獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

友岡雅弥さんの「地の塩」その24)底辺の地べたに立ちたい

2024-07-07 01:55:58 | 友岡雅弥

友岡雅弥さんは、執筆者プロフィールにも書いてあるように、音楽は、ロック、hip-hop、民族音楽など、J-Pop以外は何でも聴かれるとのこと。
上方落語や沖縄民謡にも詳しいようです。
SALT OF THE EARTH というカテゴリーでは、それらの興味深い蘊蓄が語られています。
いくつかかいつまんで、紹介させていただきます。

 


カテゴリー: SALT OF THE EARTH

「地の塩」という意味で、マタイによる福音書の第5章13節にでてきます。
(中略)
このタイトルのもとに書くエセーは、歴史のなかで、また社会のなかで、多くの人々の記憶に刻まれずにいる、「片隅」の出来事、エピソー ド、人物を紹介しようという、小さな試みです。


Salt43 - キレイになっていく街の陰で

2018年11月5日 投稿
友岡雅弥

福島の飯舘村・浪江町に行った帰りに、久しぶりに横浜の寿町と、東京の山谷に寄ってきました。
寿町、山谷は、大阪の釜ヶ崎と並んで、日本三大寄せ場(日雇い労働者の求人・求職の場所)、日本三大ドヤ街(日雇い労働者のための日払いの安宿)と呼ばれていましたが、規模が、釜ヶ崎に比べて、何分の一とかの大きさ(それだけ、釜ヶ崎が突出して大きい)なので、釜ヶ崎より、先に、「日雇い労働者の町」から、「一人暮らし高齢者の住む福祉の町」に変わっていました。

ところが、それが、さらに変わっていきつつあるのです。

つまり、今までその地域に住んでいないような人向け、一般向けのマンション建設が進んでいるのです。外国人観光客向けのホテルの新築も。

今までのドヤを改装した、外国バックパッカー向けの安宿への変化は、10年ほど前から、釜ヶ崎、寿町、山谷ともにありました。

しかし、ほんとにこの二、三年、安宿ではなく、今までのドヤを壊して、デザイナーズ・みたいなのが立ち並ぶようになってきたのです。

ただし、生活保護の家賃扶助を利用するドヤの業態転換した形のアパート(ドヤは宿泊施設、アパートは通常の住宅なので、法律や安全基準が違うのです。だからいろいろの書類を出したり、基準に合う安全設備を換えたりします) は、……

ある意味、安定した収入があるので、ドヤのオーナーさんは、なかなかそのドヤを手放しません。

そこで、釜ヶ崎では、なぜか、火事になったドヤが、次々と新しい、デザイナーズホテルとか、デザイナーズマンションや、デザイナーズマンションと見紛う高齢者施設へと転換していってます。

それから、将来の転用を考えて、カラオケ居酒屋が次々と、ほんとに「雨後のタケノコ」のように出来てます。人件費を抑制するために、接客するのは、中国人女性、店舗開店費用を抑制するために、みんな同じつくり。看板も、微妙に名前が違うだけ。

こうして、朝早く(4時半とか5時です)から、仕事にいくため、世間の先入観とはまったく逆に、仕事から帰ってきて、お風呂に入って、晩ご飯とともに、ほんの一杯のお酒だけしか飲まない、とても「健康的」だった釜ヶ崎が、カラオケ居酒屋が林立する、「世間の先入観に合わせた」町へと変貌してきたのが、この二、三年でした。

釜ヶ崎の広さは、0.6平方km。こんな狭いところにJR、私鉄の駅が11コもあります。

だから、ここは、維新の会の府政、市政となってから、黒い服を着たサラリーマンさんたちが、うろうろとうろつき、土地を物色する町に、ここ数年でなってしまいました。

小学校は全部無くなり、その一つの運動場には、マンションが建設中です。

――というように、この数年の釜ヶ崎の変化を目撃してきたわけですが、今回、三、四年ぶりに寿町、山谷に行って、まったく同じことが進行しているのに驚きました。

外国人観光客向けの施設としてのドヤの「活用(?)」は、ピークを迎え、ここを「普通の人」が住む「普通の町」へと変えて行こうという、「圧力」があるのをひしひしと感じました。

なんと、寿町では、日雇い労働者の仕事のマッチングと、医療、保健、保険などの支援を行っていた行政の「労働センター」が取り壊され!

一応、新しい、クールな「労働センター」が建つみたいです。

釜ヶ崎でもそうです。あの威容を誇る、巨大な「労働センター」まもなく取り壊されます。

市側は、いや、新しい労働センターが、また建つから、と言うのですが、だいぶ大きさは狭くなりそうです。

巨大なコンクリートの塊である、今の労働センターが取り壊され、新しい労働センターができるまでには、何年もかかります。その間は、「狭いけど、南海線の高架下に仮設の労働センターを作るから」と、行政は言ってるのですが、東日本大震災と同じく、高齢者に、この「数年の仮設」はキツイです。

寿では、実際、手厚い支援で有名だった寿学童保育に通っていた子どもたちは、みんな寿にいることができなくなり、「寿っ子」は、ほぼいなくなりました。

よく考えると、釜ヶ崎は、成り立ちからそうでした。

もとは100年ほど前、当時、東京よりも人口が多かった大阪の南端にあった、「長町」という巨大スラムが、大阪の市域の拡大により、住民の強制的立ち退きがあり、そして、まだ大阪市域ではなかった、今の釜ヶ崎の地に、長町スラムの住民が掘っ立て小屋を建てたり、木賃宿に住みつくことになったんです。

この長町スラムの立ち退きは「直接的立ち退き」と言われるものです。

でも、今、釜ヶ崎、寿町、山谷で進行しているのは、「間接的立ち退き」もしくは、 「排他的立ち退き(exclusive eviction) 」と言われているものです。

「排他的立ち退き」の本質は、exclusive ということばに象徴されます。「差別的」 と訳してもいいでしょう。

exclusiveの反対は、inclusive包容的、包摂的、他を排除しない、という意味です。

安い公営住宅が民営化し、家賃が高くなる。家賃を払えない人が、「自然と」出て行かざるをえない。そうすると、仲間がいなくなり、コミュニティが壊され、人は孤独な存在となる。精神的な孤独を味わうようになる。


そこに、おしゃれなカフェとか、 デザイナーズ・ホテルができる。

一部に、閑静な住宅地ができる。

どんな気持ちになりますか?

孤独感、疎外感は、ますます深まるでしょう。


「いや、強制はしてない。あいつらは、自分の意志ででていったんだ」
と、表面を見ただけの人は言うでしょう。

出て行かざるを得ない、こころの孤独、疎外感を感じないのです。

そんな世知辛い社会は、いやですね。

都市計画学者のStacey Sutton(ステイシー・サットン)は、
EDxNewYork2014で、こう語りかけました。

「(ジェントリフィケーションは)自然な変化ではないのです」

「規制などを活用することも出来ますが、大切なのは私たちが何に価値を置き、誰を尊重し、どのように行動したいかです」

また、ブレイディ・みかこさんも、こう言ってます。

かつてわたしが「底辺託児所」と呼んでいたアニーの託児所は、実は底辺どころか大変にハイレベルな幼児教育施設だったのである。

これは英国という国の底力である。ここには底辺を底辺として放置させてはいけないと立ち上がる人が必ずいる。地べたで何かをしようとする優れた人々が出てくるのだ。

資本主義社会にあっては、優れた能力や経験を持つ人は、それを活かして相応の報酬を受け取れる方向に進むのが通常ではないか。しかしこの国にはそれに逆行するかのような人々がいて、底辺付近のコミュニティに行くと、「なんでこんな人がこんなところに」という人々が働いている。

――ブレイディ・みかこ『子どもたちの階級闘争 ブロークン・ブリテンの無料託児所から』(みすず書房)

私たちも、 底辺の地べたに立ちたいものです。

 

 

 


解説
私たちも、 底辺の地べたに立ちたいものです。

同感です。


友岡雅弥さんのエッセイが読める「すたぽ」はお勧めです。

 


獅子風蓮