの上に成り立っており、公明党という政治勢力を支配することで、日本の政治をもゆがめ、社会に害毒を与える存在でしかないと思っています。
ですから、シニフィエさんから創価学会に未来はあるかと問われて、
「結論、今のままでは、創価学会に未来はありません。」
と、答えたのです。
創価学会の職員、幹部の多くは、搾取のシステムの存在に気づきながら、その中で甘い汁を吸うことを考えているんだろうと思いますが、中には、そういう詐欺的なシステムに気づいて苦しんでいる良心的な方もいるのではないかと思っています。
そういう創価学会の中の良心的な部分に向かって、創価学会の犯罪性を認め、世間に公表し、反省することを期待したのです。
もし、万が一にも創価学会が再生することがあるなら、そういう内部からの動きにかけるしかないと思っています。
一例として「東村山女性市議転落死事件」についてとりあげましたが、高倉教授のブログの引用を長々としてしまい、シニフィエさんをはじめ、多くの方には煩わしかったことと思います。
でも、はじめてこのブログの内容を読んだ方は、どう思われましたか。
こんなひどいこと、許していいのか、と思いませんか。
なんとか、事件の解明に協力したいと思いませんか。
実は、朝木さんの娘の朝木直子さんが矢野穂積氏と共著で書いた『東村山の闇』には続編があることを朝木直子さんのホームページで知りました。この本『東村山の闇Ⅱ』は普通の書店では取り扱っていないようで、ホームページから注文しました。
その代金支払いなどのための通信で朝木直子さんに高倉教授のブログのことなど知っているか聞いてみたところ、当然すでにご存知でした。
事件の解明にはまだまだ壁が高そうでしたが、これからが頑張っていくということでした。
私も、元創価学会員として、何かお役に立てることがあればお役に立ちたいと約束しました。
そのような事情もあり、このブログの趣旨からは外れるのを承知で、創価学会幹部の野崎至亮氏や東村山近辺の創価学会員で、事件の真相に迫る事実をご存知の方に名乗り出るように呼び掛けることをしました。
創価学会の過去の犯罪はきっちり司法に裁かれて、創価学会組織の闇が暴かれるべきです。
もし創価学会の未来があるとすれば、その後の反省と謝罪の上にたって、内部の良心的な部分が覚醒することだと思います。

〉日蓮信仰で心が救われる人が居るからいいという考えは、非常に危険だと考えています。
日蓮正宗も創価と手を組み発展した経緯から、社会に非を認め謝罪することから、再スタートしなければならない事があるはずだと考えますが、そこはスルーしている姿勢が信仰者としてあるまじき事だと思います。

私にそんなこと言われても……
という感じです。
創価学会と宗門の争いは、結局は信徒とカネの奪い合いという面がありましたから、宗門にもいくらかの非があった(一部の僧侶が贅沢な暮らしにどっぷりとつかっていたことなど)ことは私も認めますが、社会に対して謝罪するほどのことでしょうか。
平成3年からの創価学会と宗門の争いでは、それこそ創価学会が広宣部などが中心になって池田氏の号令のもと行なってきた謀略的な行為の方を、まずは宗門に謝罪するべきではないでしょうか。

少し冷静になってください。
なんでもシニフィエさんの意見が絶対正しいと、そこに依存することは良くないと思います。
曽根さんが自分の頭で考えて自分の言葉で発したコメントには、誠実に対応していきたいと思います。

〉私の考えを書こうと思いましたが、シニフィエさんのコメントと同じ事の繰り返しになるのでやめておきますね。
シニフィエさんが私の言いたい事を言ってくださっています。

シニフィエさんのブログのコンセプトは、「自分の頭で考えろ。他人のいうことをむやみの信じるな。このシニフィエのこともむやみに信じるな」だったと思うのですが……

獅子風蓮でした。

●2021年1月25日 23:47の曽根さんのコメント
曽根俊矢です。

獅子風蓮さん。
真正面から誠実に向き合って頂き、私は凄く嬉しく思っています。ありがとうございます??
先のコメントで、獅子風蓮さんのお考えが少し理解できたように感じました。
私の感情的な所も見抜かれていて、理解してもらう事で腑に落ちる事は、私の性分です。
自分を認めてくれる人には、尽くしたいと思う承認欲求の強い人間だと自身を認識しています。
だから、創価にも騙されたのだと自負しています。悪い事だと思いません。

獅子風蓮さんの仰る
意見の違いは違いとして残してもいいのではないでしょうか。
「現在苦しんでいる創価学会員を救いたい」という思いは同じなのですから。
もっと楽しくやりましょうよ。
という意見に賛同しています。
その上で、一つ確認して、教えて頂きたい事があります。
私がいいたい事をコメント欄に打ち込み、確認したら、シニフィエさんのコメントといい回しは多少違いますが、言っている内容は同じと認識して、シニフィエさんのブログをシンプルに読みやすくする為に、シニフィエさんの言っている事が私の言いたい事と、コメントを訂正するのは、私はシニフィエ教の信者のようになってしまうのでしょうか?
心外でしたので、率直にコメントしましたが、獅子風蓮さんに不愉快な感情を与えてしまうのを承知で、恐縮ながらストレートにお尋ねさせて頂きます。
この部分のコメントは、安易だと思いました。
傷つきました。
私は、シニフィエさんの意見に100%賛同するものではありません。
違うと思う事は、違うと認識し自身の視野を広げるネタにならないかと考えます。
ここにコメントされる意見を、貴重な時間を割いて真剣に向き合うのは創価に騙された反省からです。
冷静になってくださいと、獅子風蓮さんが仰る通り、ブログをアップした後も、ここにコメントした後も、冷静ではない自分に嫌悪感を持っています。
分かっちゃいるけどやめられないのが、私の本質です。
不愉快な思いを与えて、申し訳ありませんでした。
今後も、沢山お話をしたいと思っています。
宜しくお願い致します。

●2021年1月25日 23:51の曽根さんのコメント
曽根俊矢です

いい忘れた事を追加で連射失礼致しますm(_ _)m
獅子風蓮さんの事を優柔不断と言ってしまい私は謝りたいと思います。
優しさなんだと受け入れて、獅子風蓮さんの今後のコメントを拝見していきます。
生意気ですが、このようにしか表現の方法を知らない曽根を許して下さい。

_______________________________________
引用終わり。

どうですか?
私がなぜ曽根さんに対して怒ったのか、分かっていただけたでしょうか。
「広宣部員」として宗門にさんざん悪いことをしてきて、宗門についてまずは謝罪しなければならない立場の曽根さんが、シニフィエさんの発言の直後に「日蓮正宗も創価と手を組み発展した経緯から、社会に非を認め謝罪することから、再スタートしなければならない事があるはずだと考えます」などと発言したのはおかしいと思い、曽根さんに向かって「少し冷静になってください」と言ったのです。
その辺の事情は、すべての発言を時系列で見てみないと分からないと考えたのです。

長々とコメントしてしまいました。
お許しください。

ぜひこのスレッドは残してください。
御願いします。

獅子風蓮でした。



最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown ()
2021-08-01 06:25:23
いつも思うんですが、創価の組織上の問題と、個人が一つの教えを信じて自分のモチベーションを保つ信仰心をいっしょくたにするとややこしくなるなあと思います。
組織上の問題とか、人間関係なんてどんな団体でもある。巨大になるほど起こってしまうというか。

私は「それはそれ、これはこれ」と今でも思っているけど、こういうのは最初は身勝手なチョイス思考みたいに言われて、なかなか理解してもらえない。
アンチというのは、何もかもをひとまとめにして全否定するほどスッキリするところがありますからね。
でも「チョイスなんて」と言う人に限って、人間性に素晴らしい人もいたとか、こういうところはその時の自分にはプラスに作用したとか、必ず後になって言うんです。当たり前ですよね。
「それはチョイスじゃないのかーー?」とツッコみたくなりますが(笑)
私みたいに物事をはっきりしたいタイプでも、いや、だからこそ「グレーをはっきりしたい」「マーブルをはっきりしたい」と思ってしまいます。
「白黒の主張ではなく、曖昧こそをはっきり言う」
これは価問題を書いている時ぶち当たった個人的なテーマなんですが…

獅子風蓮さんを見て、これが希少な方だなあと思った理由の一つでした。
返信する
Unknown (shishi-fu-ren)
2021-08-02 13:33:20
海さん、いつも貴重なご意見、ありがとうございます。

>私みたいに物事をはっきりしたいタイプでも、いや、だからこそ「グレーをはっきりしたい」「マーブルをはっきりしたい」と思ってしまいます。
「白黒の主張ではなく、曖昧こそをはっきり言う」
これは価問題を書いている時ぶち当たった個人的なテーマなんですが…

「それはそれ、これはこれ。
問題を一緒にしないでほしい」
私も、いつもここにこだわります。
海さんと一緒ですね。

獅子風蓮
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。