■の文章は、シニフィエさんの対話ブログからの引用です。
(私はシニフィエさんの主張に必ずしも賛同するものではありません)
■創価が詐欺でなくて何でしょう? 投稿日: 2016年4月11日
創価学会新三大秘法「創価脳」「創価シャッター」「創価スイッチ」につづいて、前スレでモニカさんがおっしゃった「チョイス学会員」という言葉が定着しそうですね(笑)
チョイス学会員というのは、めんどくさい学会活動はしないで、「世界で唯一の正しい宗教を知ってるオレって素敵だろ」って悦に入ってるだけなんですよね。彼らにとってはもうそれだけで満足なんです。真面目な学会員とは違って、自分の都合のいいようにやるだけだから、辛い思いもしないし、理不尽なことも言われないから創価自体に対して疑問も持たない。さほど組織からも期待されていないし、されても困るから深追いはしない。だから例えば「公明党のやってることはおかしいと思うから支援しないと意思表示のできるオレってかっこいい」って、やはり自分に酔ってる。学会員というより単なる「自分教」なんでしょう。でも実際は創価からいいように飼い慣らされていることに気づいていない。創価にとっては公明党を支持しなくても新聞取ったり座談会に出て来ればそれでOKなんですよ。自分に酔いたいがために学会員のふりをしているチョイス学会員。騙されていることに気づいていないという意味ではバリ活学会員と同じです。
真面目な学会員だったら、上からの指導の通り「ネットはデマ」というのを信じてネット上にいくらでもある創価の批判なんか見ないでしょうし、そんな暇も余裕も気力もなくなるほど活動させられていますからね。チョイス学会員は面倒な活動はしませんからネットを見る暇も余裕もある。でもそれはそれで創価の手の内なんですよね。それぞれに桜梅桃李で(笑)創価に貢いでくれれば創価としてはしてやったりなんですよ。別にみんながみんな同じように信じ込んで、同じように高額財務をさせようとしてるんじゃない。それぞれに騙されてくれればそれでOK。バリ活もいればユル活もいれば非活もいて、非活をどうやってユル活にしていくか、ユル活をどうやってバリ活にしていくかという課題(使命とたぶらかされる)を与えて、一部が超バリ活になってくれればそれでいいんですよ。そうした構図が崩れない限りは、毎年莫大な財務が組織の頂点に転がり込んでくる。そこそこアンチも混ざった方が全体のガス抜きにもなっていいんでしょう。みんな結局騙されてるってことです。どんな形であれ創価に関わってるということは、詐欺団体創価を支援してるってことになるんです。チョイス学会員もいいように騙されていて、ただただそのことに気がつかないだけです。
だからこそ「静かに創価を去ること」。これがいちばん創価崩壊への道なんだと思います。創価の悪事を世間に暴いて大騒ぎしても、大した効果はありません。騙される人はそんな批判は見向きもしません。いくらかはそれで気づく人がいるのは確かでしょうし、これまでも結構な人たちが暴露本を出版したり裁判を起こしてきましたが、それでも創価はこの通りまだまだのさばっています。いちばんいいのは何も言わずに去ることです。なんだかんだ言う前に、きっぱりと縁を切ること。何を言われようがさっさと脱会届けを提出して、あとは一切関わらないことです。
ホントいうと、本人が脱会の意思を示したら、その時点で創価学会員ではありません。それ以降に学会員の話を聞く義務なんてないんです。日本は信教の自由を保障されている国です。脱会宣言した時点で、それ以降に学会員が活動を強要してきたら訴えられます。もうその時点で家庭訪問ではなく、押し売りと同じです。相手にする必要はないんです。
でも相手は「良かれと思って」あるいは「自分に功徳がある」と思ってやってきますからタチが悪いんですよね。また、親や妻や夫や兄弟がバリ活である場合がいちばんやっかいです。自分のためを思って言ってくれていることがわかりますから余計に辛い。身内だと波風立てたくない。それもよくわかります。
ただ学会員は家族といえども個人の思想信条について強要することが、どれだけ人権を無視していることかなんて思ってもいません。思えないように周到に洗脳しています。せめてそのことが問題であるというところまで共有できればいいのですが、やはりそうした話が通用しないように「創価学会新三大秘法(笑)」があるんですね。
まず自分が正しいとしか思えない「創価脳」。人の話は聞く価値などないと思っている「創価シャッター」。そして批判されるとすぐに切れる「創価スイッチ」。見事なものです。こんな人が一人でも家族にいるだけで憂鬱ですよね。ましてや自分以外の家族や親類縁者がみんなこれだとホントうんざりです。私の若い頃もそうでしたが、いつの間にか私の周りの親類縁者で創価脳は兄夫婦の二人だけになりました。あとはみんな脱会したか、歳とって亡くなったかです。まさに創価学会衰退の縮図のようなものでしょう。
今の創価学会は、かつてと比較して明らかに衰退しています。学会員にとっていちばん身近な座談会の顔ぶれを見れば明らかですし、地区も合併統合しないと座談会さえ開けないという状況です。たとえ開けたとしても、そこにいるのは年老いた昔からの学会員ばかりで、新しい会員などほとんどいません。
創価学会は日に々に衰退している。
この事実を知らないのは真面目な学会員だけ。
いや、薄々感じてはいるが「世界広布新時代」などと聖教新聞には海外メンバーの笑顔の写真などが載っているのを見て、衰退しているのは自分の地区だけなんだと思い込んでいる。聖教新聞とは会員のプロパガンダと金儲けのためのツールでしかありません。新聞も座談会も選挙活動もみんな「創価脳」「創価シャッター」「創価スイッチ」を併せ持つバリ活学会員を作り出すためのツールです。そしてバリ活にはならなくても、ユル活、非活、チョイス学会員をキープしておくためのツールなんです。結局、学会員であるということは騙され続けるということです。
私はこのブログを通じて「創価が詐欺だと気づいてください」と訴えてきました。そしてそのことを共感できる方からの毎日何千というアクセスがあります。創価が詐欺でなかったら、このブログは誰も見向きもしないでしょう。
「創価が詐欺だとはいくら何でも言い過ぎだ」と思っている方、それでは創価が詐欺でなかったら一体何なんですか?
一体創価のどこが宗教ですか?
誰のための宗教ですか?
誰が幸せになっていましますか?
幸せだと勘違いしている学会員はいくらでもいますが、その幸せだと思い込んでいる実態について、このブログでは多くの方が語ってくれています。これを読んだ後で、それでも創価は正しい宗教だと思えるのであれば何も言うことはありません。ここでそのことを議論する気はありません。自分で考えて、自分で答えを出せばいいだけの話です。
ということで、今回のテーマは「創価が詐欺でなくて何でしょう?」ということにします。
私が創価が詐欺団体だと気づいてから、このブログを立ち上げて訴え続けてきました。先ほども書きましたように「いくら何でも詐欺とは言い過ぎだろ」と思われている方が多いのもわかります。実際に私も10年間はそう思っていました。でもそれも違いました。創価は詐欺です。人間をボロ布のようになるまで搾取し続ける悪魔のような詐欺集団です。「おいおい、そこまで言うか?」って思う人は、まだまだ洗脳から抜け出せていません。ましてや「創価も悪いことばかりじゃない」なんて思うこと自体、完全に洗脳されています。「創価も悪いことばかりじゃない」と思わせることも詐欺の手口の一つなのですから。創価学会員にとって、「創価はいいなあ」と思うのは、会員同士のつながりであって、創価自体がどのような構造で会員からお金や労働力を搾取しているかなんて興味すら持てないようにしています。財務の収支を一切公表しないことに何の疑問も持たないのは、その証拠の一つでしょうし、公明党の支援活動と信仰に何の関係があるのかについて疑問を持つどころか「票を取るのが一番功徳がある」と言われて信じてしまっているということも、普通なら考えられないことです。
「創価が詐欺でなくて何でしょう?」
ちろん結論は創価は詐欺だということです。
このテーマは、ほんの少しでも創価が宗教だと思い込んでいる人に、よ?く考えてもらいたいなという思いからです。あるいは、まだ創価学会員である(であった)自分を肯定したい気持ちが残っている方に、もうきっぱりと「創価は詐欺で、自分は騙されていた」という現実をしっかりと受け止めていただきたくてテーマとしました。私自身の体験から、このことを自分で認め切れるかどうかが覚醒できるかどうかの分かれ道なんじゃないかと思ったからです。どんなに創価がおかしいと思えても、自分のそれまでの創価人生を間違いだったと認めきれないのがチョイス学会員だし、私自身が10年間もそこから抜け出せなかったという苦い経験から出たものです。
「創価にもいいところはある」などと、創価にいいように騙されてきたみなさん。勇気を振り絞ってその現実を直視しましょう。その辛い現実に向き合いましょう。そうしなければ、いつまでたっても創価の魔の手は忍び寄ってきます。現実を直視して、創価という詐欺と完全に決別して、これからの自分の人生を考えましょうよ。
【解説】
創価学会新三大秘法「創価脳」「創価シャッター」「創価スイッチ」につづいて、前スレでモニカさんがおっしゃった「チョイス学会員」という言葉が定着しそうですね(笑)
いわゆる「チョイ活」という言葉の元となる「チョイス学会員」の命名者がモニカさんだったことがここで明かされます。もっとも、どういう意味でモニカさんがこの言葉を使ったかは確かめることができません。
一方、「創価脳」「創価シャッター」「創価スイッチ」の命名者はシニフィエさんということでいいでしょうか。
チョイス学会員というのは、めんどくさい学会活動はしないで、「世界で唯一の正しい宗教を知ってるオレって素敵だろ」って悦に入ってるだけなんですよね。彼らにとってはもうそれだけで満足なんです。真面目な学会員とは違って、自分の都合のいいようにやるだけだから、辛い思いもしないし、理不尽なことも言われないから創価自体に対して疑問も持たない。さほど組織からも期待されていないし、されても困るから深追いはしない。だから例えば「公明党のやってることはおかしいと思うから支援しないと意思表示のできるオレってかっこいい」って、やはり自分に酔ってる。学会員というより単なる「自分教」なんでしょう。でも実際は創価からいいように飼い慣らされていることに気づいていない。創価にとっては公明党を支持しなくても新聞取ったり座談会に出て来ればそれでOKなんですよ。自分に酔いたいがために学会員のふりをしているチョイス学会員。騙されていることに気づいていないという意味ではバリ活学会員と同じです。
このように、シニフィエさんはモニカさんのいうところの「チョイス学会員」を悪い意味でとらえています。
モニカさんが最初にどのような意味で「チョイス学会員」という言葉を使ったのかはわかりませんが、最近では海さんが「チョイ活」を積極的な意味で使っています。
__学会活動のうち、自分で納得できることだけして、納得できないことはしない。
__それのどこが悪いの?
という感じです。
そもそものはじまりから、「チョイ活」に対する認識のずれがあったようですね。
その後現在まで、「バリ活」と「チョイ活」の間のわだかまりが続いたのは、そのせいかもしれません。
えっ、私ですか。
大学生になってから組織に疑問を持ち、それ以来非活でしたから、究極の「チョイ活」ですね。
悪い意味ではなく。
獅子風蓮