獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

妙法の万葉集:友岡雅弥さんの言葉 その10

2023-05-29 01:47:51 | 友岡雅弥

師弟不二ARCHIVEより、引用させていただきました。
このインタビューが、友岡雅弥さんの思想を知るのに、一番の近道だと思ったからです。


投稿者:京都乃鬼 投稿日:2019年 4月13日(土)06時04分43秒   通報
京都乃鬼新聞
2019-4-12

特別企画
=妙法の万葉を紡ぐ=

「妙法の万葉集」(友岡雅弥氏の証言編)

第10回(※印は弊社解説)

当然、学会の誰も池田先生自身を黙らせる事なんて出来ませんよね。

でもね、先生のスピーチチームや周辺の人々を執行部の息のかかった者に交代させればどうなりますか?(笑)

執行部は具体的にどうしたかと言うとね、それまでのスピーチ原稿は、まず先生からのご指示がありまして、本校正があり、スピーチチームで資料などを用意し、海外の講演も含め細かいチェックが入り、という風にやっていたんですよ。

ところがこの時期から、今までのスピーチチーム員が交代させられていったんです。

結論を先に言うと、そこで「池田大作を黙らせる」為に暗躍したのが、丹治正弘(※2008年に副会長になるが、潮出版社絡みで多額の使い込みなどが発覚して2009年秋に解任、編集局長も外された人物)だったんです。

この丹治という男は、元々は本隊随行(※池田先生に随行する記者)をやっていたんですがね、よく先輩記者から「なんだこの原稿は!会員の胸に響かないじゃないか!」等と叱責されていましたね。期待されたからこそ厳しくされたんだと思うんですが。

しかし、やがて丹治は先生の随行記者を外されてしまうんです。

実はある時、先生が「小泊と丹治は反逆者の目をしている。二人を本隊マークから外せ」とおっしゃったんで二人が外されたんですが、当時の丹治はこの先輩記者を逆恨みしたりしていましたね。

それで、丹治は何をするようになったかというと、聖教新聞の宗門対策の紙面座談会チームに入った。
これが一つのポイントなんです。

あの宗門の坊主の実態を暴いた座談会記事のチームです。
この新聞の紙上座談会というのは、実際に座談会がされているのではなく、このチームが書いているんです。
ある意味架空座談会ですね。

たまに幹部が円卓を囲んで如何にも座談会しているような写真が掲載されますが、これはダミーです。

当時、宗門座談会チーム(※ダーティーワークチーム)は、全国の広宣部を利用して、寺の住職を尾行したり、寺のごみ箱をあさったり、御講の録音をしたり、そうして集めた情報を聖教新聞の紙面座談会で書いていました。

この宗門座談会チームのトップが佐藤浩(現在副会長)でした。
二人は早稲田大学のひとつ違いの先輩後輩にあたる関係でしたね。

(※丹治が本隊マークを外された1995年前後の時代背景は、
1994年5月に四月会が結成されて、村山内閣、橋本内閣は前出のように自由新報などにより徹底した池田先生の個人攻撃を展開した。)

(※この時期、佐藤浩氏は全国男子部長、丹治氏が男子部教育室長であり、彼らは裏仕事としてこの自民党対策もしていた)

(※電車の中吊り広告を出す事が出来る月刊誌「第三文明」を利用し、通常号に加えて、臨時増刊号を毎月のように出して、自民党からの言論攻撃に対して論陣を張った。)

(※臨時増刊号は1995年2月から1996年9月までの間で12冊発行)

(※この「第三文明」を使った言論の攻防戦を実質的に仕切ったのが丹治氏であった。)

(※ここから始まった佐藤・丹治一派と第三文明社の癒着が淵源ではあるが、直接的には、月刊誌「潮」(潮出版社)の「池田大作の軌跡」の記事を書いた事が、巷で噂されている「二重給与問題」「9年間で5千万円の飲食代タカリ事件」等につながっていく。)

つづく

提供は
敵からは恐れられる
味方からも怖れられる
京都乃鬼新聞社でした。


解説
学会の誰も池田先生自身を黙らせる事なんて出来ませんよね。

でもね、先生のスピーチチームや周辺の人々を執行部の息のかかった者に交代させればどうなりますか?(笑)

執行部は具体的にどうしたかと言うとね、それまでのスピーチ原稿は、まず先生からのご指示がありまして、本校正があり、スピーチチームで資料などを用意し、海外の講演も含め細かいチェックが入り、という風にやっていたんですよ。

ところがこの時期から、今までのスピーチチーム員が交代させられていったんです。

なるほど、こういうからくりで池田氏の口を黙らせることができたのですね。
でも、そもそもスピーチにさいしてゴーストライターに原稿を書かせるという体制を池田氏が作ったことがいけなかったのではないでしょうか。


それで、丹治は何をするようになったかというと、聖教新聞の宗門対策の紙面座談会チームに入った。
これが一つのポイントなんです。

あの宗門の坊主の実態を暴いた座談会記事のチームです。
この新聞の紙上座談会というのは、実際に座談会がされているのではなく、このチームが書いているんです。
ある意味架空座談会ですね。

たまに幹部が円卓を囲んで如何にも座談会しているような写真が掲載されますが、これはダミーです。

当時、宗門座談会チーム(※ダーティーワークチーム)は、全国の広宣部を利用して、寺の住職を尾行したり、寺のごみ箱をあさったり、御講の録音をしたり、そうして集めた情報を聖教新聞の紙面座談会で書いていました。

あの薄汚い言葉が乱舞する聖教新聞の「紙面座談会」というのは、こういう風に作られていたのですね。
池田氏に気に入られようと、丹治氏らがハッスルしたということでしょうか。
でも、それにのせられて、宗門攻撃にハッパをかけつづけた池田氏には、最大の責任があるでしょう。
友岡さんは、そこはスルーします。


獅子風蓮