――私はNセメント会社の、セメント袋を縫う女工です。私の恋人は破砕器へ石を入れることを仕事にしていました。そして十月の七日の朝、大きな石を入れる時に、その石と一緒に、クラッシャーの中へ嵌りました。
仲間の人たちは、助け出そうとしましたけれど、水の中へ溺れるように、石の下へ私の恋人は沈んで行きました。そして、石と恋人の体とは砕け合って、赤い細い石になって、ベルトの上へ落ちました。ベルトは粉砕筒へ入って行きました。そこで鋼鉄の弾丸と一緒になって、細く細く、はげしい音に呪の声を叫びながら、砕かれました。そうして焼かれて、立派にセメントとなりました。
骨も、肉も、魂も、粉々になりました。私の恋人の一切はセメントになってしまいました。残ったものはこの仕事着のボロ許りです。私は恋人を入れる袋を縫っています。
私の恋人はセメントになりました。私はその次の日、この手紙を書いて此樽の中へ、そうと仕舞い込みました。
あなたは労働者ですか、あなたが労働者だったら、私を可哀相だと思って、お返事下さい。
此樽の中のセメントは何に使われましたでしょうか、私はそれが知りとう御座います。
私の恋人は幾樽のセメントになったでしょうか、そしてどんなに方々へ使われるのでしょうか。あなたは左官屋さんですか、それとも建築屋さんですか。
私は私の恋人が、劇場の廊下になったり、大きな邸宅の塀になったりするのを見るに忍びません。ですけれどそれをどうして私に止めることができましょう! あなたが、若し労働者だったら、此セメントを、そんな処に使わないで下さい。
いいえ、ようございます、どんな処にでも使って下さい。私の恋人は、どんな処に埋められても、その処々によってきっといい事をします。構いませんわ、あの人は気象の確かりした人ですから、きっとそれ相当な働きをしますわ。
あの人は優しい、いい人でしたわ。そして確かりした男らしい人でしたわ。未だ若うございました。二十六になった許りでした。あの人はどんなに私を可愛がって呉れたか知れませんでした。それだのに、私はあの人に経帷布を着せる代りに、セメント袋を着せているのですわ! あの人は棺に入らないで回転窯の中へ入ってしまいましたわ。
私はどうして、あの人を送って行きましょう。あの人は西へも東へも、遠くにも近くにも葬られているのですもの。
あなたが、若し労働者だったら、私にお返事下さいね。その代り、私の恋人の着ていた仕事着の裂を、あなたに上げます。この手紙を包んであるのがそうなのですよ。この裂には石の粉と、あの人の汗とが浸み込んでいるのですよ。あの人が、この裂の仕事着で、どんなに固く私を抱いて呉れたことでしょう。
お願いですからね。此セメントを使った月日と、それから委しい所書と、どんな場所へ使ったかと、それにあなたのお名前も、御迷惑でなかったら、是非々々お知らせ下さいね。あなたも御用心なさいませ。さようなら。
松戸与三は、湧きかえるような、子供たちの騒ぎを身の廻りに覚えた。
彼は手紙の終りにある住所と名前を見ながら、茶碗に注いであった酒をぐっと一息に呻った。
「へべれけに酔っ払いてえなあ。そうして何もかも打ち壊して見てえなあ」と怒鳴った。
「へべれけになって暴れられて堪るもんですか、子供たちをどうします」
細君がそう云った。
彼は、細君の大きな腹の中に七人目の子供を見た。
上は、葉山嘉樹の「セメント樽の中の手紙」の一部である。暑いときには、プロレタリア文学のホラーとスプラッターで肝を冷やすべし。写真は、研究室からみえる山である。一瞬山にかかる雲が噴煙に見えたので、「よしっ」とつぶやいてしまった私をどうします。
仲間の人たちは、助け出そうとしましたけれど、水の中へ溺れるように、石の下へ私の恋人は沈んで行きました。そして、石と恋人の体とは砕け合って、赤い細い石になって、ベルトの上へ落ちました。ベルトは粉砕筒へ入って行きました。そこで鋼鉄の弾丸と一緒になって、細く細く、はげしい音に呪の声を叫びながら、砕かれました。そうして焼かれて、立派にセメントとなりました。
骨も、肉も、魂も、粉々になりました。私の恋人の一切はセメントになってしまいました。残ったものはこの仕事着のボロ許りです。私は恋人を入れる袋を縫っています。
私の恋人はセメントになりました。私はその次の日、この手紙を書いて此樽の中へ、そうと仕舞い込みました。
あなたは労働者ですか、あなたが労働者だったら、私を可哀相だと思って、お返事下さい。
此樽の中のセメントは何に使われましたでしょうか、私はそれが知りとう御座います。
私の恋人は幾樽のセメントになったでしょうか、そしてどんなに方々へ使われるのでしょうか。あなたは左官屋さんですか、それとも建築屋さんですか。
私は私の恋人が、劇場の廊下になったり、大きな邸宅の塀になったりするのを見るに忍びません。ですけれどそれをどうして私に止めることができましょう! あなたが、若し労働者だったら、此セメントを、そんな処に使わないで下さい。
いいえ、ようございます、どんな処にでも使って下さい。私の恋人は、どんな処に埋められても、その処々によってきっといい事をします。構いませんわ、あの人は気象の確かりした人ですから、きっとそれ相当な働きをしますわ。
あの人は優しい、いい人でしたわ。そして確かりした男らしい人でしたわ。未だ若うございました。二十六になった許りでした。あの人はどんなに私を可愛がって呉れたか知れませんでした。それだのに、私はあの人に経帷布を着せる代りに、セメント袋を着せているのですわ! あの人は棺に入らないで回転窯の中へ入ってしまいましたわ。
私はどうして、あの人を送って行きましょう。あの人は西へも東へも、遠くにも近くにも葬られているのですもの。
あなたが、若し労働者だったら、私にお返事下さいね。その代り、私の恋人の着ていた仕事着の裂を、あなたに上げます。この手紙を包んであるのがそうなのですよ。この裂には石の粉と、あの人の汗とが浸み込んでいるのですよ。あの人が、この裂の仕事着で、どんなに固く私を抱いて呉れたことでしょう。
お願いですからね。此セメントを使った月日と、それから委しい所書と、どんな場所へ使ったかと、それにあなたのお名前も、御迷惑でなかったら、是非々々お知らせ下さいね。あなたも御用心なさいませ。さようなら。
松戸与三は、湧きかえるような、子供たちの騒ぎを身の廻りに覚えた。
彼は手紙の終りにある住所と名前を見ながら、茶碗に注いであった酒をぐっと一息に呻った。
「へべれけに酔っ払いてえなあ。そうして何もかも打ち壊して見てえなあ」と怒鳴った。
「へべれけになって暴れられて堪るもんですか、子供たちをどうします」
細君がそう云った。
彼は、細君の大きな腹の中に七人目の子供を見た。
上は、葉山嘉樹の「セメント樽の中の手紙」の一部である。暑いときには、プロレタリア文学のホラーとスプラッターで肝を冷やすべし。写真は、研究室からみえる山である。一瞬山にかかる雲が噴煙に見えたので、「よしっ」とつぶやいてしまった私をどうします。
今日は卒論指導1人と三年生の演習レポートの指導11人ぐらい、を朝9時半分から休みなしに行う。結局終わったのは、22時半で、昼休み30分を挟んで、13時間ぐらい休みなく喋り続けたことになる。14時を過ぎたあたりから、口の動きと脳の動きが同時になってきてるのが分かった。夜になるともう脳の動きはなくて口が勝手に動いていた。口だけで漱石の「田山花袋君に答ふ」について語っていたらしいが、何をしゃべったのか……不明……。
脳は体を移動している!
追記)学生から教えてもらったのであるが、押し入れの中から机とかをみてみると、日常生活を違う角度から見直すことができるそうである。いいことをきいた。今度入ってみよう。
脳は体を移動している!
追記)学生から教えてもらったのであるが、押し入れの中から机とかをみてみると、日常生活を違う角度から見直すことができるそうである。いいことをきいた。今度入ってみよう。
ちびだった
金はなかった
かっこわるかった
つんぼになった
女にふられた
かっこわるかった
遺書を書いた
死ななかった
かっこわるかった
さんざんだった
ひどいもんだった
なんともかっこわるい運命だった
かっこよすぎるカラヤン
谷川俊太郎の詩にこういうのがあった。
いつものことだが谷川氏は俗事にこだわり過ぎている。さっき、ベートーヴェンの第5交響曲を、ラトルとウィーンフィルの日本公演の演奏で聴いてたんだが、やはりこの曲は指揮者のカッコ云々以前にネ申!
第一楽章のフォルマリズムに感心し、第二楽章で油断してたら、第三楽章から第四楽章のネ申展開は何回聴いてもネ申!
(一回「ネ申」を使ってみたかっただけです……誠に申し訳ありませんでした。)
金はなかった
かっこわるかった
つんぼになった
女にふられた
かっこわるかった
遺書を書いた
死ななかった
かっこわるかった
さんざんだった
ひどいもんだった
なんともかっこわるい運命だった
かっこよすぎるカラヤン
谷川俊太郎の詩にこういうのがあった。
いつものことだが谷川氏は俗事にこだわり過ぎている。さっき、ベートーヴェンの第5交響曲を、ラトルとウィーンフィルの日本公演の演奏で聴いてたんだが、やはりこの曲は指揮者のカッコ云々以前にネ申!
第一楽章のフォルマリズムに感心し、第二楽章で油断してたら、第三楽章から第四楽章のネ申展開は何回聴いてもネ申!
(一回「ネ申」を使ってみたかっただけです……誠に申し訳ありませんでした。)
論文を書いているときに、聴く曲がある。
大学生の時は、案の定(かどうかは知らないが)マーラーやショスタコーヴィチを聴いていた。が、どうみても脳の別のところが興奮してくるだけで、文章を書くときにはお勧めできない。フルトヴェングラーもだめであって、とにかくBGMにされることを絶対許さないのが、彼の指揮であった。私は彼の音楽を聴いていて論文のアイデアを少なくとも100個ぐらい失っている。原稿用紙に書き付けようとしたら、彼のアッチェルランドにつられて、ついお尻が浮き上がり立ち上がってしまったためである。ロマン派音楽は悪魔の音楽だ!
大学院生の時は、ウェーベルンの「夏の風の中で」をよく流していた。映画音楽みたいで、聴いてることさえ忘れる。
学位論文を書いているころは、ヴィラ・ロボスを聴いていた。私としては、「ブラジル風バッハ」などより、「ショーロス」シリーズが好きで、あんまり人気がない第12番が特によいと思う。最初に聴いたのは、Bartholomee 指揮 Riege.poの演奏である。これ見よがしのセンチメンタルな旋律が引っ込んだりあらわれたり、軍楽隊だか民謡だかがじゃかじゃかしたり、電車のがたんごとんに乗って風景を描写してるふうなところがあったり、小鳥がぴよぴとさえずったり……一応構成はあるようなんだが、全くとりとめのない音楽に聞こえる。学位論文で「弁証法」「弁証法」と繰り返していた私であったが、今思うと、その全く反対のものにみえる。いや、ほんとうはそうでもなく、わたくしの弁証法のイメージはそんなものであった。多分彼に強い影響を与えているストラビンスキーが物語風であるなら、ヴィラ・ロボスはロードムービー風である。最後はやることなくなったのか、ホルン部隊が一吠えして突然終わる…。
今日は、スヴェトラーノフ指揮、ロシア国立管弦楽団の演奏で、ヴィラ・ロボス晩年のケッサク「アマゾンの伝説」を聴いていた。血管切れそうな感じがよかったです。そして、ソヴィエトの戦車がブラジルの大地を進撃していく様が目に浮かび、論文にはまったくよろしくなかったです。
大学生の時は、案の定(かどうかは知らないが)マーラーやショスタコーヴィチを聴いていた。が、どうみても脳の別のところが興奮してくるだけで、文章を書くときにはお勧めできない。フルトヴェングラーもだめであって、とにかくBGMにされることを絶対許さないのが、彼の指揮であった。私は彼の音楽を聴いていて論文のアイデアを少なくとも100個ぐらい失っている。原稿用紙に書き付けようとしたら、彼のアッチェルランドにつられて、ついお尻が浮き上がり立ち上がってしまったためである。ロマン派音楽は悪魔の音楽だ!
大学院生の時は、ウェーベルンの「夏の風の中で」をよく流していた。映画音楽みたいで、聴いてることさえ忘れる。
学位論文を書いているころは、ヴィラ・ロボスを聴いていた。私としては、「ブラジル風バッハ」などより、「ショーロス」シリーズが好きで、あんまり人気がない第12番が特によいと思う。最初に聴いたのは、Bartholomee 指揮 Riege.poの演奏である。これ見よがしのセンチメンタルな旋律が引っ込んだりあらわれたり、軍楽隊だか民謡だかがじゃかじゃかしたり、電車のがたんごとんに乗って風景を描写してるふうなところがあったり、小鳥がぴよぴとさえずったり……一応構成はあるようなんだが、全くとりとめのない音楽に聞こえる。学位論文で「弁証法」「弁証法」と繰り返していた私であったが、今思うと、その全く反対のものにみえる。いや、ほんとうはそうでもなく、わたくしの弁証法のイメージはそんなものであった。多分彼に強い影響を与えているストラビンスキーが物語風であるなら、ヴィラ・ロボスはロードムービー風である。最後はやることなくなったのか、ホルン部隊が一吠えして突然終わる…。
今日は、スヴェトラーノフ指揮、ロシア国立管弦楽団の演奏で、ヴィラ・ロボス晩年のケッサク「アマゾンの伝説」を聴いていた。血管切れそうな感じがよかったです。そして、ソヴィエトの戦車がブラジルの大地を進撃していく様が目に浮かび、論文にはまったくよろしくなかったです。