第1回ローレル賞のプレートが誇らしげな2300系。トップナンバーはもう引退したものの、昭和30年代に登場した2300系は、その半数以上が今も現役です。ピンボケなのが残念ですが。(真昼なのにフラッシュが誤作動してしまったようです。)
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前から読んでも後ろから読んでも「駅家駅」。駅名に「駅」が入っているからなせるワザですが、JRの駅名で、「駅」が使われているのは全国ここだけです。「駅」という漢字は、当然「鉄道」が走る前から存在していました。国語辞典によれば、「律令制で、中央と地方との連絡のため街道筋の30里(約16km)ごとに置かれた設備。馬・人夫をそろえ旅人の便をはかった。」とあります。(三省堂「大辞林」より)ちなみに、「駅家 . . . 本文を読む
万葉線が第三セクターになる前の写真です。今とそれほど差はないのですが‥‥ 少なくとも、富山港線が富山ライトレールになった時のような差は感じません。
↑↓上下2つとも、同じ電車(7052号車)の写真です。こちらの変わりよう(車体の色)はすごいですね。
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12月30日(土曜日・雪のち曇り) (その10)のつづき (その11) 200円の入場券を買い、中に入りました。石鹸やシャンプーは別売りでしたが、身体は高畠できれいに洗ったので用がありません。建物は平成5年に改築されたとのこと。 中に入ると、浴室の天井は高く、太い丸太が建物をしっかり支えています。そして、素晴らしい木の香りに満ち溢れていました。意外なのは、脱衣場と浴室を仕切る壁がないことでした。 . . . 本文を読む
12月30日(土曜日・雪のち曇り) (その9)のつづき (その10) 今日入った外湯「鯖湖湯」の建物です。美しい建物を見ただけで期待感がわいてきます。
鯖湖湯は、飯坂温泉で最も古い外湯です。かの松尾芭蕉も、奥の細道の道中ここに入浴したといいます。その時の出来事は、次のような文章で綴られています。 ”其夜飯塚にとまる。温泉あれば湯に入て宿をかるに、土坐に筵を敷て、あやしき貧家也。灯もな . . . 本文を読む
中学の頃、四国一周に行った時の写真です。国鉄オリジナルカラーでないのが残念ですが、JR西日本の「はまかぜ」などに比べればよく似合っていると思います。古めかしい跨線橋もいいですね。 今はなき「ワイド周遊券」を使いました。自由席なら特急乗り放題だったのですが、どの列車も相当混んでいて座れたことはほとんどありませんでした。四国のJRは盛況だなぁと思ったものですが、今でもそうなのかな? 四国は、若 . . . 本文を読む
↑ 出発進行!12月30日(土曜日・雪のち曇り) (その8)のつづき (その9) 福島駅から、今日第一のお目当てである福島交通線に乗り換えました。車両は、もと東急の7000系電車2両編成でした。 カテゴリの名前を「全国の私鉄と第三セクター鉄道を訪ねる旅」にしておきながらJRの話ばかりでしたが、ようやく私鉄が登場しました。'07年最初の記事で明らかにし . . . 本文を読む
↑ 板谷駅12月30日(土曜日・雪のち曇り) (その7)のつづき (その8) 高畠から米沢行きに乗り、ここで福島行きに乗り継ぎました。 晴れ間が見えてきました。雪がまぶしく感じられます。
福島行き普通(米沢駅にて)
1つ目の駅は関根駅。9:16に下り米沢行きが発車して以来、およそ4時間ぶりにこの駅へ電車が着いたことになります。ホームにはきれい . . . 本文を読む
12月30日(土曜日・雪のち曇り) (その6)のつづき (その7) 雪深い景色の中を進み、米坂線の終点米沢駅へ。 10:05の定刻に到着。 90.7kmの道のりを、2時間54分かけての旅でした。
雪降りしきる米沢駅 米沢駅前をちょっとだけ歩きました。雪は小降りになっていますが、足元には注意が必要です。僕の靴は、底が磨り減っているのです。旅には旅慣れた靴が鉄則ですが、旅慣れた靴の点検も時には . . . 本文を読む
12月30日(土曜日・雪のち曇り) (その4)のつづき (その5) 新潟県最後の駅・越後金丸駅を出発した列車は、トンネルで新潟と山形の県境を越えます。 トンネルを出ると、車窓から見える木の枝一つ一つに、びっしりと雪が付いています。昨年乗った仙山線の車窓を思い出します。 そればかりでなく、新潟県と山形県では雪の色が違うようです。山形の雪は、新潟の雪に比べるとより白く、より明るくみえまし . . . 本文を読む
12月30日(土曜日・雪のち曇り) (その3)のつづき (その4) 米坂線の上り始発列車は、坂町を7時11分に発車すると荒川沿いを遡ってゆきます。 時々、大きなダムがあります。ダムというよりも、「堰」という言葉の方が似合う感じがします。淀んだようにみえる水の色が只見線に似ていますが、あれほど重厚な車窓ではないと思います。ディーゼルカーの走りも、只見線よりは軽快でした。
キハ52の車内
越後片貝 . . . 本文を読む
電化前の加古川線・ディーゼルカーの写真です。 加古川線は「大阪近郊区間」なので、「大回り乗車」のルートに組み入れることができます。例えば尼崎→加古川→谷川→塚口とまわると、途中下車こそできないものの、わずか百数十円でディーゼルカーに乗り、のんびりと旅行が楽しめたのです。電化された今ではありがたみがやや薄れたかも。 写真は西脇市駅にて。
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2002年に廃止された有田鉄道のディーゼルカー、キハ58003です。もとは山梨県の冨士急行で走っていたもの。 この写真を撮ったのは僕が中学2年の時です。この頃有田鉄道は、藤並から湯浅までJR紀勢線に乗り入れ運転を行っていました。僕が乗ったのはその乗入区間だけなので、有田鉄道線に乗ったことにはなっていません。乗客は、旅行者である僕達以外には誰もいませんでした。 . . . 本文を読む