つづき 日立電鉄の写真、アルバムを整理していて色々見つけたので追加しました。廃止される1年前、2004年3月のある土曜日に撮ったものばかりです。この時には、既に日立電鉄の存廃問題が浮上していました。駅も電車もいたって静か。昼間でもちょっと暗めの車内が印象的でした。写真で見るとのどかな雰囲気の電車も、実際乗ってみると、窓が小さくて窮屈な感じがしたものです。もと地下鉄の電車では、どうしても仕方の . . . 本文を読む
高松琴平電鉄の30形電車。もともとは京浜急行の電車です。もと京急らしく、窓の大きさが特長。パンタグラフを上げた姿は凛々しく、こんな電車が1930年代に登場したとはとても信じられません。当時の最新鋭電車であったに違いありません。 . . . 本文を読む
やはり阪急電車といえばこの顔です。標識板、それも丸い形をしたものが一番似合うと思います。普通電車は長方形で、準急以上が丸い板だったのです。丸い標識をつけた阪急電車の写真を集めました。下2枚はだいぶ前に撮った写真で、へたなものです。電車全体がうつっていません。
今は引退した、阪急で初めての冷房付き5200系電車
高架化前の宝塚駅で3000系急行。
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115系の隣にステンレスの211系。(上野駅) この115系、前面だけ銀色で211系が混じっているみたいにみえます。これは、事故対策のために前面をステンレスで補強し、塗装を省略していたためです。
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どこか浮いた感じの列車名もさることながら、この特急電車(485系)は、485系史上最も派手な塗装であったといっても過言ではありません。側面には、金色の帯が斜めに走っていました。 . . . 本文を読む
東海道・山陽線の普通電車からは撤退した201系。ヘッドマーク付きの写真を集めました。 「アーバンリゾートフェア神戸」 1993年
「世界リゾート博」(和歌山市) 1994年
「海水浴」のヘッドマーク。(はっきりと写っていません) 須磨辺りにお客の呼び込みを狙ったものでしょうか。 . . . 本文を読む
18年8月6日 (日曜日・晴れ) つづき (4)のループ線を下から見上げた図。 ピーチライナーの高架は、廃止後も解体しないそうです。解体するのにたくさんのお金がかかるからです。これでは、「奇妙なオブジェ」かそれ以下の価値しかありません。やがては朽ち果ててしまうのでしょうか。
ループにある切れ目。ここからJR中央線の高蔵寺まで延伸する計画があったのです。実現することはありませんでした。
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長野新幹線の開業まで信越本線を走った特急「あさま」号
信越本線の横川から軽井沢までは大変な急坂だったため、補助機関車が連結されました。連結の間に電車は必ず停車し、「峠の釜めし」の売り場は賑わいました。そして電車が発車するときには、必ずこのような光景がみられました。今では、横川駅は普通列車が発車するだけの静かな終着駅になりました。 . . . 本文を読む
18年8月6日 (日曜日・晴れ) つづき
終点で、電車が方向転換するところ。まるで模型電車のようです。車体の小さいのがよく分かります。ぐるっと回る間、乗客は乗れません。乗れたらとても面白そうだったのに。 つづく . . . 本文を読む